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VarrentiaとHalo at 四畳半


ソロプロジェクト"Varrentia"(読:バレンティア)を発足し、第一弾楽曲"NEW DAWN"のMVが公開され、音源が配信リリースされた。

"Varrentia"とは"物語"を意味する"Narrative"のアナグラムである。なのでVarentiaでもValentiaでもなくVarrentiaが正しい表記。

公式的な報告はSNSでも行っているのでここまでにする。ここからは渡井翔汰個人の話。

まず、この報告は皆の目にどう映っているのだろうか。嬉しい、寂しい、様々あると思う。それで良いと思っているし、そもそもそれを決める権利は僕にない。

ただ、誤解の無いように言っておくとVarrentiaの活動をする為にハロが活動休止をしたわけではない。これは活動休止が確定的になってから、音楽を辞めるか、続けるかの岐路の中で僕が出した答えだ。

本格的に動き始めたのは5月の下旬頃。NEW DAWNの最初の一節が生まれた。"物語はいつでも 訪れる結末に頷けないまま エンドロールへ"。紛れもなく僕があの時に感じていた、そして今も現在進行形で感じている思いを歌にした。聴いてくれるあなたへ、自分自身へ、そしてきっとメンバーへの歌でもある。

Varrentiaはロックバンドではない。Halo at 四畳半とはまた別のベクトルへ向かっていく音楽だ。

でもその中にいる渡井翔汰という人間はHalo at 四畳半を知ってしまっている。過ごしてきた時間が記憶が頭と心に幾つも幾つも詰め込まれている。

だから音像感こそハロとは違うものになっていくと思うが、何も繋がっていないわけではない、というかわけがない。

その開幕を告げるこの曲はだからこそ"渡井翔汰"として言葉をかいた。Halo at 四畳半でもなく、Varrentiaでもなく、渡井翔汰の言葉をVarrentiaの音楽を借りて歌にした。

本当は全く切り替えて吹っ切れた曲をかけたらよかったのかもしれないが、あの時の僕にはそれができなかった。でもそれはそれで良かったと思っている。渡井翔汰の歌であり、一生掲げられる誇らしい旗のような歌でもあるから。

来月リリースされる曲はまた全然違った音像の曲で、歌詞も不思議な精神世界の物語。これからリリースされていく曲たちもあの頃を思いながらかく曲もあれば、Varrentiaとして作り出した世界の中でかく曲もあると思うが、兎にも角にも素晴らしいと思える音楽を届けていくから期待していて欲しい。

ハロがいつ復活を遂げるのか、はたまた遂げることはないのか、それは正直分からない。でもひとつ言えることがあるとすれば、その日が来た時にVarrentiaの渡井はこんなに格好良いロックバンドもやっていたのかと思わせるような未来に行こうと思っている。覚悟はもうできた。

今はまだ新しい物語の表紙を開いたところ。

それでは、はじまり はじまり。

「NEW DAWN」

物語はいつでも訪れる結末に
頷けないままエンドロールへ
この世界のどこかで まだ呼吸をしている
伽藍堂な僕を救い出して

心臓の鼓動を聴いて
思い出してしまったんだ
僕たちはひとりだったこと

フィクションの麻酔が効いて
僕ら笑い合っていた
あの瞬間は本当だったよな

いずれ去っていく嵐を憂いて
僕らは何度も 雨の中 藻搔いていたっけ
その姿はまるで 祈る様で美しかった

何もかも手放して 心だけを残した
それでも僕だと言ってくれますか?

この世界のどこかにまだあなたがいるなら
美しく踊るよ

忘れないでくれ 灯した光を
降り止みそうもない 雨に打たれ
涙が溢れてしまう前に 翳して
もう二度と消えることはない

扉を前にして立ち竦んでいる
僕らはもうはじまりの副作用を知ってる
それでも どうして ここへやってきたんだろう

今 扉を開く

物語はいつでも訪れる結末に
頷けないまま

いずれ去っていく嵐を憂いて
僕らは何度も 雨の中 藻搔いていたっけ
その姿はまるで 祈る様で美しかった

物語はいつでも訪れる結末に
頷けないままエンドロールへ
この世界のどこかで まだ呼吸をしている
伽藍堂な僕を救い出して


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