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母の介護サービス拒否物語り①

今回は、わが家の介護サービスの利用遍歴とその当時の母の様子について書き留めようかな。

長くなるため、おそらく二つの記事に分けます。
(※一つの記事もずいぶんと長くなると思いますので興味のある方のみお進みください。汗)

介護サービス利用の壁

介護認定を受けた場合、
介護保険を使った介護サービスの利用が可能になる。

けれど、悲しいかな「利用が可能になること」
「スムーズに利用できること」との間には壁があると思っていて…。

人によってその壁の厚さも高さも様々だろうけれど
壁がべらぼうにぶ分厚く、ばか高くてよじ登るのに苦労しているのは
ぜったいに我が家だけではないはず(o_o)

私の心は何度もこの壁にぶつかっては、心が折れ・・いや折れるどころじゃない、ペッシャンコのくっずくずに砕けて散らかってしまった。

あれこれ苦戦した末、現在はすてきな施設、スタッフさん達との出会いと、皮肉なことに母の病気の進行のおかげで(こちらの要因がかなり大きいかも)、要介護3の状態で3ヶ所の施設を併用中。

詳細はというと

[月・火]  → 施設A(特別養護老人ホーム)でショートステイ1泊
[水]       →施設Bへ通所
[木・金]  →施設Cへ通所 + 入浴&1泊(※入浴と泊まりは介護保険外)
[土]          →施設Bへ通所

と一週間がっつりコース。
諸事情により介護保険外で受けているサービスもあるし、介護保険限度額を超えるときもあるが、サービスを思いっきり利用させてもらっている。
これに関しては、悲しいかな私がイライラしてしまうほど超超超仕事人間な父の稼ぎのおかげである。
こうして何とか私も働きながら、母と暮らすことができている。

現在なぜ3ヶ所ばらばらの施設を使っているのか、母に負担がかかるんじゃないのかなど思われるでしょうけども
これにも致し方ない経緯が。このこともまた追い追い書けたらと思う。

このサービススタイルを2020年2月から始めて、もう8ヶ月ほど経つ。
驚くことに、このスタイルが一番長く続けられている。

これまで、施設を探しては下見し、お試しに連れていき、母が慣れるまでは荒れても我慢だと耐え忍び・・・。しかし、いつになっても施設に慣れる様子はなく荒れていき、サービスをうまく利用できずにまた施設変更のため新棚候補を探し…を繰り返してきた。

母も私も苦しんだ。

①訪問ヘルパー

母の介護サービス初利用は、訪問介護ヘルパーさん。内容は、ヘルパーさんに昼食と夕食の時間帯にわが家に来てもらって、母の食事作り&食事の見守り&食事後の片付けをやってもらう。

5年前にさかのぼる。
介護サービスを利用するに至ったきっかけは、母の激ヤセ。
当時、母は病気の進行によって料理がひとりでは作れなくなってきていた。

以前の記事にも書いたが、私が母の病気を知らされた電話口で父から言われた「ママの病気のせいで何かを諦めることはしないで欲しい。パパも、ママもそれは望んでないから」との言葉にあぐらをかき、その当時 私はまだ東京で暮らしていた。妹もまだ県外にいて、実家には父と母の二人きり。

父は仕事がら、朝出て行ってから帰宅は夜中(または朝方)になることが多かった(今も。)ので、父が朝出て行くときに母に食事代を渡して、母には自分でお弁当を買いに行かせて食事をとらせていた。

始めのうちは、それで何とかなっていたようだけれど、病気の進行と共に 母は自分がご飯を食べたかどうかが分からなくなっていき
どうやら何も食べてないことが多々あったよう。

加えて、近くのスーパーで同じものを買い続けていたことで 栄養の偏りもあったみたいだった。

2.3ヶ月足らずで10キロ以上痩せてしまい、ひどい貧血状態に。

母の異常な痩せ方に気づいてくれたのは叔母。(なぜ毎日あっているはずの父が気づかなかったのかと怒りたくなる気持ちはぐっと抑え、進めます。)

久しぶりに実家を訪ねてくれた叔母は母の激ヤセぶりに驚いて、母を病院に連れてった。

医者からは輸血が必要なレベルの貧血と栄養失調を指摘され、その報告を受けた私と妹は、このまま父に母を任せてられないと思った。
叔母からも、母の介護について真剣に考えてと、命に関わる話なのだからと訴えられた。

そこからしばらくは、貧血改善、栄養失調改善のためにと薬の力も借りながら、母の食事の管理&面倒をみるため 遠方に住む私と妹で交互に自分たちの一人暮らしの家に母を呼び寄せて過ごした時期もあった。

しかし私も妹も父ほど忙しくないとはいえ仕事をしているのは変わらない。母にも住み慣れたころを離れて暮らさせるのは負担をかける。
これをずっとは続けられない。
かといって、今すぐ仕事を辞めて帰ることも現実的に厳しい。

