VRと創作の思い出話 その2

2019年11月までを振り返った記事。これはその後のお話です。こういうのは一年毎くらいの間隔で書くべきものである気がしますが、ちょうど先日VRChatをクリア(※)してしまったこともあり、また何かと区切りのいい季節でもありますので、約半年間を振り返っていきます。

※「クリア」というのは、単に嬉しいことがあった程度の意でとらえていただけると幸いです。

あの記事は思ったより多くの方に読んでいただきました。ひらすらお気持ちでShaderを書き続けた私の有様は、それなりに良く見えたようです。Shaderで意志を紡ぐということ。”それしかできなかった”というのが正直なところではありましたが、自身の創作の在り方を、他の方の視点をもって改めて認識したのでした。

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これは先日フレンドの方にプレゼントしていただいた楽器です。せっかくなので(サムネ用も兼ねて)ご紹介します。

Shader Fes 2019

ShaderFes2019に4作出展しました。おきゅたんの配信の46:30頃から弊作品が置いてある部屋を紹介いただいています。「赤い糸」をはじめ、それぞれ多くの方に楽しんでいただけたように思います。3作品については前回の文章で書きましたが、「蝶」の模様は5人(+1)をモチーフに描きました。蝶の動きに”らしさ”をあげられなかったことやRaymarchedPairRingsの完成が間に合わなかったことなど心残りはありますが、弊作品で遊んでくれた方がいてくれたり他の方の凄まじい作品をたくさん見ることができたりと、非常にいい体験ができました。

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先の配信で「Shaderってなんなんだろうね」と言わしめたので「勝ったな」という感想を得ました。

VRC技術市と初のワールドPublish

VRC技術市という同人即売会に出展、同人誌の配布をしました。Living Particlesの改変については以前にTwitter等で紹介していましたが、多くの方に認知していただけるこの機会を活用することにしました。
これに先駆けて、改変したLiving Particlesを使用したワールド「Deep Blue」をCOMMUNITY LABSに公開しました。初めてワールドをPublishしたことになります。

ちなみにここではSurfaceShaderをHLSLに書き直してパーティクルがポイントライトの影響を受けられるようにしています。世界が真っ暗であろうとなかろうと太陽は必ず存在してほしいので。

このワールドはベールをかぶったあの子のために作った場所ですが、同時に青い光とパーティクルが魅せる景色が好きでした。VRC技術市を体のいい理由として、試しにと訪れた方がここでの景色を私に見せてくれることを期待して公開することにしました。そして私の思惑通り、私の知らない方までもが写真を撮ってTwitterに掲載し、私にたくさんの景色を見せてくださいました。無名の私が作ったワールドがわずか数日でPublic化したこともあり、思いの外好評であったようです。

時期としてこの少し前に「背景」についての議論がなされていました。ワールドを作り公開するということは、そこを訪れる方に対して何かしらの作者の意図が含まれていると思います。それは『”人”とコミュニケーションをする場になってほしい』『きれいな景色を観てほしい』『ギミック等で驚かせたい』など、いろいろです。なのでそれが実現したとすれば、その時点でワールド制作側の目的は達せられたわけです。VRChatのキラーコンテンツが”人”であることは否定できませんが、ワールドを作る方とそれを享受する方との想いが一致していたのならば、たとえ背景と揶揄されようと相手にする必要はなかったのだと思っています。

手段としてのShader

2019年は自力でコードを書くことがまともにできませんでしたが、それでも少しずつShaderを書けるようになってきました。我ながら良い進歩です。しかし、Blenderを触るとかテクスチャを描くとか、それ以外のことがほんとうにできなくて、やりたいことができると「とりあえずShaderでやってみよう」となってしまいます。

のらきゃっとの配信に影響されたことによるツイートです。

VRC内で楽器演奏する方が増えたらいいな~というお気持ちで作ってみました。モデルは私の所有するベースをフォトグラメトリで3Dモデル化したものです。動画ではリアル側でも実際にベースを持って演奏していますが、VRC側でも楽器をほぼ完璧に持つことができているのはShaderでモデルをいい感じに回転させているからです。
誰にでも扱える汎用性のあるものにしたかったのですが、後述の理由やダイナミックボーン方式・Unity2018で追加されたConstraints方式と比較して利点がないという悲しい事実に心を折られました。

一見するとBlender作業をがんばった報告に見えますがこれもShader芸です。VertexShaderで形を作った後にBlenderで微調整をするという、普通と真逆なことをやっています。これはどこかのますきゃっとが可愛かったという理由によるものです。

