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大漁人形(山口県・下関市)_20200615

前回の更新からだいぶ間が空いてしまいました。
今回は山口県下関市の「大漁人形」を取り上げたいと思います。つくったのは昨年の秋頃だったと思うのでものすごく時間が経ってしまいました。。

廃絶した大漁人形

この「大漁人形」、『《神さまとご利益がわかる》日本のお守り』(監修/畑野栄三 池田書店)の中に登場していて、一目惚れしてつくったは良いものの、現在は廃絶した郷土玩具であり、手持ちの資料やネットなどを調べてみても情報がほとんどありません。。
まぁ大漁を祈願する人形であることはなんとなくわかるのですが。

あとは郷土玩具の絵を多く残している川崎巨泉(明治後期から第二次大戦中まで生きた玩具コレクターであり、浮世絵の影響を強く受けた画家)の作品の中に、『下関 鎮西八幡 大漁人形』として描かれているくらいです。

スクリーンショット 2019-10-27 午後3.08.00

現在に続く下関の郷土玩具

現在、下関の郷土玩具で現行品として買うことができるのは、名物の河豚(ふぐ)を模した土鈴の「ふく笛」です。"ふぐ"と"福""吹く"がかかっていて、フォルムや絵柄も愛嬌のあるかわいらしいつくりですね。
こちらも一度廃絶したものを現在に復活させたものです。
こういった動きは全国各地の郷土玩具でおこなわれています。

大漁人形の授与場所とご利益

話は戻って「大漁人形」です。とにかくつくったものは仕方ないので、なんとか話を進めたいと思います。

先述の川崎巨泉の絵『下関 鎮西八幡 大漁人形』にも描かれているように、人形の裏には「だんのうらたいりやうにんぎょう(壇ノ浦 大漁人形)」「日本西門鎮守八幡」と書かれています。
また「昭和十一年 一月十四日 長谷川○○(判読不能)氏より」とあるので、正月に西門鎮守八幡で授与されていたものなのでしょうか?

現在は廃絶してしまったため詳細まではわかりませんが、そのご利益は『日本のお守り』でも推測されており、巨大な魚をみんなで引き上げるモチーフから「招福」の縁起物だったと思われます。

古い郷土玩具について調べるときに、いつも助けになるのが『郷土玩具辞典』(斎藤良輔 編/東京堂出版)です。これなら何かわかるはず。

深まる大漁人形の謎・・・。

さっそく『郷土玩具辞典』を開き、山口県の郷土玩具の索引を見たのですがそこには張子人形の項はなく、あったのは「鬼揚子(見島)」「金魚提灯(柳井)」「土鈴(下関)」「ふく笛(下関)」の4つのみ。。え、どういうこと。。。

巨泉の描いた大漁人形には「下関」という字があり、見たところ土鈴(どれい)のように音を鳴らすための切れ込みや穴はありません。

土鈴(どれい)は粘土などで焼成した鈴のことで、神社の授与品や郷土玩具などでも多くつくられています。昔はこどもの腰に結びつけて魔除けとして使われていました。

とにもかくにも川崎巨泉の絵ではたしかに存在していた、下関の「大漁人形」の張子は辞典に載っていないようです。ここで現状僕ができる文献による調査は止まってしまいました。

が、何気なく開いた「土鈴(下関)」のページにより、張子の「大漁人形」の謎があっさり解けました。

そもそも張子ではなく土鈴だった?

『郷土玩具辞典』によれば下関の土鈴は、以下のような解説が書かれています。

下関市赤間神宮参拝の記念として、昭和10年ころには、全国的な土鈴流行を反映したさまざまな作品が創始された。

昭和15年刊の『郷土玩具展望』上巻(有坂与太郎)には、「赤間神宮錨鈴 土鈴、鈴は神鈴形式に則り、〜(略)全体を緑青にて彩る。厄除け、水難除けとして行はる。〜(略)」と記し、いずれも平家壇の浦滅亡の故事に因むとある。

赤間神宮は朱塗りの門が美しい神社で、"壇ノ浦の戦い"において幼くして亡くなった安徳天皇を祀ります。また境内には巨泉の絵にも記述があった「日本西門鎮守八幡」があります。なんか臭うぞ臭うぞー。

現在では「壇之浦大漁鈴」「ふく鈴」「起姫鈴」などがつづいて作られ、その名を知られている。製作者江戸金(同市入江町)。

出ました!「大漁」の文字が!!
「ふく鈴」というのも現在の「ふく笛」に通じていそうですね。

製作者の江戸金というのは、赤間神宮からほど近い西入江町で文久二年(1862年)に創業したお菓子屋さんです。現在も営業をしており「ふく笛最中」など気になるお菓子をつくられています(お菓子屋さんが郷土玩具をつくっていた話というのも、ちらほらあるようなのでこの辺りはいずれまたじっくり調べてみたいところです)。

ふく笛最中

辞典の解説に戻りましょう。

「壇之浦大漁鈴」は、赤間神宮の海上祭り(10月7日)に同神宮から授与される。大鯛を赤衣青衣の漁師たちが黄色の大綱で曳く型。

土鈴ということを省けば完全にこれ↓ですね。。

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スクリーンショット 2019-10-27 午後3.08.00

(「壇之浦大漁鈴」は)戦前は張り子製のものがあったが、戦後これを小型化して土鈴にしたもの。

完全に解決。小見出しでは「そもそも張子ではなく土鈴だった?」と書きましたが、本当のところは「そもそも張子だったが、土鈴となった」だったのですね。しかもですよ、川崎巨泉先生がこの張子人形を入手したのは昭和11年(1936)。つまり戦前に当時流行っていた土鈴ではなく張子を入手という慧眼。。

そんなわけで「大漁人形」でした。

【張子制作MAP】

34/47。下関は壇ノ浦の戦いの場所でもあり、平家物語に所縁のある土地でもありますのでこちらもいつか行ってみたいです。「大漁人形」の張子は廃絶しているのでそして中国地方もようやく島根県を残すのみとなりました(もうとっくに作っているのだから記事を書くのだ。。)。

(?MAPのカードが一時的につくれないって表示が。。)
MAPはこちら


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