『みんなのアーカイブ(Archive of Our Own)』におけるファン・アクティビズム
既存の作品や実在の人物に着想を得て、独自の作品をつくる「二次創作」。この言葉を聞くとマンガやアニメ、ゲームを基にしたものを想像しがちですが、映画や文学、ミュージシャンほか実在の人物などその対象は幅広く、しかも日本のみならず世界各地で行われています。本稿では、そのような英語圏の広い分野の二次創作作品を扱ったウェブサイトとそれを取り巻く状況について取り上げます。
AO3とは何か?
「みんなのアーカイブ(Archive of Our Own、以下AO3)」は、ファンたちがつくる二次創作作品(transformative works)を保存・共有するための主に英語圏のオンライン・プラットフォームである。2009年にウェブサイトが立ち上げられ、2024年7月時点では、6万6千をこえる商業作品のファンダムに関連する1千3百万以上の二次創作作品が公開されている。必ずしも全てのファンフィクションに該当するわけではないが、AO3に投稿されるファンフィクションの多くは商業作品を元にした性的な内容を含む二次創作作品が多数を占めている。カップリング要素がない作品、男女のカップリング作品、女性同士のカップリング作品など多岐に渡るが、最も多いのは男性同士のカップリング作品である。
AO3のウェブサイトは情報量が非常に多く、最初はとっつきづらいと感じる人も多いだろうから、簡単に作品の探し方を解説しておく。お目当ての二次創作作品を探すには、「ファンダム(Fandoms)」「ブラウズ(Browse)」「検索(Search)」の三つのタブから探すことになる。「ファンダム」からは「アニメ・マンガ」「映画」「音楽・バンド」といったカテゴリーを選択することができ、これらの下位分類のさらに下には個別の作品がリストされている。これら個別の作品をクリックするとその作品に関してAO3のユーザーたちが投稿した二次創作作品がすべて表示されることになる。「ブラウズ」と「検索」のタブからは、ユーザーが設定する細かな条件に従って、個別の作品をそれぞれブラウズしたり検索をかけたりすることで、自分が関心のある二次創作作品を見つけ出すことができる。
AO3はタグ機能を利用することで、膨大な数の二次創作作品に対して詳細な検索条件を設定することが可能になっている。作品やキャラクターの名前だけでなく、二次創作内で描かれているシチュエーション、カップリングのパターン、暴力表現の有無などを示すタグが非常に細かく設定されている。こういった作品の内容についての情報は、二次創作作品を検索したときに表示されるサムネイル表示のなかで以下のようなシンボルを使ってユーザーに公開されている。したがって、AO3のユーザーはこのシンボルを参考にして、好みのカップリングを積極的に選んだり、好まない表現を避けたりすることができるようになっている。
こういったタグを積極的に活用するという特徴をみると、AO3は日本語圏でのpixivに近いと言えるかもしれない。ただしAO3の場合は文字で書かれた物語が中心で、画像が中心のpixivとは異なる。また、AO3の場合は英語を主要言語とし、スペイン語・韓国語・中国語等での投稿も見られるが、日本語での投稿はあまり見られない。AO3にも日本のアニメやマンガのファンダムによる二次創作作品は多数投稿されており、それらの作品タイトルには日本語のタグも付けられているが、日本語での二次創作作品は少数しか存在しない。
なぜAO3が作られたのか
なぜAO3のようなプラットフォームが生み出されたのだろうか? ファンによる二次創作という文化自体は、日本固有のものではなく、北米でも古くから存在していた。安価なパソコンとインターネットが普及し一般の人々が自分で情報を発信できるようになったWeb 2.0の時代には、ファンたちの二次創作活動はオンラインにも拡大し、自身のホームページを運営したりブログを執筆するファンも現れた。同時に、二次創作作品を投稿させ集約することで利益を得ようとする営利企業の活動も見られるようになった。例えば、1999年から2001年にかけて活動したファンダム・インク(Fandom, Inc.)や前身となった企業も含めれば2002年から2008年にかけて活動したファンリブ(FanLib)といった企業が、ファンに二次創作作品を投稿させ、その投稿内容から利益を得るビジネスモデルを有していた。
非営利的で贈与経済的な倫理観で維持されている多くのファンダムは、こうした営利企業がファンダムの蓄積した文化を換金することに反発した。加えて、こうした企業は原作作品の知的財産権を有している企業と提携し、投稿される二次創作作品の内容を検閲したり、二次創作の作者の著作権を認めなかったり、時には二次創作作品の作者に対して法的措置をとると圧力をかけたりしており、これらもファンダムの文化と激しく衝突した。こうしたことから、ファンたちのあいだで、商業主義から離れた非営利の二次創作作品を保存し共有するプラットフォームを求める声が高まっていた。
二次創作協会の目的