忙しさを理由に母の病気に対するフォローを後回しにし続けていた父も、これはもう介護支援を受けざるを得ない状況だと理解したようで、そこで初めて叔母のツテによりケアマネジャーにつなげてもらった。
今も変わらずお世話になっている方だ。

ケアマネと相談し、
そこから 昼夜の食事のための訪問ヘルパーをお願いすることになった。

サービスの利用開始当時、
母はしらないおばさん達(すみません訪問ヘルパーの方々)が家に入って台所でなにかすることに抵抗があったようだが
この当時、母はまだ少しだけ自分が病気であるという意識が残っていたので
快く!とはいかないものの、仕方なしに何とかサービスを受け入れてくれていた。

そこから半年はヘルパーさんに食事をお願いするスタイルが続いた。

半年経ち、私は職場から休職を頂いて実家へ戻った。
私が帰ってきたので、本来なら食事の管理は私がやれば済む。
そこで一旦サービスを受けるのを辞めようかとも考えたが、ケアマネと相談。
相談した結果、私も休職期間が明けたら復職を希望していたし、今後かならずまた介護サービスを利用しないと生活が成り立たないことを前提とすると
やっと慣れてきた訪問介護を今辞めるのは良くないのでは とのアドバイスを受け、少し利用回数を減らしはしたが 訪問介護ヘルパーのサービスを継続することを選んだ。

② 機能訓練特化型のリハビリデイサービス

食事以外の時間、ほとんどの時間をテレビの前にひたすら座って過ごしていた母。

当時、何とか母の病気の進行を食い止めたい。治らないのは受け入れるから、どうかどうかこれ以上進行させないで!とこちらは必死だった。

しっかりとした栄養、睡眠、運動が大事だと思っていたなかで 今の生活スタイルでは運動がどうしても欠ける。
そんなときにケアマネから提案、紹介してもらったのが②機能訓練特化型のリハビリデイサービス。

よくあるデイサービスとはちょっと雰囲気がちがっていて…ざっくり表現すると、【ご老人限定ゆるめのトレーニングジム】みたいなところ。

デイサービスとかに併設されているトレーニング用スペースがひろびろしたバージョンでマシンの種類が豊富な感じ。

ウォーキングマシーンや
エアロバイク、つり革みたいなのがついたストレッチする機械や
太もも。ふくらはぎを鍛えるそれぞれのマシーンなど諸々。
マッサージ機、ウォーターベッドなどリラクゼーション系もあったかな。

みんなで行うストレッチやアクティビティ?からスタートして、あとは各々のペースでトレーニングに励むという感じ。
疲れたらテーブルスペースでお茶、お喋りして休む利用者さんもいて、わりと自由さがあり、意欲をもって利用されてる方が多い印象だった。
利用時間も半日。
母の初めての施設利用にはちょうど良い時間だし、これなら楽しめるかも?と思い、利用をスタート。

しかし、私が実家に帰ってきたあたりからすでに 母にはもう自分が病気である自覚がなくなっていた。
ここから、わが家の母の介護施設拒否物語りがはじまります。 あぁ。笑

施設の方々&ケアマネと共に担当者会議を終え、契約を済ませ、母とも顔合わせ。
警戒心が激強モードの母はもうこの時点で「なぜか皆んなが私のことを話してる!私になにかさせようとしている!!」と感じており不穏気味でしたが、
施設のスタッフさんが明るくて若めの女性の方だったこともあり何とか 試しに遊びに行ってみることで話をつけた。

顔合わせ時の母の様子をみたケアマネと施設の方と私とで 母抜きで再度打ち合わせ。
病気である自覚のない母は顔合わせ後もしきりに「なんでアタシがいかないといけないの?!」とぷりぷり。

顔合わせ時の母の様子をみたケアマネと施設の方と私とで 母抜きで再度打ち合わせ。

母ひとりではまず送迎の車に乗らないだろう。
まずは安心して利用できるまで娘さん(私)にも付き添ってもらおう となった。

私も当時は、母が安心して通えるようになる前準備のために付き添いは必要だろうと思っていた。でもここで振り返って思うことは、始めから一緒についていくべきではなかったなと思う。 なぜなら、私はここから半年ちかく週2で利用するこの施設へ母に付きそい 振り回されるはめになるからだ。(TT)

さらに言えば、施設利用はまだ早かったのだろうと思う。これについてもまたいつかの機会に。


母の怒り

②の 機能訓練特化型のリハビリデイサービスに通いはじめた。

私と一緒にいる時は 施設のスタッフさんに愛想よく振る舞うし、素直に指示も聞いてトレーニングに励む。
けれど、母には進んで運動しようという意欲がない。
スタッフさんに促されて何とかマシーンを使ってトレーニングしたりするが
ひと段落するとお茶する用のテーブルに戻ってきて座ってしまう。
そして、同じく座って待つ私に 「もう帰りたい。おばあちゃんばっかり。ほんといやだ。なんでこんなことしないといけないの。」と愚痴をこぼす。

