『VS-mystery essay "versus"-』序文

《現在、推理小説に“偶然”が必要不可欠なことは誰もが知っている》

 私は以前、思わずこんなことを口にしてしまったことがあります。

 しかし、残念ながら私はそれほど間違ったことをいっているとは思っていないのです。例えば、整然とした論理の世界の中に思わぬ偶然が介入することによって犯人を始めとする登場人物たちの悲哀がセピア色に浮かび上がって来る場合もあるでしょうし、また豪快なトリックを裏支えしている微細な偶然の数々が少し触れればたちまちに砕け散ってしまうガラス細工の儚い輝きを演出している場合もあります。こうした偶然に愛でること、そして小説の中に見出すことは決して浪漫主義者だけに許された愉しみではありますまい。
 
 しかし、こうした偶然にばかり目を凝らしながらミステリに触れる読者なんてそうそういるはずはありません。仮に、もしそんな読者がいたとしても、それはまるで謎とその解明の技術点にばかり気を取られているような味気ない読書と大差ないでしょう。むしろ、私たちが目指したいのは目を凝らすまでもなく、浮かび上がって来る偶然を自然に捉えること、そしてそこに作品の新しい相貌を見出すことではありますまいか。

 しかし、そのためにはどうすればいいのでしょうか? 答えは簡単です。偶然を起こせばいいのです。この『VS-mystery essay "versus"-』という企画は、正にそれを目指した企画なのです。ルールはいたって簡単。私の愛する短編ミステリの国内作品100本、海外作品100本を初出年順に並べます。そして並んだ2作品の偶然現れた共通点をひたすらに論じていくだけです。第1試合の「春の雪解」(岡本綺堂)vs「オイディプス王」(ソポクレス)から始まって、99番目の「鬼ごっこ」(殊能将之)vs「ふるさと祭り」(シーラッハ)までリストは完成しています(100番目は内緒)。その中には「藪の中」(芥川龍之介)vs「女か虎か・三日月刀の促進士」(ストックトン)や「死刑囚パズル」(法月綸太郎)vs「ジェミニー・クリケット事件」(C・ブランド)といった見ているだけでワクワクするような組み合わせがあるかと思えば、その反対にどう論じていいものか呆然とせざる得ない組み合わせもあります。例えば、松本清張とアイザック・アシモフの共通点ってなんなんでしょうか。また、京極夏彦とローレンス・ブロックについてはどのような切り口から入り込んでいけばいいのでしょうか。

 しかし、こんな不安がありながらも、私は楽観的です。だって、『VS』なんて謳っていますけれど、別に勝敗を決めるわけでもありませんから。これはむしろ散歩なのです。古今東西の名作を気軽に散策することで時代や作者の意図なるものを大きく超え、軽快に、気まぐれに、幼稚に歩き回る散歩なのです。

 もしよろしければお付き合い下さいね。

                             松井和翠

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