背の低いサンタクロース
しんしんと降り積もる雪。深い灰色の夜空。シャンシャンと鈴の音を鳴らし、赤い服のおじいさんが街へとやってくる。
いやぁクリスマスっていいですよね。
何がいいかって…何がいいんだろう…。
あたたかな夢がありますよね。こどもごころに楽しみに待ち望む夜、家族とケーキを囲む食卓、プレゼントの包みを開ける朝。
大人になると、なんとなくチキンやケーキを食べたり、なんとなく小さなツリーを飾ってみたり、まぁ雰囲気にちょっと乗っておきますか、といった具合の楽しみ方ですが、それがなんとなくで十分楽しいです。
スーパーやコンビニにクリスマスソングが流れて、ショッピングモールを歩けば赤や緑の装飾のきつねとたぬき…じゃなくてなんかこう、いろいろが目に入りますよね。
クリスマスと言えば、恋人たちの日というか、独り者はカップルをやっかみ、細々とコンビニのケーキを食べる…そんな印象です。
なぜなら去年のわたしはおおよそそんな具合でした。そしてサンタクロースからはインフルエンザのプレゼントをいただきましたね…ははは。
しかし今年のわたしには恋人がいます!とは言え何するんじゃろ…。お正月なら、旧年中のお礼と今年もよろしくを言い合って、おめでとうと神社で柏手を打つ。わかります。
クリスマスは?クリスマスだからといって特別な愛を囁く理由もわたしにはないような気がするし、世の中の恋人たちよ、何をなさっているのですか。
今調べてみたら、クリスマスが恋人たちのものになったのって、ここ30年くらいの日本独自のムーブメントだったんですね。へぇ〜。好きですよね、そういうの。
クリスマスをいわゆる性夜にしてしまうのは、わたしとしてはなんだか違う気がします。その辺を飛び回るサンタさんに悪いじゃないか…!というのは半分冗談。
わたしはクリスチャンではないけれど、なんとなく神聖なものであってほしいですね。クリスマス。
そういう日を誰かと過ごすなら?という考えのもと恋人と過ごせたなら悪くないかもしれません。
しかし、いつの日だって大切な人と過ごせるときが大切な日なのであって、わたしにとってクリスマスはそんなに特別かしら…。
ああ…24年もひとりでいると、素直に恋人とのクリスマスを受け入れられなくなるのでしょうか…かなしい。クリスマス…好きなんですよ?
さて、クリスマスソングに代表されるように、何かとクリスマスは題材になりますよね。
今まで印象に残っているもの。羽海野チカ作品にはしばしばクリスマスの話題が入ります。『3月のライオン』には「クリスマスは、その一年、周りからどんな風に愛されたかの通知表のようだ」という旨が描かれていて「…ふむ」と思いましたね。
わたしにとってのクリスマス作品の原風景は『ノンタン!サンタクロースだよ』です。くまさんにはくまの、うさぎさんにはうさぎの、ノンタンはねこだから、ねこのサンタがやってきます。
わたしにはわたしのサンタクロースがいるんだろうなと、いつも、いい子にしてるか見守ってくれている赤い服のひとがいると思うと、わたしはクリスマスやサンタクロースを好きになれます。
大人になった今でも、ことしもいい子にしていたね、と寝ているわたしの頭を撫でて帰ってくれたらいいな、なんて思っています。
これは去年描いた冬のらくがき。
ところで、サンタクロースの背は高いのでしょうか。低いのでしょうか。
そもそも何を基準に高低を言うのでしょう。「私」?「平均身長」?「北欧人」?
ユーミンの『恋人はサンタクロース』では「背の高い」と歌われていますね。
KIRINJIの『千年紀末に降る雪は』では「意外と背は低い」とされています。
うーむ、これは好みの問題だな。わたしは『背は低い』派です!わたしのサンタクロースはきっと背が低いはず。
『恋人はサンタクロース』では、彼の方がサンタクロースなわけですが、彼女がサンタクロースになり得ることはあるのでしょうか。
そういえばわたしの恋人が「女性はサンタクロースになれるのかを考えたことがあるが、なれないという結論に至った」という興味深いことを話していました。
恋人よ、今度その真相を教えてください。
そしてわたしの恋人はわたしのサンタクロースでしょうか。そんなようでもあるし、そうではないような気もします。
この記事「なんとなく」が頻出なのですが、わたしにとってクリスマスは「なんとなく」の雰囲気を味わうものでしかないのかもしれません。少なくともいまのところ。
1年に一度しかないクリスマスを、あと何回経験できるのかはわかりませんが、大切なひとと過ごしたり過ごさなかったりする中で、わたしにとってのクリスマスってこうだなぁという何かを見つけられたらいいなと思います。
ふぉっふぉっふぉ、全然まとまってないけれど、クリスマスのよしなしごとでした。それではみなさんメリークリスマス!
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