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祝祭はキスのあとに。 4話

 ターミナル駅のショッピングセンターにある楽器店は、休日なこともありそこそこの賑わいだった。
 店内の一角で、俺は華谷の買い物に付き合わされている。

「リードなんて、いつも使ってるのがあるなら通販でまとめて買えばいいだろ」
「高校生だからクレカ持ってませーん」
「そこは何とかなるだろ……親に頼むとかして」

 『デート』と言うから身構えていれば、連れて行かれたのは普段から行き慣れている場所で拍子抜けしてしまう。
 これはデートと言うよりも、単なる華谷の買い物の付き添いのような。

「クロスも新しくしておこうかな。今使ってるやつ、結構前に買ったものだし」
「…………」

 店内を物色する華谷の横顔を、何となく見つめる。
 私服姿の華谷を見るのも、彼の帰国ぶりだ。
 イケメンの割に私服がダサいとかなら少しは愛嬌があるものだけど、相変わらず華谷は年齢よりも大人びた装いで。定番のファストファッションのブランドで無地の服ばかり選んでいる自分からすれば、どこで洋服を買っているのか聞きたいくらいだ。悔しいから絶対聞かないけど。

「なーちゃんは、何か必要な物――」
「えっ! 華谷先輩!?」

 突然近くから聞こえた高い声に、俺と華谷は驚いて振り返る。
 視線の先には、一年のフルートパートの後輩が驚いた表情で立っていた。

「……と、吉野部長」
「おい、おまけみたいに言うなよ」

 彼女と一緒にいる数人の女子には見覚えがない。クラスメイトとでも遊びに来ていたのだろうか。
 そのうちのひとりが「アメリカに行ってた先輩だよね?」とフルートの後輩に耳打ちする。どうやら華谷の存在は、一年生の間でも有名なようだった。

「先輩たちも買い物ですか?」
「ううん、お忍びデートだよ♡」
「えっ!? ギャーッ! お邪魔しました!!」

 華谷の返しに興奮した後輩たちは、奇声を上げながら蜘蛛の子を散らすように去っていく。とんだ迷惑だ。店と俺に。

「お前さぁ、混乱を招くようなこと言うなよ……」
「だってほんとでしょ」
「違う! ただのサックス吹きとトランペット吹きの休日だろ!」

 余計なことを言うと部活の運営に支障が出ると諭すも、華谷は真面目に聞いているのかいないのか分からない調子だ。

「今さらデートとか変なこと言うなよ。これまでだって、よくふたりで出かけてーー」

 そう言いかけて、ふと思考が止まる。

「なーちゃん?」
「……いや、何でもない。早く会計して来いよ」
「うん? 分かった」

 素直にレジへ向かう華谷の後ろ姿を、俺はぼんやりと眺める。
 それは、華谷から名前で呼ばれた時に感じた妙な居心地の悪さと同じで。思えば、これまでどんな顔をして華谷とふたりで過ごしていたか思い出せない。

(今日みたいに楽器屋行ったり、ふたりで出かけたりだって沢山してきたはずなのに――)

 変な夢を見たせいか、なんだか今日は妙に華谷のことが気にかかってしまう。
 そもそもこれまで、こんなイケメンが隣にいて、よく何も意識せずに過ごせたな。
 どうしてこれまで普通だったはずのものがそうじゃなくなって、どうしてこれまでみたいな『普通』に戻れないんだろう。

(……結局、全部あいつのせいだ)

 これまで普通の友達として仲良く過ごしていたのに、華谷が勝手にいなくなったせいだ。
 今日見た華谷の変な夢のせいだ。
 華谷が突然デートとか言ったせいだ。

 悶々とそんなことを思っていれば、会計を終えた華谷がこちらへ戻ってくる。
 ままならない感情は全て華谷のせいにして、とりあえず俺はやり過ごすことにした。 

 ♩ ♩ ♩

 海外から帰って来たばかりの華谷は、色々と行きたい場所があったようだ。
 その後も雑貨屋に本屋と付き合わされ、しまいにはお礼にと昼飯をごちそうになってしまった。

 ファミレスで空腹を満たした後、戦利品を手に上機嫌な華谷と駅中のコンコースを通る。
 何気ない会話をしながら歩いていれば、ふと「あ」と華谷の足が止まった。

「あのピアノ、まだ置いてあったんだ」

 指さす先には、色褪せたアップライトピアノが壁際にひっそりと置かれている。
 物心ついた頃には、既に置かれていたストリートピアノ。そんなものよく覚えてたなと感心する俺を差し置いて、華谷は嬉々としてピアノに駆け寄った。

