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ズッ友(神聖かまってちゃん)の歌詞とMV考察

はじめに

数年前からずっと好きな曲の一つ。

初めて聞いた時の最後のサビの衝撃が、まだ余韻で感じられるくらい。
ヒトリカラオケで何度歌ったことか。

神聖かまってちゃんの『自分らしく』『夕方のピアノ』『ベイビーレイニーデイリー』も同じく好き。ライブverも好き。カラオケでこの曲を歌おうとしたら、偶然好きな同性の先輩(同性では初恋がその人だった)がレジ打ちしてるのと、バッタリあって、このなんだろう…心臓がバクバクして、はやく話したいって、犬みたいな顔して、その目を見つめてしまう…….って思っていたあの時の、懐かしい青春を思い出す。

心臓バックバクになりながら先輩と、久しぶりだね、元気?と話して、その後一人のカラオケ部屋に戻って、感情的にこの曲を歌った、あの時。

恋をすると自分って相手の犬みたいになるんだなと、なぜか強烈に実感した日だった。その時の自分は、そこまで自覚なかったんだろうけど、私はフツウに恋とやらができる人間だったみたいだ。

恋と愛の違いが分かってない頃の、純粋な感情、(本当は今もその違いが全くわからないけど)あの時の素直さを思い出す曲。

今年入って、数ヶ月ぶりに聞いて、春はこの曲が似合うなと思った。
曲も好きだが、歌詞とMVもすごく好き。

だから、この曲の解釈を深めていきたい。
普段はネットの歌詞解説、考察見がちだけど、今回は自分だけで考えて書いてみようと思う。


1.サビ前の部分

春の日の午後

雨はちらつき

涙もろいね季節はずれだ

初恋はまだ黙り続ける

涙が出たと勘違うから

きっと言葉にできないよねと

隠れ場所でも探してみるか

教室を出て真実を見てほしいから

〈歌詞の考察〉

春の日の午後って柔らかい光が差し込んで、暖かいっていうイメージなんだけど、そういう春の季節の中でも、心の中で雨がちらついて涙もろくなってる本人がそこにいるんだと思った。

『初恋はまだ黙り続ける』という言葉の裏にはやっぱり、過去に好きになった相手が異性愛者で、MVの子にとってはその初恋は誰にも言うべきではなくて、相手に伝えることもできないままで、また春を迎えてしまったみたいな……感じなのかな。それとも、今好きになった相手、教室にいる同性の相手であったり、黙るような関係があるとも解釈できるのかな。
解釈はいろいろあると思えるが、ここからはMVの子が同性愛者という体で考えてみる。

『きっと言葉にできないよね』っていうのは、まさにMVで無言で見つめ合う二人の中にあるものだと思う。二人の手が白い糸で絡まっている。
言葉にしなくてもわかるもの、本人にしかわからない痛みや過去のしがらみが、分かり合えるもの同士の世界が、今そこに生まれたんだなみたいな。

何かの少数派の者同士が分かり合えた瞬間、繋がった瞬間ってまさに夢心地って感じがするよね。恋愛という意味で惹かれるというよりかは、二人の根本が同じで繋がってるように見えて、仲間なのか親友なのか恋人なのか言葉で言い表せないナニカが確かにあるんだ。

その遂に分かり合えた者同士が『隠れ場所でも探してみるか』『教室を出て真実を見てほしいから』と言ってるような感じが良い。
「こんな教室を抜け出して、二人の生きる場所を見つける旅に出よう」みたいな感じが良い!逃避行っぽい。

教室の中では、そのような二人を否定するようなクラスメイトや先生がいるかもしれない、それに男子や女子という制服やルール、季節の行事などの括りがたっくさんある。子どもの時の本人たちにとっては、それって案外大きな権力に見えるんだけど、一歩踏み出して外から学校を見てみれば、教室なんてちっぽけに見えるんだよね。

そんなちっぽけな世界抜け出して、二人になろう!みたいな勢いが感じられて、聞いてて気持ちがいい。

〈MV考察〉

MVに出てくる2人を指す時、茶髪ぽくて歌詞上の君にあたる方を『君』
歌詞の主人公?視点の方を『の子』(さん)と呼んで書いてく。

前奏のところのMVでもう気づくんだけど、
廊下に白い糸か、縄?みたいのが通ってるんだよね。

この白い糸はMVのところどころによく出てくるんだけど、あやとりをしてからまってる二人とか、単に関係とか感情の複雑さと言うわけではなくて、ただただ二人に続く糸が、二人の中で感じるような『つながり』の絡みをあらわしてんのかなぁ…..と自分は思った。

