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就労で求められる「障害受容」の範囲について

「障害受容」。この言葉が聞こえてきたとき、少しドキッとする方、いませんか?私もその1人です。

障害者就労支援の仕事をしている者として、就労に関する場面で「障害受容」という言葉を聞くことがあります。そのうちのひとつが、障害者雇用の採用基準としての「障害受容」です。ここで言われている「障害受容」とは、「障害があることによって生じる、職場でできないこと・苦手なことを正しく理解して説明でき(障害特性の理解・言語化と説明)、自ら工夫したり対処したりできるものは対処でき(自己対処)、職場環境に求めたいことを整理して伝えられること(合理的配慮の言語化・発信)」を意味しています。障害の有無にかかわらず、就労において「自己理解」は大切になってくるけれども、障害・病気等がある方の場合、障害・病気があることによって就労上困難になることも含めて自己理解しておく必要があり、また、それを周囲に説明できる必要があり、必要な行動がとれることが望ましいと考えられています。これは「障害受容」というよりももっと適切な言葉がありそうだけれども、私が見聞きするごく狭い範囲において言えば、実際の採用や面接選考をめぐるコミュニケーションの中で、「障害受容」という言葉で説明されることもあります。

マイノリティ(少数派)がマジョリティ(多数派)の中で自己理解することの難しさや、両者の間で説明責任の非対称性があるという問題もありますが、ここではいったんわきに置いておきます。「障害受容」という言葉にこだわって考えたとき、果たして障害を受容することが就労の条件になるのだろうか、必ずしもそうとは言えないのではないか、という考えが頭に浮かびます。皆さんはどうですか。自分の障害なんて全く受容できていないけれども、十分働けているよ、という人もいるのではないでしょうか。

私自身も、自分が抱えているものを受容できているかと言われれば、答えはNO。正直なところ、受け入れられていないことなんてたくさんあると思います。それでも、ずっとフルタイムで働いて、副業・兼業もして、どうにかこうにか就労継続させてもらっています。もちろん、理解ある職場で同僚に恵まれていること、他の得意なスキルで苦手をカバーしていることもあるけれど、うーん、果たしてどこまで「障害受容」しないと働けないのでしょうか。

身もふたもない言い方をすれば、仕事をするうえで大切なことは、「仕事ができること」です。業務が問題なく遂行でき、勤務時間に勤務できるだけの体力があり、同僚や顧客など関わる人と業務に必要な範囲で良好な人間関係を築くことができ、業務遂行に必要なコミュニケーションが取れれば十分です。もちろん、業界・職種やポジションによって求められることは異なるけれど、それさえクリアできれば、本質的に自己の病気や障害を受容できていなくても、問題ないのではないかと思ってしまいます。

企業の人事担当者や支援者が時折話す「〇〇さんは障害受容ができている/できていない」という言葉。その言葉を聞いた時、私の注意・警戒レベルが一段上がり、発話者がその言葉にもたせる意味内容がいったい何であるか、口調や文脈や背景からつい推察しようとしてしまいます。あくまで就労上必要な範囲の問題に限られているのか、それとも、そのラインをずかずかと越境してきてしまっているのか――。本当の本当は受け入れられていないことがあっても、就労上問題ないのであればそっとしておいてほしい、それくらいの自由はあってもいいんじゃないかしら。

私の周囲で「障害受容」という言葉を使う人はその言葉を就労上必要な範囲内に限って使用している、あるいはそこまで深く考えずに使っている、ということも十分理解しています。あくまで一瞬、ドキッとするだけ。ただ、私は「障害受容」という言葉を極力使わず、「就労上必要な障害特性の理解」などという言葉で伝えていきたいなと思っています。(ほんま)

*ほんま:当事者経験をいろいろ抱えるソーシャルワーカー。社会福祉士・精神保健福祉士。主に障害者就労支援に従事。おしゃべり。趣味はころころ変わるが、コーヒーと旅行はずっと好き。

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