サボっているのを見つかってスタッフに誘われて連れていかれるが マシーンで5分ほどトレーニングしてまた戻ってきては愚痴る。
これの繰り返し。

母が愚痴るのも無理ない。
まわりは、80代、90代のご老人が多く、若くても70代という感じ。
その中に、54の母を通わせようとしているのは可哀そうだと、見ている私も感じてはいた。

それでも、なんとか今後のためにも施設利用ができるようになってほしい。ずっとべったり母と過ごしていた私個人としては、半日でもいいから自分の時間が欲しいので必死だった。

私が見えるところにいたらいつまでもサボりにきてしまうのかもと思い
試し通いをしばらくしたのち行き帰りだけ私も一緒に送迎車にのっていくが
始めのストレッチが始まる頃合いをみて
私は用事があるからちょっと出かけてくるね!と声をかえたり、気づかないうちにそっと母を残して抜け出したりしてみた。

そうやって徐々に離れて行こうとしたけれど、私がいなくなった途端 不安になって泣き出したり怒ったり。 スタッフさんもあれこれ対応してくれるが、施設から出ていこうとするようになってお手上げ。私が抜け出したのち、1時間せず施設から電話がかかってくることも度々あった。

施設へ戻ると、「どこに行ってたのよ!怒」と激昂の母。

もう送迎から一人で行かせてみようかとも試みたが、一人ではなかなか送迎車にも乗らない。手こずって結局スタッフさんに帰って貰わざるをえないこともしばしば。
たまに乗れたとしても、
「あとからあなたも来るんだよね?!」と私に強く催促をする。

そのうち、強行して利用させた日は自宅に帰ってきてからもしばらく怒ったり泣いたりし続けるようになってしまった。

「おじちいちゃんおばあちゃんばっかり!」
「あんなとこに私を追いやって」
「ひどい」

この時期 母が怒り、泣きながらぶつけてきた言葉のなかで1番辛かった言葉は
「みんな私の気持ちなんか全然分かってない!」だったな。

そうだよね ごめんね でも私もどうしたらいいのかわからないの と泣きながら受け止めるしかできなかった。

この辺から、病気の進行もあってか訪問介護ヘルパーにも拒否が出始める。

私がいると母はヘルパーさんから遠ざかり私のもとへ来てしまうので、できるだけ、ヘルパーさんに入ってもらう時間は私は家を開けるようにしていた。

「なんでおばさんが来るの?!怒」
「(出かける私を追いかけて)わたしも出てく!」 などなど言われながらもなんとか家を開けて 利用を続けていたころ 問題が起きる。

母、逃走中!

すでに書いた通り、当時 私も含め家族としては、これから必ずお世話になることになる介護サービスや施設利用に母を早めに慣れさせておきたいと思っていた。

ヘルパーさん来所時以外はほほ母と一緒にすごし
今ほど手がかからないものの、母のできないことを手伝わないといけない。家事もある。持病のせいで私自身も疲れやすい。

そして上に書いたように②の施設への付き添いやら 通いが上手くいかないことで イライラして、とにかくヘルパーさんが来てる時間くらい1人になりたいとおもい、怒ったりごねたりする母をまぁまぁ強行して置いて出てきていた。

いつものように何とか母を丸め込んで、ヘルパーさん来所時に家を出てきたときのこと。
私の携帯に、訪問介護ヘルパーさんから電話が。

「ちょっと目を離した間にお母様がいなくなってしまいました」

え?? なに?? 母、逃走中?

血の気が引いていった。
落ち着いて、落ち着いて。行くところはだいたい決まってるからと自分に言い聞かせ、母の行き先としてまず考えられるのは歩いて5分の妹の家。しかし妹に電話するが、母は来てないと。

私も出先から車を飛ばし急いで家に帰り、自宅付近を探す。
するとしばらくして妹家付近からわが家へ向かって歩いてくる母の姿。
やはり妹の家へ向かっていた。

わが家も妹宅もマンションなので、おそらくエントランスのところで部屋番号が分からず引き返してきたのだろう。

見つかって安堵したものの、この後もこういうことが何回か起こるようになった。
ヘルパーさんの隙を狙って飛び出してきている。母の逃走先は決まって妹のうちか、少し離れた場所にある 私の車の駐車場。

ヘルパーさんもさらに気をつけて下さり、母を見失いまではしないものの、

「いま お母様が逃げておられて、外を走り回っておいかけています」なんて電話がくることもあった。

現場に向かうと50すぎたおばさん同士が鬼ごっこでもしてるのか?というような光景になっていた。


この辺りで、介護サービスを利用させようとするけど上手くいかないことに私がほとほと疲れてしまい、介護サービスの利用を少しの間 完全にストップした。


ここからまたしばらくして施設探しと体験を繰り返す日々が続くのですが
やはり長くなりすぎたので ここまでに。
続きはまた別記事にします。

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