ハリコグラフィ通信(vol.2/2022.8.5)
【1】雑記「もうすぐお盆」
こんにちは。
暑さや雨が酷いこの頃ですがいかがお過ごしでしょうか。
個人的には週2,3回ほど近所をランニングをするのですが(家にこもってひたすら制作しているのでストレス解消と体調維持のため)、夕方以降に走らないと危険。。しかし8月に入るとゲリラ豪雨のような夕立も多くなってくる気がするんですよね。そうなるとベランダで乾燥中の張子たちも取り込まないといけないので、ランニングだけでなく天気がとても気になる季節です。
暦の上では、2022年の8月7日が「立秋」で秋の始まりです。そして8月13日〜15日がお盆ですね。コロナの感染が拡大している最中ではありますが、里帰りやお墓参りをされる方もいらっしゃるかと思います。
HARICOGRAPHYの動きとしても、お盆を境に一気に秋〜お正月に向けた制作が加速していく時期でもあり、色々と楽しんでいただけるような仕込みをしています。お盆が過ぎたあたりに秋の新作をリリースできれば、、といったところでしょうか。
とはいえまだまだ夏も真っ盛りです。夏の張子も「季の子」シリーズをはじめ、いくらか在庫が残っていますので、夏の贈り物などにぜひどうぞ!
【2】四コマ『精霊馬っ子』
古くからのお盆の風習で、夏野菜であるきゅうりとナスに足を生やしたものがあり、これは「精霊馬(しょうりょううま)」と呼ばれています。
それぞれどういう意味が込められているかと言うと、きゅうりはご先祖様がなるべく早く家にたどり着いてほしい願いを込めて、馬に見立てて作ります。我が家でゆっくり過ごしたあとは、あちらの世界にお戻りいただかなくてはいけません。名残り惜しい気持ちを込めて、ゆっくり帰っていただくために、ナスを牛に見立ててご先祖様をお送りするそうです。
今回の四コマでは、田舎にやって来た男の子が精霊馬にとまったトンボを捕まえようとして転び、勢いで精霊馬に衝突したら某SF作品のように入れ替わっちゃう?(じゃあ本来の男の体はどうなってるんだ)、という夢をおばあちゃんの家の縁側で見ている、というお話です。
お盆直前ですので、お早めにどうぞ〜!
【3】絵馬/際物(きわもの)について〜北千住の吉田絵馬屋に行って〜
唐突ですが「郷土玩具」と言ってどういったものをイメージしますか?
北海道の木彫りの熊、だるま、赤べこ、こけし、などですか?
神社で授与されている神様や動物の形をした小さな置きものは?
あるいは遊ばずに飾る凧(たこ)や縁日で売られていた玩具は?
はたまた招き猫や大黒・恵比寿さまなどの縁起物の類は?
これらはどこからどこまでが「郷土玩具」なのでしょうか?
正解は、はっきり言って僕もよくわかりません。
なぜなら数多ある「郷土玩具」と銘打たれた本にはこれらが混在しており、厳密な「郷土とは」「玩具とは」という定義づけがその都度揺れているためです。なぜ揺れるかと言えば「郷土玩具」というジャンルを定義づける権威者がいなかったからじゃないかと思います。この辺りの考察は改めていつかどこかで(長くなりそうなので今回は割愛)。
いずれにしても絶対的な権威や教典のようなものがない「郷土玩具」といった辺境ジャンルにはわりと雑に色んなものが混じってて面白いのです。
例えば本章の冒頭に出てきたような、神社仏閣で授与される縁起物や、縁日で売られていた小さな玩具など、「"郷土"の"玩具"」という言葉からはこぼれ落ちてしまいそうなものなどジャンルの「際」にあったり隣接するものたちです。
その中で、今回は「絵馬」について。
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"蒐集あるある"かと思いますが、何かを集めていると気づかないうちに導かれて何処かにたどり着いていることがあるんです。ここ最近だと、それが「絵馬」でして。
春にたまたま行った立川の諏訪神社で「向かい目」と呼ばれる「め」が二つ描かれた絵馬(眼病治癒祈願のものです)を頂いたのをきっかけに、初夏に東京で「向かい目」の絵馬で有名な新井薬師の絵馬を入手しました。
諏訪神社の方が「め」がリアル目っぽくて面白いですね。
そして最近、神保町の古本屋さんで手にした、横山宗一郎『東京の郷土玩具』と石子順造『小絵馬図譜』。
前者には1970年頃まで東京でつくられていた郷土玩具が、当時の縁日や境内に置かれている活き活きした状況まで撮られていて素晴らしいです。またいくつかの郷土玩具は、かつて西新井大師の縁日で売られていたことも興味深く、行ってみたいと思っていたところ、あるページに目が釘付けになりました。
数をこなすためでしょうか、絶妙に簡略化されて軽やかに描かれた牛や馬のお札のようなものと、向かい合った愛嬌ある天狗の絵馬を描く職人とその仕事場。調べると北千住の吉田絵馬屋という絵馬職人で、現在も8代目が絵馬を制作し続けているそうです。前述の西新井大師も同区内。にわかにルートを調べたりリサーチをしだしました。行くこと決定!
