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文化は魅せなければならないのか?:「ウポポイ(民族共生象徴空間)」について

2020年9月に北海道白老町の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を訪問した。本稿はその感想である。

ウポポイならびにその一部である国立アイヌ民族博物館についてはすでに多くの訪問機や記事が書かれている。その中でも小田原のどか氏の以下の記事は、私のウポポイ理解と共通している部分が多く、また基本的な事実を詳細に記述しているので、まず紹介しておく。

ガイドのホスピタリティーは高く、展示には体験を重視するさまざまな工夫が凝らされており、ウポポイが意欲的であることは確かだ。しかし、小田原氏も指摘しているように、和人によるアイヌへの差別の歴史の体系的な説明が足りない点も間違いない。一方で、SNS上では言及されることが少ないが、ウポポイは現在のアイヌが過去を復興しようとする取り組みの多様性やその困難を表現することに力点をおいており、そのことは肯定的に評価すべきである。本稿ではこの両面について触れ、その上で「文化は魅せなければならないのか?」という問題について考える。

展示の権力性と帝国主義

美術館や博物館での展示は権力関係の表現である。19世紀後半から20世紀にかけて、アフリカやアジアの人々を連れてきて万国博覧会の会場で生活させ「未開の原住民」として展示するということが頻繁に行われていた。一例として次の写真を見て欲しい。

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セントルイス万国博覧会(1904年)で「展示」されたフィリピンのイゴロット族(画像はこちらから取得)

これは、1904年のセントルイス万国博覧会でのフィリピンのイゴロット族の「展示」の様子を写したものである。スーツ姿の男性たちが柵の向こう側から半裸のイゴロット族の人々を観察している様子が見てとれる。19世紀後半から20世紀にかけての万国博覧会は、このようにさまざまな「未開」社会の人々を展示することで、これら「未開」社会に対する西欧「文明」国の帝国主義的拡張を正当化する機能を果たしていた。吉見俊哉『博覧会の政治学』はこれを「19世紀末の社会進化論と人種差別主義を直裁に表明した展示ジャンル」(p184)と指摘しているが、この種の展示は現在では「人間動物園」と呼ばれその問題が指摘されている。(注:念の為明示しておくと、本文のなかで「展示」、「未開」、「文明」といったカッコ付きの語彙は、その語が使われた当時においてはその文字通りの意味で理解されていたが、現在ではこれらの概念を文字通りに受け取れないことを示す修辞的な用法である。つまり、半裸の生活を未開でスーツを着た生活を文明的であるとする考えは現代においては自明ではなく、過去にこのような未開と文明という区別を使っていたことは歴史的事実として記述しなければいけないが、その区別はもう通用していないという意味である。)

話を戻そう。展示と帝国主義や人種差別の関係はアイヌと無縁ではない。アイヌと博覧会という制度との関わりは国立アイヌ民族博物館のパネルで以下のように説明されている。

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国立アイヌ民族博物館の展示(2020年9月15日、著者撮影)

説明文は次のように書いてある。「日本では1877(明治10)年に第1回内国勧業博覧会が開催され、それ以降、さまざまな博覧会が開かれてきました。その後、沖縄のほか、北海道、樺太、台湾の先住民族が、博覧会上で生活しながら自らの文化を紹介させられました。」この短い解説文の中の「紹介させられました」という表現は決して軽いものではない。なぜならばこの一言には本来、上述の帝国主義、植民地主義、人種差別とった過去の歴史的文脈とそれに対する反省が含意されているからだ。「沖縄のほか、北海道、樺太、台湾の先住民族」といった表現があることから大日本帝国の植民地主義との関係はわかるのだが、非専門家を対象とする博物館である以上、もう一歩踏み込んで明示的に説明をしたほうが望ましい。加えて、この「博覧会とのかかわり」というパネルの真上には次のパネルが掲げられていて、それによって文脈がさらに不明瞭になっている。

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国立アイヌ民族博物館の展示(2020年9月15日、著者撮影)

このパネルの「伝統を魅せる」というタイトルはあたかもアイヌ民族が自文化の魅力を発信するために常に主体的かつ自発的に過去の博覧会に関わってきたかのように歴史を描いている点で大きな問題がある。このパネルにはアイヌが1904年のセントルイス万国博覧会にも出典していたことが明示されているが、同博覧会において上述のイグロットの人々の「展示」が問題化されている事実には触れていない。本来博物館の機能とはそういった歴史的かつ学術的な文脈を提供して来館者の理解を深めることにあるはずだが、ここでは展示という文化的制度の政治性は触れられず、アイヌ文化の魅力に議論が縮減されてしまっている。

実際、アイヌ文化の魅力を発信することに力点をおくのはウポポイの基本的な方針のようだ。このことは、国立アイヌ民族博物館の非常に現代的で洗練されたディスプレイや広報用のプロモーション・ビデオなどにみて取れるし、国立民族学博物館が発行している広報誌『月刊みんぱく』の特集に「ウポポイでアイヌ文化を魅せる」というタイトルが与えられていることからも明らかであろう。もちろん、まずは魅力を発信しなければならないという事情はわかるし、それがすぐさま問題になるわけではない。

