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波に飲み込まれるのもいいんじゃない

どんぶらこどんぶらこ。
穏やかな日常ってどんなもの?
毎日同じルーティーンを繰り返しているってこと?
イレギュラーな出来事をそつなくこなせてるってこと?
大きなストレスなく心静かに眠りにつけること?

どんぶらこどんぶらこ。
心は常に小さく波打っている。
毎日の同じようなルーティーンの中で同じ波なんて一つもない。
イレギュラーな出来事に心の波は一時的に大きくざわめき静まっていく。
大きなストレスがあってもなくても波はおさまることはない。

どんぶらこどんぶらこ。
病とともにある生活において…
心は時々大きなうねりを起こし荒れ狂うことがある。
心の嵐は弱っちくてちっぽけな自分自身という小舟をたやすく呑み込んで沈めていく。
かろうじて浮上できたとて波の間に漂って息も絶え絶えすぐに沈んでいく。

どんぶらこどんぶらこ。
穏やかな日常だったはずなのに…自分の抱える身体の事情が急にドバンと大波を起こす。
穏やかな日常だったはずなのに…社会や周りからの圧力で急にゴゴゴッと大渦を起こす。
自分自身の操舵ミスではない自分自身が悪いわけではない。
本当に本当に些細なきっかけで小舟は暗く深いところまで沈んで見えなくなっていく。

上手く歩けない、つまづいてこけた、脚が痛い、手が脱力してる、コップをつかみ損ねた、お釣りをばらまいた、息が苦しい、血ガスたまって頭痛い、自律神経乱れてる、優先席譲ってくれない、体力無い、ページめくりにくい、ペットボトル開けらんない、歩き方が変って指さされた、健康そうに見えるのにねって言われた、病気なのにすごいって誉められた、他人と同じやり方が難しい、誰かと比べてしまう…。

どんぶらこどんぶらこ。
若い頃は「自分が力をつけ努力しよう」「辛抱して波を乗り越えよう」「沈んだなら早く浮上してやろう」ともがいていた。
もがけばもがくほど深みにはまり体力気力を消耗していたのだろうけど。
ただただしんどい時間の費やし方をしていたと振り返る。

いつだったか恩師に言われたことがある。
「心の波に身をゆだねてみるといい。無理にあらがうことなくゆっくりと沈んでみるのもいい。」
そんなこと誰も言わなかったことだと思った。
衝撃的だった。
よし、やってみようと思った。

どんぶらこどんぶらこ。
病とともにある生活において…
幼少期から事あるごとに「障害と向き合う」とか「受容する」とかを目標に掲げられてきた。
その人たちは「強くなれ」「よくなれ」「みんなに合わせろ」と自己変容を強要しがちだった。
「波にあらがえ」「飲まれるな」「沈むな」「早く浮上しろ」などなど。
医療の現場スタッフや学校の先生たちや周囲の人々の多くに仕込まれて大人になっていった。



波に漂うのもいいよね…(南知多ユニバーサルビーチにて)

どんぶらこっこどんぶらこっこ。
昔も今も自分自身は本当に小さな小さな小舟のようなものだ。
仕事のストレスや生活の苦しさなんかで簡単に転覆しそうになる。
それでも必死に小舟を操舵する日々が自分の当たり前で穏やかな日常の風景なのだ。
そんな日常をぶち壊す些細なきっかけが「病」であり「障害」であるのだ。

いちいち逆らっていられない。
波には飲まれるし小舟は沈むし浮上なんて容易に叶わないのだ。
そもそも病とともにない人々よりも不安定でおんぼろな小舟なんです。
そんな大波小波にもてあそばれる日々が自分の当たり前で穏やかな(?)日常の風景なのだ。
「今日も元気に脱力してたかー?」
妻や子どもや親しい人々は気遣いし慈しみながらもこんな日常を見守ってくれている。
波にのまれ沈みこみ浮上することを繰り返す日々の中でだんだんと操舵方法も身についてくるものだ。

どんぶらこっこどんぶらこっこ。
今日も一日が終わります。
何とか小舟は眠りにつくことが出来そうです。
明日もきっと些細なきっかけで浮いたり沈んだりすることでしょう。
気づいたら軽く声かけてください。
「まぁ、波に飲み込まれるのもいいんじゃない?」


*ダーヤマ:4歳頃からシャルコー・マリー・トゥース病による四肢遠位や呼吸筋の進行性麻痺あり。2児の父。作業療法士(今はほとんど臨床に関わっておらず裏方や営業に奔走中)。昨年8月のコロナ感染でほどほど重症化し入院…しばらくコラム担当をお休みしておりました。

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