「明るい館の秘密クリスティ『そして誰もいなくなった』を読む」 若島 正

【この館は、どこまでも明るく影のない、「何も隠されていない」館である】

 第二回本格ミステリ大賞受賞作『乱視読者の帰還』の中で私が最も好きな論考は、ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』を論じた「秘密の家」である。僅か一〇頁の小論なのだが『レベッカ』を《通常のゴシック・ロマンスの枠からはみ出る作品として読み直し、そこからデュ・モーリアが心の奥に秘匿していたものを明るみに出そうという試み》がこれ以上ないほどに達成されている。
 だから、第二回本格ミステリ大賞の選評は大いに不満だ。

《ことに「Ⅳ明るい館の秘密」は名探偵の推理もかくや、というほどの切れ味で、自分は『そして誰もいなくなった』を読んでいなかったのだ、とまで思った》(有栖川有栖)

《若島正による『そして誰もいなくなった』の読解は、雑誌連載時に読んで驚嘆した一編である》(乾くるみ)

《『乱視読者の帰還』第四章は『そして誰もいなくなった』の翻訳文と作者が仕掛けた叙述トリックの関係を綿密に検証し、その作品の読解に新たな視点を打ち出している》(笠井潔)

《知的スリルに満ちた「明るい館の秘密」、〈ミステリマガジン〉連載中、真っ先に目を通した「失われた小説を求めて」等々》(川出正樹)

《同書のなかでも、特にクリスティとバークリーを巡る論考は、前者が〈腑に落ち〉、後者が〈新たな発見〉に満ちあふれていた》(末國善己)

《しかし、翻訳書に頼りがちだった従来のフェアプレイに関する考察を、原文との照合という作業によって覆そうとするここ数年の批評的流れ(法月綸太郎氏によるロス・マクドナルド論や小森健太郎氏によるクリスティー論など)の真打ち格として、『乱視読者の帰還』に(というより、その中の「明るい館の秘密」に)票を投じる意義は大きいという結論に達した》(千街晶之)

《唯一、若島の「明るい館の秘密」が無邪気な驚きとスリルを感じさせてくれた》(田中博)

《中の論考一編「明るい館の秘密」のみが候補と理解した》(野崎六助)

《若島氏の『乱視読者の帰還』の「明るい館の秘密」は『そして誰もいなくなった』論として秀逸であるばかりでなく、翻訳の怖さについて認識を新たにされたが(…)》(波多野健)

《若島氏の『そして誰もいなくなった』論、「明るい館の秘密」を読んだ時は、長年の疑問が氷解して、目から鱗が落ちるような気がしたものです。(…)それに比べるとあまり話題にはなりませんでしたが、「風俗小説家としてのバークリー」というのも刺激的な論考で、現在のバークリー再評価に先鞭をつけたことは、いうまでもありません》(法月綸太郎)

《実は、最もおもしろく読んだのは『乱視読者の帰還』、ことに「明るい館の秘密」でした》(氷川透)

《若島正『乱視読者の帰還』に収められた『そして誰もいなくなった』論を初めて読んだ時の衝撃は忘れ難く、海外ミステリを原著で読み、検証し直すという当り前のことが余りなされない現状を突いている点も買って、自戒も込めて推す次第》(横井司)

 僅かに「風俗小説家としてのバークリー」と第二章「失われた小説を求めて」が触れらている程度で、ほとんどが「明るい館の秘密」の絶賛評である。「秘密の家」の〝ひ〟の字も出てこない。まさか、みんな『レベッカ』がミステリだということを知らないのだろうか? ヒッチコックが《うちの子》(©有栖川有栖)にした『レベッカ』を!
 しかし、これだけ絶賛されていて「明るい館の秘密」を採らない方がバカみたいだ。民意に従います。

★若島正(一九五二―    )…英文学者としてウラジーミル・ナボコフの研究・翻訳に力を入れる。〈乱視読者〉シリーズは、独自の着眼点と平易闊達な文体で人気を博す一方、詰将棋作家、チェス・プロブレム作家としても著名。
初出…『創元推理』一九九六年一二月号
底本…『乱視読者の帰還』(みすず書房)二〇一一年一一月

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