見出し画像

広重は本物だったあぁ! スケッチに役立つ近中遠の樹木表現

はじめに

 皆さんは明治以前、江戸時代の日本の絵画は西洋美術に比べてデッサンや細部の描きこみに関して劣っていると思っていませんか?

 線スケッチを始める前は、私はルネサンス時期の西洋の画家たちの正確で精緻な表現に比べて、日本の絵の場合、余白の多い水墨画ややまと絵の印象が強く、江戸時代の代表的な浮世絵も実物の描写が西洋の画家に比べて弱いのではないかと考えていました。

 しかし、それは全くの思い違いだったことが最近になって分かりました。

 広重や北斎の浮世絵風景画の名作を素晴らしいと感じて見てきたのですが、あくまで全体の印象を通してであり、絵を描く技術の立場で細部を見ていませんでした。
 ところが、線スケッチを教える立場になって、多くの生徒さんが樹木の線描、特に中景、遠景の描写につまづくことに気が付きました。その辺の事情は、すでに記事にしましたので参考までに下記に紹介いたします。

 樹木の近景、中景、遠景の樹木の描き方を伝えるためのテキストを作っている途中で、ふと江戸時代の浮世絵画家、特に風景画の中で広重がどのように樹木を描いているか気になりました。

 そこで改めて広重の作品を見た結果、これまで持っていた印象とはまったく真逆で、私が考えた描写のコツをすでに広重は実践していたことが分かったのです。驚きました。 

 実は上の記事の中でも、広重の風景画の中の樹木の線描について簡単に触れました。教室でも参考例の一つとして話しています。

 この記事では、個別の作品を例に、より具体的にご紹介したいと思います。

広重の作品に見る近景、中景、遠景の樹木表現

 本題に入る前に、私がいつも教室で伝えている樹木の葉を「うまく描く」コツ、特に中景、遠景の線描のコツを記します。詳しくは、上記<はじめての線スケッチ>の記事をお読みください。

 コツは次の三つにまとめることが出来ます。

1.全体シルエット、枝ぶり、葉の枝の付き方、葉の形の特徴を観察する。
2.中景では、葉の一枚一枚を描くのではなく、特徴を描くようにする。葉の前後の位置も気にせず、重なってもよい。
3.遠景では、樹冠の輪郭を描くだけでもよい。輪郭のギザギザは細かくする。また細長い、丸いなどの葉の特徴は、葉の塊の輪郭線の表現に生かす。また葉の塊の中で、長め、丸めの点を打つことで表す。

 それでは、以上の観点で、広重の作品を見てみましょう。(作品の画像はいずれもウィキメディア・コモンズから取得しました。すべてパブリックドメインです。)

 なお、広重の作品数は膨大ですが、広重自身が現場に行って直接観たと思われる江戸および江戸近郊の作品を選んでいます。具体的には、「名所江戸百景」と「江戸近郊八景」の各シリーズです。

(1)近景の樹木(花木)と遠景の樹木

 最初に、手前に大きく樹木(花木)を描き、遠方と遥か遠方の樹林を描いている作品を見てみます。

スライド2

「真間の紅葉手古那の社継はし」(左)
「亀戸天神境内」(中)
「隅田川水神の森真崎」(右)

 手前の紅葉、藤の花、桜の花、いずれも写実的な表現で線描されており、安土桃山時代の障壁画や近代の日本画に見られるような、多くの葉や花をスタンプで押したように同じ形態で描く方法ではないことがわかります。
 さらに、中景の木々も、一枚一枚個別に葉を描かず、樹木の種類ごとの特徴(幹の姿、枝ぶり、葉の塊)を意識して描き分けています。
 はるか遠方の樹木は、細かい凹凸の輪郭線の連なりで描いており、実際にはるか遠くにあるように見えます。

 余談ですが、遠景の樹木のシルエットをいかすために夕焼け、カスミ(雲)を多用しているのも特徴です。例えば、左の絵では、朝焼けか夕焼けか分かりませんが、焼けた空の下に山の稜線と樹木の輪郭が浮き出て情緒を感じます。
 同様に、中の藤の花では、空を暗く、右の絵ではカスミをたなびかせて樹木のシルエットを浮かび上がらせています。

