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活動報告 2023年8月

 「それはもう鹿ではない。獣。そして、それは又人間そのものの気配でもある。人間。動物。どっちだかわからない。」

 岡本太郎が岩手の鹿踊りを見に来た時に残した言葉らしい。

 踊り手たちの、動物が憑いたような人間とは思えない動き。私が大槌に来る前までに見たり聞いたりしてきた郷土芸能とは根幹から違うと思う。
 人間のお祭りはすごく楽しそうに見えるから、妖怪が混ざりたくなる。だからお祭りには人外のものが紛れ込むとどこかで聞いたことがある。この地域の祭りはそれとは違っていて、人外の、動物の魂みたいなものが人間に乗り移るための機会であるような気がしている。8月の最後に行われた吉里吉里祭りを見学し、昨年の大槌祭りの時にも圧倒されたなと思いだした。
 私は鹿や虎の皮をかぶった人たちの顔を見るのが一番好きだ。獣だった生き物が人間に戻る瞬間には安心と不安が入り混じる。ああ、ちゃんと人間なんだなと安心する。一方で人間の皮をかぶった何かかもしれないなと不安にもなる。動物にも人間にもなれる人たち、それこそがかつての日本文化そのものであったと岡本太郎は言ったらしい。何か線引きをする行為というものは私は好きではない。その一方で、祭りを見るたび都会育ちの私にはない魂を彼らが持っていると感じ、少しの羨ましさを抱えることになる。

これは人間…かな?

獣が人間に戻る瞬間を写真に収めたいとずっと思っている。写真が下手なのでまだできていないけれど。大槌祭りでそのチャンスは巡ってくるだろうか。

震災伝承ツアー受け入れⅠ

 震災伝承ツアー受け入れの手伝いを8月1日~4日の3日間行った。吉里吉里国にお邪魔して震災講話を聴きつつ薪割したり、大槌高校にお邪魔してカタリバの活動に関してお話を伺う。そのほかにも大勢の方から震災に関してお話をしていただいた。私は震災から復興までを大きなテーマとして論文を書いたことが大槌町にかかわり始めたきっかけだったが、ツアーを体験するのは初めてで、今まで参加してこなかった自分の学習意欲の低さを恥じつつツアーに来てくれた人たちの対応をすることになった。
 ツアーに来てくれたのは東京大学の学生たちで、彼らの何かを学ぼうをする姿勢にはとても驚かされた。常にメモを取り、質問をする。私がツアーを体験する立場だったら語り手からこんなに話を引き出すことができただろうか。

 「震災以降自分だけパラレルワールドに来てしまったような気分。」お話を聞かせてくれた一人の語り手のセリフが今でもリフレインしている。今思えば、私が大槌町に来たのは、震災から始まった町の歴史だけでなく、その前から続く地続きの大槌町を自分で体感したいと思ったからだ。生活の中で町の全体像が浮き上がり、自分の視点から街を眺められるようになっている自分は、その思いを達成してきつつあるように感じる。

伝承ツアー受け入れⅡ

 今月は実はもう一個ツアーの受け入れがあった。蓬莱館の女将さんにお話を伺ったり、WSを行うのを手伝ったりした。震災とその復興に関していくつもの面から語られる機会を短期間のうちにいくつも見れたことは運がよかったと思う。こうやって大槌町を紹介して、町に入り込んでいってもらうのだな、という一つの正解例を勉強した気持ちだ。
 来てくれたのはロンドン大学の学生たちで、英語でコミュニケーションをとらねばならなかったのは大変だったが、いいリハビリになったと思おう。神谷さんについていたのだが、何とかコミュニケーションを取ろうと神谷さんの英語の発音をまねて小声で練習していたのを学生にばれてしまったのが少し恥ずかしかった。

吉野町研修

 空き家バンクの解説のために学ぶことがたくさんある。ということで奈良県まではるばる遠出して空き家バンクに関する研修を受けてきた。大槌町なんて遠くから来る人たちなんかいないんじゃない、なんて談笑をしながら向かったのだが、北海道から参加している研修者の方もいて驚いた。
 実際に空き家を持っている方を想定して、その方の相談を受ける練習会WSが企画されており、そのWSには参加してよかったと思う。その他に実際の空き家を計測して平面図を作成するWSにも参加したが、建築学科の頃の積み重ねもあり、すんなり作ることができた。
 実際にこれから大槌町で行っていく活動がどのようなものか想像がつくような良い機会だった気がする。これから大槌町で空き家を持っている方に会う機会も多くなってくるだろう。学んだことを忘れずに空き家に関わっていきたい。

あとがき

小さな花弁が、8月の庭を覆った。粉雪がうっすらと積もるように薄くささやかに咲いた花は、8月の厳しさに耐えかね枯れ始めていた庭を少しだけ華やかにした。真っ白な小さな花は8月の猛暑になんだかとても似合わなくて、涼やかだ。もう咲いている花が少ないのだろう、たくさんの蜂や蝶が集まっていた。時間の変化とともに刻々と変わっていく庭の様相は、目を少し離しただけですぐに変わってしまう。それらの全てを記録したいと思いつつ、カメラに手が伸びないこともある。私に残された手段は写真と文章のみだ。なんとか残していきたい。

たくさんの花が咲いて枯れていって、今年はもう花が咲くことはないのだろうと思っていたのに。少しだけ嬉しい。

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