現代のアイヌの複雑さと「セトラー・コロニアリズム」

魅力は大事だ。実際、アイヌ文化を体験してもらおうという意思を明確に感じ、さまざまな点で展示が工夫され、博物館のガイドの人たちもすばらしいホスピタリティーを発揮していた。その善意に全く疑いはないのだが、魅力の発信やホスピタリティーを重視するあまりうまくいっていない点もある。

例えば、屋外に再現されているチセ(家屋)という家屋は、実際に来館者が中に入ることができる作りになっている。これは体験を重視するというホスピタリティーの現れなのだと思うが、現地のガイドの方によれば、中に人が入るためには消防法の規定をクリアする必要があり、結果的に建築物は現代の工法で作られ本来のチセの雰囲気は失われてしまっている。このことは、例えば北海道博物館に再現されているチセと比べると明白である。

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北海道博物館の展示(2020年9月17日、著者撮影)

チセの表現に限らず、過去の過去の日本の帝国主義との対峙や現代のアイヌが置かれた状況については、ウポポイ全体よりも北海道博物館のほうが体系的にわかりやすく表現できている。北海道博物館には「現在へと続く、ある家族の物語」というセクションが作られ、アイヌの母親と九州出身の父親との間に生まれた子供の視点から現在のアイヌについて学ぶという構成になっている。

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北海道博物館の展示(2020年9月17日、著者撮影)

このセクションの「現在を知る」と題されたパネルには次のような説明が添えられている。「(アイヌ民族の)多くは北海道に住んでいますが、就職や進学、結婚などをきっかけに、東京や大阪など各地にくらしの場を移した人たちもたくさんいます。[中略]現代では、アイヌの人たちだけが住む村のようなものがあるわけではありません。現在のアイヌ民族は日本の他の人びとと同じ地域のなかで、ともにくらしているのです。」この記述は簡潔だが非常に重要である。現在、「アイヌ民族は存在しない」とか「アイヌ民族の文化は捏造だ」というような無茶な議論が散見されるが、これらの議論は漫画や映画にみられるようなステレオタイプ的文化表象と同じものが現実の世界に存在しないことを根拠にしていることが多い。しかし、「現在のアイヌ民族は日本の他の人びとと同じ地域のなかで、ともにくらして」おり、彼らの文化は多かれ少なかれ近現代日本文化の影響を被っている。アイヌ不在論や捏造論はこういった文化と文化が接触する時の複雑なプロセスを無視している。

「セトラー・コロニアリズム(settler colonialism)」という概念が、文化と文化の間にある力関係をうまく説明する。この言葉は日本語では「入植植民地主義」や「殖民をともなう植民地主義」などと訳されるが、私が説明するときは「人口置き換え型植民地主義」と言っている。植民地経営というと宗主国から少数の監督官や軍人が植民地に派遣され、現地の多くの住民にプランテーションの労働をさせるというイメージが強い。実際に南アジアや東南アジアの植民地はこのような仕組みで経営された。一方、「セトラー・コロニアリズム」とは大規模な人口移動を伴い元から現地にいた住民を追い出す植民地主義である。典型的な事例が、ヨーロッパ人の北米大陸への移民である。北米大陸に入植したヨーロッパ人は現地住民の土地を奪い、居留地と呼ばれる土地に追いやった。現在のネイティブ・アメリカン/インディアンがかつて有していた文化を失いその復活に取り組んでいることからわかるように、現地住民の排除を伴う「セトラー・コロニアリズム」は必然的に彼らの文化や歴史も破壊してしまうのだ。

私はアイヌではないので果たして代弁できるかという思いはあるのだが、アイヌも「セトラー・コロニアリズム」による文化や歴史の抹消という問題に直面していると言っていいだろう。現代のアイヌの人々の中に、生まれてからずっといわゆる伝統的なアイヌらしい生活を続けてきた人はまずいない。だからこそ、北海道博物館のパネルでは九州出身の父と札幌という都市部で生まれ育ったがアイヌとしてのアイデンティティーを有している母の間に生まれた少年の立場で学ぶという設定になっている。この展示の中でアイヌの母が語りかける以下の言葉は、現代のアイヌの実際の生活のステレオタイプに還元できない複雑さを表現している。

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北海道博物館の展示(2020年9月17日、著者撮影)

過去と現在の対話としての失われた文化の復興

ウポポイが現在のアイヌ文化がアイヌ以外の文化と混淆してしまっていることや現代に生きるアイヌが失われた文化を復興する困難に取り組んでいることなどを無視していると言うわけではない。むしろウポポイはかなり積極的にこの問題を表現しようとしている。例えば、国立アイヌ民族博物館の常設展示会場の隣には、アイヌ文化と現代文化の間で現代のアイヌの人たちが作り出している芸術作品や彼らの地域での活動を展示する空間が用意されていた。この空間は写真撮影が禁止されていたため、写真がSNS上で話題になっていないが、ウポポイはこのような現代に生きるアイヌの多様な活動を展示することには成功している。(ウポポイはこの点をもっと発信すべきだ。)