こうした状況下で2007年にファンたちが「二次創作協会(Organization for Transformative Works)」というNPOを結成した。Transformativeとは、米国の知的財産権をめぐる「変容的使用(transformative use)」についての議論を前提とする用語である。したがって、正確を期する場合は同協会は「変容的作品協会」とすべきだが、この文脈では「変容的作品」と「二次創作」はほぼ同じなので、「二次創作協会」と訳出する。 同協会の主要なプロジェクトとして、設立から2年後の2009年にAO3が公開された。二次創作協会の目的は、営利企業や商業主義に対して、ファンたちが自分たちで築き上げてきたファンダムの文化や二次創作作品を守ることにあり、寄付とボランティアによって運営されている。AO3は二次創作作品をオンラインで保存・公開するためのプラットフォームであり、二次創作協会の中心的なプロジェクトである。
AO3の重要性を理解するためには、二次創作協会の活動がAO3だけにとどまるものではないことを知る必要がある。同協会は「法的擁護(Legal Advocacy)」と題するリーガル・アクティビズムを展開し、二次創作作品の作者の権利を擁護する活動を行っている。二次創作は原作となる作品のキャラクター、ストーリー、設定等を利用して行うものであり、必然的に知的財産権保有者からの権利侵害の訴えを引き起こしうるものである。しかし、二次創作協会は、営利を目的としない限りにおいては商業作品を利用した二次創作はフェアユースの範囲であることを主張し、二次創作をするファンを営利企業による法的闘争から守る活動をしている。実際に二次創作協会はホームページで公表しているように、法学者レベッカ・トゥシュネット(Rebecca Tushnet)の協力を得て、度々、非営利の二次創作作品がデジタルミレニアム著作権法適用除外となることを求める著作権局への請願を行っている。二次創作が金銭的利益を目的としたものではなくフェアユースであることを主張するために、AO3への投稿者は投稿作品を通じて金銭的利潤を得ることはできなくなっている。
ファンフィクションについてのレベッカ・トゥシュネットのインタビュー
二次創作協会は「法的擁護(Legal Advocacy)」以外にも、ファンの活動や文化を守るさまざまな活動を行っている。例えば、「ファンロア(Fanlore)」と呼ばれる活動では、ウィキを利用してファンダムが愛好する作品についての情報を集約したサイトをつくっている。これらのウィキのなかには、作品それ自体の基本的な情報に加えて、その作品のファンダムが作品をどう受容させてきたかも記録されている。「オープン・ドアーズ(Open Doors)」というプロジェクトでは、ファンたちがつくり上げてきたコンテンツを保存することを目的に、ヤフー・ジオシティーズが2009年に閉鎖したことで消失するウェブサイトを保存したり、アイオワ大学と共同してデジタル化されていないファンジンを保存する活動などを行っている。さらに、同協会は『二次創作作品と文化(Transformative Works and Cultures)』と題する査読付きの学術雑誌を立ち上げ、ファン文化の研究活動も促進している。ちなみに、同誌はクリエイティブ・コモンズのライセンスを付けて無料でオンライン公開されており、私が関わっている「ファン研究グループ」の活動の一環として、同誌に掲載されている論文のタイトルと要旨を全て日本語に訳して公開している。ファンについて研究することに興味がある方は、こちらを参考にしてほしい。
二次創作協会の活動を紹介する動画
ポルノ的二次創作を守るフェミニズム
こういった商業主義から距離をとった非営利のファンによるファンのための空間を生み出そうとする運動の背景には、米国のフェミニズムの歴史がある。20世紀を通して、小説や批評の中心が男性によって占められていたことは日本でも北米でも同様である。そういった状況下で女性たちは二次創作という周縁化された領域で活動していた。ファンリブという営利企業が二次創作を資源として利用しようとした際に、主に女性ファンたちのあいだでこの動きへの反発が高まった。当時ブログとソーシャル・ネットワーキング・サービスの両方の特性を持っていたLiveJournalに、ある女性ファンが次のような投稿をした。
ここに見られる「私たちだけの中心となるアーカイブ(a central archive of our own)」という表現は、ヴァージニア・ウルフのフェミニズム批評的エッセイ集『自分ひとりの部屋(a room of my own)』からとられたものである。もちろんこの女性投稿者のフェミニズム的立場とウルフのそれとは完全に同一のものではない。「(女性が)小説ないし詩を書くのであれば、年に五百ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋が要る」 (ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』片山亜紀訳、平凡社、2015年、181頁。)という言葉で知られるウルフの個人に焦点化した立場に対して、この投稿者はコミュニティーが健全に存在することを重視している。AO3は設立当初から周縁化されてきた女性たちやマイノリティーの楽しみのための空間が必要だという認識で運営されており、そのために性的な表現や暴力的表現も含めて、できるだけ表現の自由を認め多くの人が参加できる空間をつくり出そうとしてきた。