「ねぇ、なーちゃんあれ弾いてよ、『きらきら星変奏曲』」
「はぁ? 全然練習してないし、もう弾けないよ」
「うろ覚えでいいから。ドドソソララソくらい弾けるでしょ?」
「なんだよ……てかお前ほんと好きだな、その曲」
「うん、だって思い出の曲だから。昔、なーちゃんが音楽室でよく弾いてくれた」

 渋る俺の肩を抱き、華谷は無理矢理ピアノの前に座らせる。
 ……どの音から弾くんだったっけか。
 けれどそう思うよりも早く、指が鍵盤を押し込んでいた。

(……あれ、)

 鍵盤の上を跳ねる自らの指を見て、一年、いやそれ以上練習していなかった曲が自然と弾けていることに驚く。
 ピアノが弾けることは、高校に進学してからも特に公言していなかった。
 ピアノを辞めたのだって、人前で演奏して体調が悪くなったからだけど……今難なく弾けているのは、華谷が隣にいるせいだろうか。

「なになに、動画配信?」
「え、上手っ。高校生?」
「大学生じゃないの? 隣にいる人、高校生には見えないでしょ……」

 背後から聞こえるひそひそ声に、周囲に人が集まってきていることを察する。
 思わず隣に目をやれば、華谷はピアノに肘をつき、今にもとろけそうな表情で音色に聴き入っていた。

(……なんだよ、そのアホ面)

 華谷らしくない、だらしない顔に思わず噴き出しそうになって、再び視線を鍵盤に戻す。
 ところどころで音符は飛ぶし、汚い音は出るし、完璧な演奏からは程遠い。
 けれどキリの良い場所まで弾いたところで手を止め、ふと振り返れば――
 ピアノの周りに集まっていた観客から、パチパチパチ、とまばらな拍手が起こった。

「――以上! ピアノもトランペットもできる天才、吉野七斗くんの演奏でした~」

 人々に向かって手を広げ、突然MCよろしく話し出した華谷に「は!?」と驚いて目を剥く。

「祝央大学付属高等学校吹奏楽部、今度駅前でクリスマスコンサートやるんで良かったら来てくださーい」
「おい、勝手なことするなよ!」

 華谷の発言に「え、祝央生だったの!?」と周囲からも驚きの声が湧く。
 しばらく華谷と談笑していた人たちは、やがて楽しそうに去っていった。

「お前……だから混乱を招くようなこと言うなって……」
「なーちゃん、やっぱり天才だよね」
「は?」

 突拍子もない華谷の言葉に、またもや聞き返す。

「全然練習してないとか言って、ちゃんと弾けたじゃん。そこがなーちゃんのすごいところなんだよなぁ」
「馬鹿言え。あんなの弾けたうちに入らない。音、思いっきり飛んでただろ? 強弱記号だってうろ覚えだし――」
「誰も完璧な演奏なんて求めてないよ?」
「!」

 何気ない華谷の発言に、思わず息を呑む。
 地面に置いていた紙袋を持ち上げながら、華谷はふわりとこちらへ向かって微笑んだ。

「完璧じゃなくても、お客さんは満足してた。それだけで十分でしょ?」
「…………」
「なーちゃんの演奏は、人を笑顔にする力があると思う。昔も今も」
「……そんなの、お前だってそうだろ」

 相変わらず能天気な華谷の発言に、もやついた気持ちが渦巻く。

(……天才はお前だっての、華谷響)

 もし今ここで華谷がサックスを持っていたら、間違いなく彼の演奏が観客の喝采をさらっていただろう。
 事実、留学を終えて帰って来た彼の音色は、まるでプロの演奏かと思うほどにのびやかで、色気のあるものになっていた。まだ成人もしていない男子高校生の分際で。
 自分だって、大学では音楽を学んで、いつかは海外に留学だってしたいと思ってたのに。

(『なーちゃんは天才だね』、なんて)

 他人を褒めておきながら、華谷はいつだって、やすやすと俺の目指しているものを超えていく。
 灰色に渦巻く感情を押し込めるように、俺はぱたんとピアノの蓋を閉めた。

「……そろそろ帰る。お前に付き合わされるのも疲れたし」
「そうだね。なんか俺もサックス吹きたくなってきた。帰ったら練習しようかなー」

 いくら華谷がこれまで通りに接してくれたとしても、俺はそれに応えられる自信がない。
 だって、華谷は変わってしまった。俺も変わった。

 ――もう、俺たちは昔のままではいられないのだ。


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