前奏ではバンドのメンバーが学校の中で、普通にはしゃいだり、落書きをしたりと言うことをしている。そしてメンバーが外に出ていった、そのあと、歌詞の初めで教室にいる二人が出てくるっていうのも、なんか、そこ(教室)にいるのは二人だけなんだぁと実感が湧く。

消しゴムを落として初めて目が合った二人のシーンも。
全体的に白い光に包まれてて、すごい(語彙力)
あと光の中で虹が画面内に生まれているというのも、虹(=LGBTQ)とかの示唆がここで出ているよね。

目が合った瞬間も、二人の手が一瞬すごい糸で絡まっていて。

言葉にせずとも伝わるような、感覚を超えた繋がりが二人の中にあるということが強調されてる。
の子がその子を見た時も頭のほうに虹があり、目が合った瞬間、ポロッと涙が流した子の顔の近くにもアーチ状の虹が見える。

その子の表情からか、背景か、心情に、“何か”に気づいたの子が、ハッとしたような真剣な眼差しで見つめている。
そこで、お互い似た感覚に気づき、そういうものを持ってるもの同士として、この教室を抜け出していったのかな。外に出たあと、ノートがパラパラってなってて、何書いてたのかなっていうのも気になった。

1.サビ部分

たまに歌えばいいのかな

君に出会ったんだ

白目に咲いた物語

2人だけになりたい

激しくキスしたら ズッこけていったんだ

あやとりする君と

絡まる鏡の中で

〈歌詞の考察〉

君に出会ってからの出来事がここからぎゅっと詰まってく感じが、良い!サビのリズムも気持ちい。

『白目に咲いた物語』の咲いたという表現が綺麗。現実の白目なんて、ひどく冷たくて痛々しいものなんてわかってるけど、そんな中でも2人だけの物語、人生を生きているっていうのが生々しくて美しい。

『あやとりする君と絡まる鏡の中で』は、君との繋がりがどんどん深くなっていて、2人は鏡のようにお互いがお互いを映し出すような存在で、この身で表裏一体、精神的に2人で一つみたいなところまでいってるのかなと予想する。あとガラス窓とかじゃなくて、鏡の中にいるってことは、中から外が見えないってことだよね。中から見たら、二人しかいないっていう錯覚に陥りそう。まさにふたりで絡まりあってるのか。

〈MV考察〉

サビから一気に雪景色に変わる。

雪の中ではしゃぐ2人の世界は、まるで真っ白で他に誰もいない。
2人だけの世界って感じが強いよね。

カットで写ったの子の横顔が、神妙そうに見えて、サビ前の真剣な顔と似てる。君と仲良くなった後でも、の子はまだ君に対してナニカ、過去に考えたものだったり、今の状況を感じてるのかもしれない。

対して君はとても笑顔で雪(白目に咲いた物語)を迎えてるような、顔に見える。

ここであやとりが出てきた!手と手(の間に糸)が絡まり合った時と似ている。2人でその糸を使って遊んでいる、比較的小さな糸なので、まだ関係が最初の方というか、友情的なものが多い感じがするよね。


2.サビ前の部分

春の街角

そんな場所など ないと思うよ

信じ込むこむから

理科室の窓 開けないとほら

涙が出たと 勘違うから

ママに言えないことができてく

まるで私は 季節はずれだ

教室を出て ヒトカラ駆ける街の中

〈歌詞の考察〉

「春の街角で暖かい空気の中、身を隠せるような場所などないよ」と学校から言われているような………みたいなふうに解釈した。

理科室とか、学校の教室とか、そんな中に生きてると2人のような人は、『涙が出たと勘違う』ような感情に苛まれるのかなと思った。

『ママに言えないことができてく』というのは、2人の関係自体ではなくて、学校を抜け出して、2人の中でしてしまったことだと思う。

学校という季節の循環から外れて、街で2人だけでしたことが増える度、その中で感じる周囲への感情も変わってくよね。
『ママに言えないことができてく』って言葉にただの『思春期』では本来、収まりきらないような、2人の大きな世界があることが胸に刺さるよなあ。
『ヒトカラ駆ける街の中』のヒトカラという言葉を聞いた時、最初は『人から』と思ってたんだけど、調べたらカタカナ表記になってるんだよね。

ヒトカラって言葉で思い浮かぶのが、一人カラオケなんだけど……
学校から抜け出して、街の中の一人カラオケして『私』がどんどん学校から離れて行って『季節外れ』になっていくみたいな、感じにもなるのかな?