(2)中景の樹木(花木)と遠景の樹木との対比

スライド4

「小梅堤」(左)
「御厨河岸」(中)
「王子装束ゑの木大晦日の狐火」(右)

スライド5

「日暮里諏訪の台」(左)
「玉川堤の花」(中)
「目黒爺々が茶屋」(右)

広重の近景、中景、遠景の樹木表現v2

「蓑輪金杉三河しま」(左)
「飛鳥山北の眺望」(中)
「王子稲荷の杜」

 上に紹介した9枚の絵の中景の樹木の例を見ると、冒頭に私が述べた中景の樹木を描くコツを適用しているように思われます。

 すなわち、まず樹木全体の幹と枝ぶりの特徴、各枝に対しどのような形で葉(花)が付いているのか、葉の塊の特徴を観察し、さらに葉が尖っているか、丸いのかにより、葉の塊のリンカクにも差が生じますが、きちんと描き分けしていることが分かります。

 遠景の樹木については、すでに(1)章の「近景の樹木と遠景の樹木」で紹介した「遠景の樹木」の描き方、細かい凹凸の連なりで描いていることを述べましたが、特に「御厨河岸」や「王子装束ゑの木大晦日の狐火」で黒くシルエットで描かれた森は、あたかも自分がそこにいて実際に目で見ているように感じます。

(3)遠景樹木のシルエット

スライド8

「駒形堂吾嬬橋」(左)
「大はしあたけの夕立」(中)
「赤坂桐畑雨中夕けい」(右)

スライド9

「江戸近郊八景:池上晩鐘」(左)
「真乳山山谷掘夜景」(右)

 広重の風景版画の特徴に、雨や夜の風景で、森のシルエットを巧みに利用することがあります。風雨に打たれる人々と竹林を描いた傑作「東海道五十三次の内庄野」がその例ですが、今回紹介した江戸および近郊を描いた風景画でも、雨および夕方、夜を利用して樹木のシルエットを浮かび上がらせて見る人の印象を深めています。

 上に紹介した5枚の絵の内、4枚は「名所江戸百景」から取りましたが、いずれも樹木のシルエットが印象的です。特に「大はしあたけの夕立」「赤坂桐畑雨中夕けい」の雨にけぶる遠景の樹木のシルエットは、「庄野」に負けず劣らず印象的です。

 なお、江戸近郊八景から「池上晩鐘」を選びました。私自身、幾度も池上本門寺を訪れていおり、広重の時代からは数百年も後なのに、まさにこの絵の印象通りなのです。この樹木表現には唸りました。

 大判のためか、樹木は幹と枝がすべて描かれ、葉も塊状に描くのではなく、葉も細かく描いて空洞ができ、より現実に近い表現になっています。その描写は見事です。

 江戸近郊八景は、いずれも見ごたえありますが、遠景のシルエットの例として、参考までに下記「芝浦晴風」(上)と「玉川秋月」(下)を挙げてみます。

スライド10

スライド11

 芝浦も下丸子(玉川秋月)も現在は森の代わりにビルや家屋で埋まっており、このような樹木の遠景風景を見ることはできません。
 しかし多摩川(玉川)でいえば、府中まで遡ると対岸の稲城市の山の樹木が迫っており、似た風景を現在でも見ることが出来ます。
 その目で「玉川秋月」を見直すと、江戸時代の、対岸に高木が連なる中に集落がある江戸時代の風景が眼前に浮かびます。

 大判であるがゆえに、樹木が細かく描き分けられた江戸近郊八景は、江戸時代の絵というよりは、近代風景画にも見えてきます、

終わりに

 歌川広重が自分の目で見て描いたと思われる江戸および江戸近郊の浮世絵版画を、樹木の近景、中景、遠景の描き分けの様子を調べてみました。

 当初思い込んでいたこととは反対に、広重が近景は写生的に、中景は樹木全体の幹と枝ぶりの特徴、枝ごとの葉の塊のリンカクの特徴を描き分けていることが分かりました。

 今後広重の他の作品や、北斎も含め他の江戸時代の画家の風景画も詳しく調べてみようと思います。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?