もう一冊の『小絵馬図譜』も濃厚な絵馬の数々と読み応えのある考察。そしてこちらにも当然ながら吉田絵馬屋の吉田政造氏が(下の写真左)。
足立へ行くまでにも、近所で3年ぶりのお祭りがあって、行ってみるとなかなか立派な絵馬堂があったりと、確実に絵馬に取り込まれているぞ、自分…!
というわけで絵馬の旨味の沼にハマっているような状況でして、印刷された大量生産品となる以前の絵馬を求めて、西新井大師と北千住の吉田絵馬屋さんへ行ってまいりました。
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西新井大師へ。
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吉田絵馬屋さんへ
北千住駅から旧日光街道に入ると、昔ながらの金物屋や八百屋が残る感じの良い商店街が続き、店舗が途切れ途切れになる辺りに吉田絵馬屋さんが。
ちなみに伺う前に区の地域文化課を通じてお邪魔する旨を連絡してから行きました。はじめて行く場所であることと、いわゆる「お店」ではなく制作・生活の場所でもあるので、いきなり行って入れなかったら残念なので。
「ごめんください」と戸を開くと8代目の吉田晁子さんが出迎えてくださり、「いまは時期じゃないのであまり種類がないのだけど…」と言いながら小絵馬をいくつか見せて頂き購入しました。「付木絵馬」は現在は需要がなくつくっていないのだとか(残念…注文が可能なのか伺えばよかった)。
工房内も前掲の写真とほとんど変わらず、神聖な空間としか言いようのない空気感でした(突然押しかけ写真を撮りまくるのも失礼かと思ったので、本に載っていた「付木絵馬」のみ撮らせて頂きました)。
ちなみに「付木(つけぎ)」とは、火をつけて移すために使われる硫黄を塗られた木片のこと。描かれる4種の動物はそれぞれ神様の使いで、「牛(天神様や水神様)」、「馬(田の神様)」、「鶏(火の神、かまどの神)」、「狐(お稲荷様)」。これらを絵馬にして台所や水場などに供えて「火除け」や「水が汚れないように」といったおまじないとしたそうです。
あとは看板の説明書きにも書かれた「際物問屋」。この文字が木に大きく彫られた看板も工房内にはあって、(キワモノ??どういう意味なのだろう??)と印象的でした。「キワモノ」と書くと現在ではあまりポジティブな響きはないしなあと、気になり調べてみました。
なるほどー。元は1の意味の、旬の短い季節まぎわの品物という意味が転化して、皮肉の意味合いを帯びていったわけですね。僕自身も干支や節句、季節の張子をつくって商いをしているので「際物作家」ですね。すごく気に入ってしまいましたこの言葉。
似た言葉では「下手物(げてもの)」というものがあります。民藝運動を興した柳宗悦はかつて、市などで売られていた「下手物(げてもの)」と呼ばれる、安くて粗雑な器や道具などの生活雑貨に美的価値を見出したと言われています。
そういえば最近行ったこちらの展覧会で知ったのですが、ブルーノ・タウトというドイツの建築家が戦前に来日した際、「俗悪」「インチキ」なものに対して「キッチュ(Kitsch)」というドイツ語を発していて、それを当時は「イカモノ(如何物)」と訳していたそうです。現在では「いかがなものか」という言い方で使われている言葉だと思いますけど。この人は柳とも接点のある人でした。また前掲の『小絵馬図譜』を書いた石子順造は『キッチュ論』という著作があります。なんか不思議なリンクです。
「下手物」と「際物」の関係に戻ると、生活という具体性や機能性に満ちた領域に「下手物」という美があった一方、対照として民間信仰や迷信、おまじないといった儀礼性や抽象性に満ちた領域には「際物」があるということかも知れません。どちらも決して良い響きではない言葉でありながら、俗っぽさやしたたかさを感じさせて、どこか可笑しみすらあります。
思えば『小絵馬図譜』に載っていた様々な手描きの絵馬の、つい笑ってしまうような人の生々しい欲望の宇宙。美術やアートの「うまい/へた」「良い/悪い」といった価値基準からは完全にはずれた、己の願望をひとまず形にしただけの「絵」。
こういった絵馬ほどではありませんが、太古からおそらく大して変わらない普遍的な人のお願いだとかお悩みを、時節の旬に合わせて良い感じにアウトプットする「際物」をつくる人がこれからもいなくなりませんように(自分に関しては切実…!HARICOGRAPHYを今後ともご贔屓に!!)。
年中行事や季節の旬は年に一度しかありません。人はその旬を一生のうち数十回からせいぜい百回ほどしか味わえません。だから「際物」を積極的に味わってほしいという願いを絵馬に描きたいと思う夏であります。
張子制作に使う粘土や和紙や糊やジェッソや絵の具や筆や竹串やなんやかんやを買いたいのでサポートしてください!!