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『太宰治の辞書』北村薫

日常を超えた世界への旅立ち。“私”の生活との関わりが薄いのが唯一残念【64】

 当然、本格ミステリを期待する読者、「砂糖合戦」のような“日常の謎”を期待する読者の欲求は満たされない。しかし、これもまた謎とその解決の、そしてミステリの一つのかたちであることも確かなのだ。そもそも、私は作者を“日常の謎”の代表選手等と思ったことがないのだ。むしろ、私は以前から、彼が日常が知らぬ間に、物語や文学、古典芸能といった抽象的な世界にワープしていってしまう、いってみれば“超日常の謎”の作家ではないかと思っていた。であるから、本作から『中野のお父さん』シリーズ、近年のエッセイ群を経由し、泉鏡花文学賞受賞作『水-本の小説』にいたる氏の展開は至極必然的なものといえよう。であるから、私はなんの違和もなく本作を読んだ。ただし、その楽しさの中に幾つかの疑問を感じたことも事実である。それは例えば、『六の宮の姫君』や『朝霧』にあった謎の探求に関する切実さ―《私》の人生と密接に絡んだ切実さ―が希薄になりつつあること、氏の文学観・小説観の持つある種の“甘さ”が益々顕在化していること等である。これらの問題と氏がこれから如何に対峙していくのか、それが私の最大の興味である。そのためにも《円紫師匠と私》シリーズは書き続けられなければ困るのである。

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