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ア・冬優子イズム感想

はじめに

初めまして!ショウと申します!
いつもはTwitterでただ感想垂れ流してるだけなんですが、今回初めてこういった形で文章に纏めてアウトプットしてみようと思います!

まず、結論として私は「アイドルふゆ」としてパラコレとは全く逆のルートになると思ってます!

下記そこに至るまでの感想を書いていくのですが、ある程度章ごとに分割しましたがくっそ長いので気になるところだけでも読んでいただけると幸いです

今回、大きく7つの主題に分割しました(多いですねw)


1.『三人称虚数』

1つ目の章題である『三人称虚数』について、まず私は一人称が「冬優子」、二人称が「P」であり、三人称というのが「ファン」の視点のことでその三人称が虚数であるという章題と解釈しました。
つまり、ファンから見た冬優子である「ふゆ」が虚数という考えです。

本コミュ内で下記のようなセリフがありました。

「皮膜境界線」 ア・冬優子イズム
同上

このセリフから、「アイドル=マイナス」であると置かれている訳です。
-1とは虚数の二乗です。
つまり、「-1アイドルふゆ×もう一つの虚数」となると解釈しました。
さらに、私はもう一つの虚数は「噓」だと思いました。
噓とはいいかえると虚言です。
私は今回のコミュで「アイドル=ふゆ×噓」を暗喩しているんじゃないかなぁと解釈しました。

2.『波はいつも余白をめざす』

次に2つ目の章題である『波はいつも余白をめざす』についてです。
私はこれに関して「波」はファンなどの「世間」、「余白」は見えていない部分である「冬優子」のことを指しているのではないかと考え、世間がふゆの見えていない余白を求めているのではないかと解釈しました。
世間がふゆの見えていない余白があると気づき始めているのは「三文ノワール」等過去のコミュからも薄々感じられますし、今回は特に顕著に分かります。

少し例えを用いた表現をしますと、冬優子のことを一枚の絵としたとき、一番見せたい主題は「アイドル」,「ふゆ」だと思うんですよ。
ただ、世間がその絵の周りの余白の存在に気づき始め、まだ色のない余白の彩りを求め始めているように思います。
一見余白が彩られると絵全体として鮮やかになるように思いますが、彩られた余白の割合が大きくなればなるほど、元々見せたかった主題は埋もれていってしまします。

今の「冬優子」が求められ始めている現実に伴って、「ふゆ」の存在が希薄になっているように私は感じました。

3.「女優、デザイン」と「アイドル」

今回のコミュでは「デザイン」の仕事、三文ノワールでは「女優」の仕事をこなしてきたように、最近の冬優子は「アイドル」以外の仕事が多く描かれているように感じます。
また、今回のコミュの中で、デザインとは足し算でなく引き算をすることで完成に近づくと語られていました。

「皮膜境界線」 ア・冬優子イズム

私はアイドルという冬優子に軸に女優やデザインという要素が足し算されていっていると思い、今後引き算が行われていくのではないかと解釈しました。
この引き算が、単純に要素を省いていくという話であるならば、「アイドル」を省いた世界線がパラコレとも取れるし、今後展開される流れとして「アイドル」に絞って「女優」や「デザイン」を省いていくとも考えられます。
ただ私は、「アイドル」をより足し算していくことで、引き算を行っていくんじゃないかなぁと思いました。
上項でも書いたように「アイドル」はマイナスの要素であると言われてますし、「ー」を「+」することにより引き算を行う。
つまり女優などを捨てるのではなく、よりアイドルとしての大きな輝きを世間に見せつけてくれるんじゃないかと思いました。

買い被りや過信と思われるかもしれませんし、実際そこまで強くないのが人間だというのも分かります。
ただ、私は冬優子ならそんな常識を鼻で笑って、ふゆを見せつけてくれるんじゃないかと思ってしまってます…良くない…

4.「冬優子」と「ふゆ」

ここまでで何度か書いてきましたが、私はファンに見せている「アイドル」を「ふゆ」、それ以外のファンから見たら新しい一面であり求められ始めている部分を「冬優子」を考えています。
冬優子はこれまでもきっとこれからも、求められるものに対して真剣に取り組んで結果として残していくはずです。
「冬優子」を求められるならば全ては見せないものの、やはり応えていこうとしていくと思います。
その結果、「ふゆ」が段々と「冬優子」と混じっていってしまう、または絶対に「ふゆ」である必要がなくなってしまっているのではないかと思います。
今回のコミュ中でプールから上がってくる場面がありましたね、そこで上がってくる瞬間は「冬優子」であったと私は読み取れました。
これは「ふゆ」としてプールには入ったものの「冬優子」しかプールから出てきていない、「ふゆ」はまだプールの中、水の中に残ってしまっているような感覚を覚えました。
私の解釈を元にしたら、「ふゆ」を残してプールの外に進んだということは「アイドル」を残して出てきたとも取れてしまいます。
「アイドル」以外の仕事で「冬優子」が羽ばたいていくほどに、「ふゆ」は水中に潜っていってしまうというような暗喩にも感じ取れてしまい、まるでパラコレのルートは本当にあったかもしれない可能性だと叩きつけられているかのような感覚に陥りました。

しかし、こうも取れるのではないかと思いました。
「アイドル界」という大海原の偽物であるプールの中にいるのは「ふゆ」であるという捉え方です。
この視点で見ると、今は段々と酸素が薄くなっているが、やはりアイドルは「ふゆ」と言えるのではないでしょうか!