実装が偽であっても見た目が意図通りであればいいとは思うのですが、これらはすべてVRCのSafetyによるShaderブロックによってすべて無意味となります。特に楽器についてはカメラコンポーネントを使っているのでフレンドでなければ見えません(後日別方式に変えたのでフレンドでなくても見えるようになりましたが安定性に欠けています)。それ自体はSafetyの運用理念からしてまったく正しいので、Shaderに頼り切ることの弱さをこの辺りで実感することとなります。でも私にはこれしかないので、きっとずっとこうしているのだと思います。

憧れ駆動

この世界には、「すごい方(これは主観100%の意見です)」がたくさんいます。その方々に、当たり前ですが憧れという感情を抱きます。自分もそうなろうとしていたいので、それに従ってShaderを書いていました。

この「文章を書くこと」ですら憧れに対する模倣の一つでもあるのです。

一番わかりやすく憧れた例です。お三方が並んだ姿があまりに美しかったので。

FragmentShaderのみで絵を描くことがすごく楽しそうだったので、自分もそうなりたくて描きました。このShaderはNEORT初作品として公開もしました。

リアル知人に花を見せる機会があったのですが、すごく褒めてくれたので嬉しかったし、やってよかった気がします。

私はパーティクルライブが好きで、ときどき開かれるライブやワールドを観に行きます。とある方ととあるワールドでパーティクルライブを観ていたときシェーダー要素の話になり、「シェーダー書けるんだから作れるんじゃない?」と言われました。さすがに無理だとは思いながら、昔から好きなこの曲を聴いているといつの間にか手が動いていました。これをそれらの類似作と言うつもりはありません。アメリカ民謡研究会、いい音楽ばかりなのでオススメです。

イムラ・インダストリのロゴをShaderで書いてみたものです。実際には着色も含め完成しています。なんとなくマズいかなと思ったのでTwitterには載せていません。
この頃ぼんやりと考えていたことがあって。それは自分がShaderを書き続けている理由の一つに、「『ペンを持って描くお絵かきがまったくできない』というコンプレックスの克服」があるのではないか、ということです。今まで何をやってもビジュアル作りが致命的に下手だった自分が、やはり下手の横好きながらもプログラミングによってなんだかそれらしいものが少しずつ作れるようになっているのです。2DにしろRaymarchingにしろ、より良い絵が描けるようになりたいです。

最近流行り(?)のつぶやきGLSLもやろうとしましたがまったく絵にならず、過去に作った三角形を再構成しようとし妥協に妥協を重ねた結果がこちらです。タグすら入れられなかった。もっと”強く”なりたい。

VRChatのアップデートによりUDONが使えるようになったので作ってみました。このときの、いろいろな方がUDONを使って今までになかったものを一斉に作り出していたあの雰囲気がすごく好きです。全員の向かう方向性が違うのがまた素敵で、私の好きな某漫画にある「思考の差異者」という言葉がまさに当てはまります。あの空気感が、私がVRChatに感じた「革命」の予感なのです。

Shader1weekCompo

ブタジエンさんと避雷さんが企画・運営をしたShader1weekCompoに参加しました。思い出深い出来事だったので少し詳しく書きます。
お誘いをいただく前日に、何を思ったか本当にたまたまですが、ブタジエンさんと梶田さんがいらっしゃるインスタンスへ行きました。

ブタジエンさんとはここで初めてちゃんと会話した(DMでのやりとりは少しありましたし、ずっと昔に某所であいさつだけした覚えもありますが)のですが、いろいろなお話やお礼が言えて本当によかったです。
この翌日にCompoのお誘いをいただきました。丸一日めちゃめちゃ悩みに悩んだあげく遅いお返事をしたのですが、いざDiscordサーバーに入ってみると案の定強い方々しかいません(それはそう)。ShaderFesに参加したときと同じかそれ以上の胃の痛みを感じました。
この1週間はとにかくGLSLを書きました。目的意識を持ってShaderを書くことがすごくよかったし、ShaderToyやGLSLSandbox等にある、Shaderを書き始めた頃に見ていたShader達が、昔よりも読めるようになっていたのが自分の成長を感じて何より嬉しかったです。

NEORTにいくつか作品を投稿しましたが、ほとんど毎日何かしらはものを作っていました。TrianglesについてはNEORT公式のPICKUPにも選ばれ、本当に嬉しかったです。
これは後日の交流会の際にもお話したことですが、参加者の方皆さんがそれぞれ「いいもの(主観100%)」を作ってくるだろうという期待がありました。見た目のインパクトや技巧では、私など及びもつきません。私がやるべきはテーマに即して作品にとにかく”空気感”と”意味”を持たせることでした。作るのはわりとすぐで、箱を置いたら道が伸びて、そうしたら星が見えたというだけのことです。

あの景色を落雷さんが最高にしてくれたのも本当に嬉しかったです。

他の参加者の皆様の素晴らしい作品群を見ることができ、交流会ではいろいろと話が聞けていい刺激になりました。それに、『こんなに大きなムーブメントの中に自分の作品がある。』すごくドキドキしませんか?