失われた文化を現代の緒条件の中で復興する試みは、ウポポイに限らず少数民族についての博物館では一般的である。ウポポイの該当箇所が写真撮影禁止なので、代わりにカナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学人類学博物館を見てみよう。カナダの先住民についての豊富な展示を誇る同博物館はビル・リード(1920-1998)という現代のアーティストによる彫刻作品をモニュメントとして展示している。

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ビル・リード、「ワタリガラスと最初の人々」、CC BY-SA 2.0

この彫刻はハイダ族の神話を表現したものである。太陽、月、星を産んだワタリガラスは巨大なハマグリの中に啜り泣く声を聞いた。ワタリガラスがハマグリを開けると中から最初の人々が現れてきたという神話である。ビル・リード自身はドイツ系アメリカ人の父、ハイダ族出身の母に生まれ、母方の祖父から彫刻技術を習得した。トロントで働くかたわら、ハイダ族に限らずカナダの先住民のトーテムポールをはじめとする所蔵品を研究し、トーテムポールの復元や自身の作品の制作を始めるようになった。

「ワタリガラスと最初の人々」はかつて活発であった頃のハイダ族の手によるものではないし、作者のビル・リードも現代文明に浴した人間である。しかし、だからと言って「ワタリガラスと最初の人々」が偽物や紛い物のハイダ文化だと言ってこの博物館から排除されているわけではない。なぜならば、セトラー・コロニアリズムによって失われてしまった文化を、先住民が今置かれている諸条件の中で復興する取り組み自体が重要だからである。先住民の文化は過去の痕跡ではなく、現在の活動なのだ。

このことは、同博物館の他の展示物にも現れている。次の二つの写真に写っているパネルはそれぞれ、ポトラッチという儀礼が変容してしまったことについての当事者の内省と本来朽ちるに任せるままであるはずのトーテムポールを保存してしまうことについて議論を紹介している。いずれの場合も、カナダの先住民の文化は過去のある時点において結晶化されたものではなく、失われゆく過去と変容に晒される現在の対話として展示されている。

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ブリティッシュ・コロンビア大学人類学博物館の展示(2016年1月16日、著者撮影)

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ブリティッシュ・コロンビア大学人類学博物館の展示(2016年1月16日、著者撮影)

結論:文化は魅せなければならないのか?

国立アイヌ民族博物館の写真撮影が禁止されているエリアには同種の取り組みが展示されており、その点は積極的に評価されるべきだ。アイヌ版ビル・リードと呼ぶべき多くの人々の活動が実際の作品や写真と共に展示されていた。だが、それでもなお、ウポポイに展示の歴史的・学術的な説明が十分ではないことに私は懸念を持っている。国立アイヌ民族博物館の展示のパネルでも『月刊みんぱく』の特集でも「魅せる」という文言が使われているが、そもそもある民族の文化とは誰かを魅了するためにあるわけではない。だが、安田峰俊氏が以下の記事でウポポイが「インバウンド誘致と経済活性化という目的」を持っていると指摘しているように、ウポポイはかなりの程度観光の目玉として企図されており、その結果として視覚優位のディスプレイになっていると考えられる。

魅力を発信することは一見よいことのように思えるが、そうすることで現代における魅力競争という舞台に立つことを強いられてしまう。本来、ある文化の魅力とは大変複雑なもので、必ずしも一般的によいとされるものばかりではなく時にさまざまな欠点も孕んだものであるが、複雑性が捨象され「魅せる」ために写真写りのよい視覚的に魅力的なものに縮減して発信されてしまう。

別の言い方をすると、美人コンテストが定型の美の規範に従って女性の見た目だけを評価し女性として生きる喜びや悲しみや苦悩の豊かさを無視してまうのと同じ陥穽に、ウポポイも嵌まり込んでしまってはいないかということだ。小田原のどか氏の「わたしはあなたのアイヌではない」という表現はそういう懸念に基づいたものであろう。もし仮にアイヌの人々の側に「自分たちの文化を魅力的な形で発信し認知をえなければ生きづらい」という感覚が強くあるのだとしたら、その感覚自体が日本社会の中での不平等の現れである。ウポポイが掲げる「共生」という理念にもう一歩近づくためには、そのような感覚が生まれる環境自体を議論できるようになる必要があり、そのための努力はウポポイにだけ押し付けられるべきものではない。


謝辞:本稿の執筆に際しては「戦後映像芸術アーカイブ Postwar Japan Moving Image Archive」(@pjmiaofficial)の阪本裕文氏の以下のツイートに刺激を受けた。ここにお礼申し上げる。




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