5.「the」と「a」

今回のカード名である『ア・冬優子イズム』ですが、あらためて言うまでもないかもしれませんが『ザ・冬優子イズム』と「the」と「a」の一文字違いですね
ふんわりとしたイメージでは「the」はそれと確定できるが、「a」は確定できません。
私はこの変化が冬優子自身から見た冬優子イズムの変化だと解釈しました。

以前の冬優子は好かれない一面を絶対に見せない、ファンには「ふゆ」を見せて魅せつけてやるという強い根幹の考えを持って、スタッフ等に聞かれる可能性がある場ではPに対しても「ふゆ」で話しているほど徹底していたように感じます。
しかし、最近の冬優子はそこの部分があいまいになってきているように感じました。今回のコミュでもスタッフのいる場で「冬優子」としてPと会話しているような描写があったり、以前では絶対しないようなシーンがあるように見えました。
これは私は、Pやストレイが受け入れてくれたり、世間が「冬優子」を求め始めているのを冬優子が感じていることで、冬優子の中で「冬優子」が絶対に隠さなければいけないものじゃなくなり始めているのではと解釈しました。
その結果として、冬優子の中で以前ははっきりとしていた冬優子イズムが段々と揺らいできて「the」と特定できるものじゃなく、存在はするけどはっきりと断定できないものとなってきてしまっているのではないかと解釈しました。

6.パラコレに感じた違和感

私はパラコレの時から強く感じている違和感が一つあるんです。
それは「冬優子とふゆが混じっているのではないか」という点です。
抽象的すぎるので少し説明しますと、私はパラコレを読んだときに話し方は「冬優子」なのに声色は「ふゆ」だなぁと思っていました。
大人になって声色が落ち着いたからであったりアイドルをやめたからPに対しても「ふゆ」で対応しているという考えも確かにそうかもしれないと思っていたのですが、私としては冬優子の中で「ふゆ」が居なくなってしまっていたのではないかと思っていました。
理由としてはいくつかあるのですが、一番大きいのはライブ衣装でのホームボイスです。

紅茶夢現 無凸ライブ衣装ホームボイス
紅茶夢現 1凸ライブ衣装ホームボイス

このボイスでは『未来』『過去』どちらのことも「ふゆ」と呼んでいます。
まず、『未来』に対しているー?と呼びかけているのは私は将来への不安定さ、進んだ先の不透明さが表れているのかなぁ…と思いました。
私がより「冬優子の中で「ふゆ」が居なくなってしまっていたのではないか」と思った理由は1凸ボイスの方です。
『過去』に対して「ふゆ」と呼びかけているというところから違和感を感じてしまったのです。
「ほら、行くわよ」という呼びかけは『過去』よりも『現在』に対して呼びかける方が妥当なようにも感じますし、そもそも「ふゆ」に対して呼びかけているということから、呼びかけることにより「ふゆ」の存在を自分に言い聞かせているように感じてしましました。
冬優子自身が「ふゆ」の存在が曖昧になってしまった結果、それでも「ふゆ」に縋るというか自分に言い聞かせていることが『過去』となっているのではないかと解釈しました。

7.今後辿りそうなルート

初めにも書きましたように、私は今後冬優子がパラコレと全く逆のルートを進むと思っています。
もう少し細かく言うと、「ふゆ」をより強く世間に輝かせていく、「ふゆ」がアイドルなんだとぶつけて行くのではないかと思っています。
私はパラコレは「ふゆ」と「冬優子」が一緒になってしまった、アイドルをやめてしまったルートであると解釈しています。
その真逆を行くという予想ですね。
パラコレではPが倒れてしまったという描写がありましたので、その逆のようなコミュが今後来るのではないかと思っています。
例えば「世間に「冬優子」を求められて、それに応えようとしてオーバーワークで冬優子が倒れる」と言ったようなコミュがあると予想してます。
また、その中で改めて冬優子はアイドルであり「ふゆ」で世界を騙くらかしてやるんだから!というような決意を改めて固めるような場面が来るのではないかと思っております。

正直このような予想をしているのは、私が「ふゆ」も「冬優子」もどちらも大好きだからというのが大きすぎて理由は後付け感が強いですw
私はこのコミュを読んだ今でも「ふゆ」が最後いなくなるとは微塵も思っていません。
「冬優子」が受け入れられて、「ふゆ」が要らなくなって丸く収まるなんてのは私は悲しすぎるし、私は「ふゆ」も「冬優子」も全部ひっくるめて冬優子の全部が本当に大好きなんです!!(クソデカ感情)

さいごに

最後となりますがここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
こんなに長いものになってしまうとは…
最初にも書きましたがこういった形でのアウトプットは初めてだったので、読みずらい部分や纏まりのない部分等ある駄文となってしまっているかと思います…
また、なるべく個人的な感情によるものは排除したつもりではありますが要所要所漏れ出してしまいすみません…w

また、今回ファーストインプレッションを書かせていただいたものなので、私自身まだまだ深堀できる部分は山ほどあるのも自覚しております(イリイズムが自分を三人称から見るという意味などは明らかに深堀できる箇所でしょうし…)

今回書いた経緯として仲良くさせていただいてる方に解釈を共有させていただいた際に「中々ない視点のものも多いから文章に纏めてくれ!」と背中を押していただけたのが大きなきっかけとなりましたので、この場をお借りして感謝申し上げさせていただきます!

また今後こういった機会あればアウトプットしていきたいと思いますので、その際は何卒よろしくお願いしたく思います。

以上、ショウでした!

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