もちろんこれはAO3のなかで不平等や差別が存在しないということではない。ポピュラー文化のファンダムのなかで人種差別の問題が軽視されてきたことは、多くの研究者によって指摘されており、ジョージ・フロイドの殺害を受けて2020年に、またその後の2023年にも、二次創作協会に対してファンダムのなかでのハラスメントや人種差別に対する対応を求める声明が発されてきた(Rukmini Pande, Squee from the Margins: Fandom and Race, Iowa City: University of Iowa Press, 2018.)。こういった声明はAO3に投稿される作品のなかに人種差別的な攻撃性を有した作品があることや人種差別に対して声を上げるユーザーに対してハラスメントが行われていることの指摘が中心だが、AO3が構造的に人種差別を軽視してきたことも批判している。
AO3が構造的に人種差別を軽視しているというのはどういうことだろうか。前述のとおりAO3は詳細なタグを設定することができ、どのようなジェンダー間の性関係が描かれるか、また描かれる関係性がどのようなシチュエーションのものであるかをタグを使って明示することができる。これは表現の自由とユーザーが望まない表現を避けることを両立するためのものである。例えば、「レイプ/性的同意がない」表現を示すタグを設定することで、ゾーニング的に表現の自由と不快な表現を避ける権利を両立させている。二次創作協会ならびにAO3における人種差別の問題として指摘されているのは、ジェンダーや性の問題についてはこれほど細かくタグを設定し表現の自由を守りつつ侵襲的な状況が生まれることを抑えようという取り組みがなされているのに、人種表現についてはこのような取り組みがなされていないことだ。こういった観点からAO3が実際には白人女性によるフェミニズム的な限界を有しているのではないかという指摘はなされている(Alexis Lothian and Mel Stanfill, “An archive of whose own? White feminism and racial justice in fan fiction’s digital infrastructure,” Transformative Works and Cultures, Vol. 36, 2021.)。
ヒューゴー賞の受賞とその後
従ってAO3は無謬の空間だというわけではないが、それまでのさまざまな活動が評価され、2019年の世界SF大会でヒューゴー賞を受賞した。ヒューゴー賞というとSF文学作品に与えられる賞というイメージが強いかもしれないが、歴史的にSFの世界はファンの貢献が評価されてきており、ヒューゴー賞には古くからファンジンや非プロの作品を評価する部門が存在する。
世界SF大会ではAO3の創設者の一人であり、歴史改変小説「テメレア戦記」シリーズで知られる小説家ナオミ・ノヴィクがスピーチを行った。そのなかの次の一節はAO3の理念を率直に表現している。
ノヴィックのこの発言からは、ウィキペディアといったほかの非営利のオンライン・コミュニティーとの類似点や、さらには日本のファン文化との相違点も見えてくるだろう。例えば、AO3は二次創作は金銭的報酬を目的としないフェアユースであるという論理に依拠しているが、一方で日本の同人文化は伝統的に「販売ではなく仲間内での頒布である」という言い方で著作権者の黙認を得るという対応をしてきた。ここでどちらがより良いかは簡単に言い切れるものではない。「フェアユース」が明文化されている米国とそうではない日本とを単純に比較できない。文章と図像とでは創作に必要なコストも同じではないし、両国の地理的・歴史的条件も異なっている。だが、二次創作のファンダムという点は共通していても、そのコミュニティーを支える公的な論理の部分は異なっていることがわかる。
いずれにしても、AO3の成立と発展には、フェミニズムや草の根のアクティビズムがあることは明らかであろう。そのことの是非や評価はここでは十分に論じきれない。例えば、「フェミニズムや脱植民地主義的立場からの漸進的なアイデンティティ政治的改善は、プラットフォーム資本主義による我々の生の包摂・管理に貢献する」というような批判は、妥当だと思う。そうした原理的な批判は重要だが、しかし我々が生きる現実の生活空間の中に、せめて最低限度の安全性と表現の自由を確保した場所を維持する具体的な努力が必要なのもまた事実である。AO3のようなオンラインの非営利のコミュニティーがどのような理想に基づき、どのような論理を採用し、そして具体的にどのような技術的手段を用いて運営されてきたかを知ることは、その良い点も不十分な点も含めて、現代において重要であろう。
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