アバターについて

ほとんどますきゃっとを使っています。他の販売アバターもいろいろ買ってはいるんですが、未だのらきゃっとの文脈から離れられないでいます。衣装を着せかえることができるようになってからというもの、着せ替え人形的に楽しんでしまっている節もありそれはそれで不誠実な感じもするので、諸々と並行しながら各衣装専用のカスタムShaderを作るということを実行しています。着物には花を、学生服には楽器を、といった感じです。

これはいい感じに描けた三角形。いっしょに映っている元デザインが素敵です。
とはいえまだ全部ではないので、いつか全部作りあげてまとめてみたいものです。

一年前に作った「回帰」と「破壊」をリファインしました。自分の中で「人でなさ」の象徴である櫻歌ミコと、「人間になりたい」願いの象徴であるますきゃっと。その両方を引き継いでの再スタートです。
そして私のメインアバターとして外せないのがもう一人、「リンツ」ちゃんです。

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かわいいですね。
アバターについて考えているとき、自分にとってリンツちゃんとは何者なんだろうということをずっと考えていました。たぶん「何者でもない」なんじゃないかと、今ふと思いました。確かに買った理由は”刺さった”からなんですが、他の販売アバターも含めて自分にとってこれ以上に”個”であろうとする必要のなさというのをずっと感じていました。
とはいえ。アバターを通しての「私らしさ」というのは今もよくわかりません。特に切望しているわけでもありませんし。ただ、思いついたこと、やってみたくなったことをひたすらやっていけば、最期にたどり着いた先で何かを思えたらいいなと、それだけは願っています。

これからのこと

前回、フォトグラメトリについての目標を書きました。現在の進捗は無です。

やはり広域フォトグラメトリは簡単ではありません。一度撮影したものを何度かあれこれしていたのですが、全然うまくいかなくて挫折中です。
それと前回の記事では「フォトグラメトリ作品をVRChatに持ってくるつもりはない」と書いてしまいました。

しかし、VoxelKeiさんのProject JAPANELANDが始動し、全国のフォトグラメトリによる時空間がVRChatに集まりつつあります。この機会を逃すわけにはいきません。前言撤回します。ここが今の目標です。某の機運があるのでそれを狙って動こうと思っているので、がんばります。

それ以外には、今現在は特にこれといった抱負がありません。たぶんこのあたりが、よく言われる『解像度』の話になるのかもしれません。この言葉自体今もうまく解釈できていないし、それに今は何も見えていなくて。でもこれは目指すものではない気がするので、こればかりは気長に、やっていき!です。

もう少しでVRChatを始めて3年目に入ります。ここから始まったたくさんの創作。本当に本当に楽しくて、憧れとの間にある果てしない距離も、人生をしているこの苦しみすらも時に愛おしく感じます。これからももっといろいろな人や物事に触れて、ここでの「人生」をより良いものにしていきたいです。

VRの世界は、多様な願いを託すに値する場所だと考えています。創ることだけが私たちにとってのすべてではありませんが、これからどのように進化していくのか未知数で、とても楽しみです。

またも長い文章を最後までご覧いただきありがとうございました。これからもこの世界の発展を切に願っています。

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さあ、次はどこへ行こう?











矛盾

以下ポエムです。

以前、こんなツイートを見かけました。

私の、私への願い(I'll be there.)と他者への祈り(I hope You are fine.)は、結果生まれた自己矛盾に苦しみ続けていました。その産物が『くっつく腕輪』であったのは、上記の話に当てはめると「いい話」「であった」し、2人を繋ぐものの成れの果てが手錠という罪の証だったというのは、自分としてもいいオチがついたな〜と思っています。まあ今になってふと思ったというだけのお話です。

私の願いはとっくの昔に蝶に乗せて届けているし、もはや呪いでしかなかったであろうものもほつれつつあるようなので、勝手ながら安心しています。あとはよい結果になればいいなというそれだけです。

おわり。