「挑発する皮膚―島田荘司論」 法月 綸太郎

【(…)島田荘司と赤瀬川原平の「作品」がお互いに歩み寄り、触れ合おうとする接点とは、事物の表面、表層的なものに対するデリケートな感受性にほかならない】

 テマティック批評である。
 テマティック批評とは―私の至極大雑把な解釈によると―作中に繰り返し出現するモチーフや単語あるいはシチュエーションを拠所に作品や作家の主題に迫る、という方法論のことであり、そう考えると前掲文などはテマティック批評の第一人者・蓮實重彦の語り口に極めて近似している。
問題は法月がなぜこのような手法を選ぶに至ったか、というその背景である。例えば、法月は自身初の評論集『謎解きが終ったら』のまえがきで次のような苛立ちを吐露している。

《「読み物」として面白い文章を書きたいという色気がいつもあって、その色気と思い込みが激しい分だけ、つい羽目を外してしまいがちなのである。そのせいか、作者の意図からかけ離れた極端な地点まで暴走してしまうようなことも珍しくない。しかしクリエイティブな批評は、そうした無鉄砲な試行錯誤の積み重ねの中からしか生まれないと思う。書評家カルテルの談合まがい(註)で定まった紋切り型のフレーズを持ち回りで手渡していくような流れ作業は、断じて批評の名に値しない》

そして「挑発する皮膚」は、法月が《作者の意図からかけ離れた極端な地点まで暴走》を試みた結果と言い得る。と同時に《紋切り型》を如何に打ち破るかという挑戦でもあるはずだ。驚愕のトリック、精緻なロジック、感動の結末…法月がこうした常套句を並べ立てることを拒む以上、如何にエラリー・クイーンを信奉しているとはいえ、所謂《後期クイーン的問題》を反復することはクイーンが打ち立てたその構図を《紋切り型》として定着させる行為に他ならないことを法月自身痛いほど理解していたはずである。彼の長い苦悩はその《紋切り型》からの脱却のための苦闘でもある。

★法月綸太郎(一九六四―    )…一九八八年『密閉教室』でデビュー。所謂〈新本格〉第一世代に属し、理論的なアプローチから創作活動を進める。二〇一三年から二〇一七年まで本格ミステリ作家クラブ第四代会長を務めた。
初出…「野性時代」一九九五年十月号
底本…『法月綸太郎ミステリー塾 日本編 名探偵はなぜ時代から逃れられないのか』(講談社)二〇〇七年一月

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