「終わらない伝言ゲーム―ゴシック・ミステリの系譜」 千街 晶之

【だが考えてみればミステリそのものが最初から、近代と対立する時限爆弾じみた自己破壊因子をその内部に秘めていたのであり(…)】

 伝言ゲーム。
 千街晶之の批評には、このキーワードが深く刻みつけられているらしい。氏が近年、映像ミステリー多くの場合原作付きのー批評に重きを置いているのは、原作(小説)から映像(ドラマ、映画)へ、如何に伝言ゲームが行われているか、という強い興味からではないか。
 そういえば処女作「終わらない伝言ゲーム」を読んでいると、まるで早回しの映像を見せられているような、そんな感覚に陥った。
 千街はその中で《「館ミステリ」の歴史は、伝言ゲームに似ている》と指摘し、その《メンバー》を次のように指し示すのである。

《英国のゴシック・ロマンス作家たち→米国黄金時代の本格ミステリ作家たち(ヴァン・ダイン、クイーン、カーら)→戦前日本の探偵作家たち(江戸川乱歩、小栗虫太郎ら)→『幻影城』派及び島田荘司、笠井潔ら→新本格派及びその周縁の作家たち》

 ゴシック・ロマンスの嚆矢『オトラントの城』(一七六四)から『東亰異聞』『姑獲鳥の夏』(一九九四)までの二三〇年間を、僅か原稿用紙六〇枚程度の中で一気に駆け抜けていく、この感覚はいったい何に近いだろう。
 粥が炊けるまでのひと時に一生の夢を垣間見る中国の故事「邯鄲の夢」。
 それを裏返したかのようなナサニエル・ホーソーンの短編「デヴィッド・スウォン」。
 映画『カールじいさんと空飛ぶ家』や『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の冒頭。
 軸の違いはあるけれど『ぼくがらーめんをたべているとき』や『つみきのいえ』のようなスケール感もある。
 城昌幸の名編「絶壁」の、絶壁の上にいる〝なにか〟が見ている風景はこんな感じなんだろうか。
 いや、どれも似ているようで違う。なぜなら、伝言ゲームはいま私たちの目の前で行われているから。今日も、明日も。問題はそれを感知するかしないか、それに参加するかしないか、なのだ。

《そして、本を手にした瞬間に私たち読者もまた否応なしに、伝言ゲームの参加者として、流れを良くも悪くも変え得る実にきわどい立場に置かれるのである、ということを忘れるべきではないだろう》

★千街晶之(一九七〇―    )…一九九五年に創元推理評論賞を受賞しデビュー。二〇〇四年には『水面の星座 水底の宝石』で本格ミステリ大賞、日本推理作家協会賞をダブル受賞。現在、最も注目されるミステリ評論家の一人。
初出・底本…『創元推理〈10〉』(東京創元社)一九九五年冬号

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