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朝井リョウ 「正欲」 が文庫化されたので読んでみた

朝井リョウの正欲、前々から気にはなっていたものの文庫化されてないこともあり、なかなか手を伸ばせずにいた。しかし、この度なんと文庫化されるという事で早速発売初日に読んでみた。
読み始めると案の定みるみる世界観に引き込まれていき、そのまま一日で読み終えてしまった。以下感想。


自分が周りと同じ大多数に組み込まれていることを確認するために、自身の正義に従って少数を排除する。自分が社会的に正しい事をしているという実感が欲しいから、想像可能な少数だけを多様性のなかに包摂してしまう。背景を知らずに、対話の機会なく自身の信じる正義の下に断罪してしまう。

どろどろと形を変える社会がいつしか自分を包摂してくれるんじゃないかと期待する。

多様性の主張は当たり前からあぶれた人間が当たり前の内側に入るための行為だ。
もしくは多様性という言葉が嬉々としてメディアに取り上げられなくなるほど社会に馴染んでしまう前に、常に変わっていく不安定な当たり前という枠の内側に包摂されるための準備運動なのだ。近い未来そうなるであろう当たり前の世界の主導権をいち早く握って置けばその世界での正しい側を支配できる。
大義に包み込まれていたい、その欲求は母親の胎内にいる時から脳髄に刻みつけられた原点にして頂点の欲求なのかもしれない。

後半、夏月と佳道がセックスをしようと試みるシーンは胸に来るものがある。自身を散々苦しめてきた正しさの中にある性欲。それに歩み寄ろうとする二人の姿は何よりも美しいと感じられた。

大也と八重子が互いの心の内をぶつけあうシーンも良かった。多様性を主張される社会で本来必要なのはこういった対話による世界の拡張だと思う。
自分の知っていることだけで創り上げられた他者の世界。その想像した世界の狭さ、薄さは実際の他者の世界を知ることで露わになる。自身が安住してきた世界での常識を相手にぶつけて、気持ち悪いと一蹴してしまうのは簡単だ。自分の信じてきた常識の脆さを知ること、それこそが他者と自分との世界の拡張への第一歩なのかもしれない。



と偉そうに言っている自分も自分が正しくあろうとする正欲に絡め取られているんだろう。
ただ、マイノリティであるが故に悩まされてきた人々に作者が掲げた他者という可能性を私は信じてみようと思えた。


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