〈MV考察〉

学校の廊下をグラグラと通り抜けていくような映像の後で、2人が夜の街でソフトクリームを手に取ってスキップしてる様子に変わるんだよね。

なんかここで、サビの時の友情感からヌルッと変わって、2人の間の性的なもの、関係の中にある無邪気な性的なことが想起できる気がしないか。
個人的に、ソフトクリームをお互いの顔に押し付けてるのは、そういう気がする。あーんして食べさせ合うというカップル的なものじゃなくて、無邪気に「食べてよっ♫」言ってるような、でもその中に少し性が芽生えてるみたいな感じ。

第一印象で、顔へのアイスの押し付け方、食べ方が、なんかフェラっぽく見えた。後半に性行為の暗示みたいのもあるけど、ここでのアイスの押し付けもやっぱ、性行為の前段階ぽくも見える。

それと、そんな夜中でも、2人を探すような、手持ちライト見たいのがグラグラ揺らいで見えるのが、「春の街角 そんな場所など ないと思うよ」という歌詞ぽく感じる。2人が夜中に、外に出て誰もいない、誰にも知られない場所に行っても、きっと誰かが、親が先生がクラスメイトが、見つけるよみたいな。
それか、街角で待ち合わせするような、ぶつかるような場所なんて2人にはないよ。だって、白い糸で絶対会うって信じてるから、自分達にそんな場所いらないわ!みたいなポジティブな意味か。


理科室のカーテンの中で、2人でキスをしているっていうのも、学校の中で生きてく上でも、隠れて2人だけになりたいという気持ちが抑えきれないって感じがする。の子さんがカーテンの中で、少し険しい顔で口について赤い血のようなものを拭っている。君は血の涙を流してる。

険しい顔なのは、やはり学校の中で感じる白い目やモヤモヤだったり、2人の関係性に対しての葛藤がどこかあって、何か思うことがあるのかな。

君はどこか無邪気で、自分をわかってくれるような仲間的なの子に対して純粋に感情をぶつけてるけど、の子はその子に対する「守ってやらねば」という気持ちとか、一緒にいて楽しいけど、この学校で君が傷つかないようにするためにとか考えてて、葛藤してるんだろうなみたいな顔をしてる。

その後白い部屋で、2人がはしゃぎあって、性行為をしているような暗示がされてる。お互い無邪気になって、2人だけの楽しさとかを感じてるのかな。
白いスカートに赤い血が垂れるのを見て、性行為で流れた血を連想した。

物語的に2人が身体的に男性、女性かはわからないが、膣でも肛門でも、爪が長いと相手を傷つけるし、もしかしたら、女子学生という体なら初めてそのような行為をした時、偶然、初めての生理が来てしまったとか。

学生の謎に爪を伸ばすのがかっこいい、可愛いって時期に、一緒になって性行為をすると爪で相手を傷つけることも多分ありえるよね。
夢中になってふたりの世界にのめり込んでった時、その血を見てハッとなって逃げ出したくなるような…….
なんか、ハリネズミ同士で近づくたび互いの針が深く刺さって、気づいたら、血が流れていたみたいな感じもするね。

それで君の方が初めてハッとした顔で逃げていくというか。
の子は序盤の方で妙に真剣な顔になったり、ハッとした感じを出しているのだけど。君の方は、2人で交わった後、その時やっと気づいたんだよね。
何に気づいたかはわからないけど、少なくとも次のシーンに繋がるような葛藤かもしれない。


2.サビの部分

たまに歌えばいいのかな

君に出会ったんだ

冷ややかな目で見られたい

2人だけになりたい

社会を隣りして

ズッこけていったんだ

帰りたくないから君に 飼い殺されてたい

〈歌詞の考察〉

「ヒトカラ駆ける街の中」という歌詞の後に、「たまに歌えばいいのかな」と来ると、やはりカラオケを連想してしまう。
2人で学校を抜け出して夜中、夕方に街のカラオケに行って歌ったりとかしたのかな。

「君に出会ったんだ」という言葉でもう過去、2人の出会いを語るような関係にまでなったんだと思ってたら、「冷ややかな目で見られたい」って歌詞が来て、この2人はどれだけ強いのだと思ってしまった。

純粋な気持ちのままで、教室を抜け出して2人の居場所を見つけようと言った日から、白目に咲いた物語が学校にあった時から、
むしろ変わって『冷ややかな目で見られたい』って、どれだけ2人の関係の強さというか、結びつき、信頼、「あなたがいれば他なんてどうでもいいじゃない。」みたいな気持ちがどれだけ高まってるかがわかる。

「社会を隣して」というのは、学校という社会の中に属するわけでもなく、外の街の中に属するわけでもなく、ただ2人の世界に2人で生きて、社会なんて自分たちの世界の二の次でいいじゃないか、隣にほっぽいとくくらいでさ!って感じする。

「帰りたくないから 君に飼い殺されてたい」この歌詞、個人的にめっちゃ好き!関係性が深くなって、お互いに信頼、依存しあってるような状況になった時こういう言葉が放たれるんだろうなって思う。

お互いに、君といる時が一番楽しくて、嬉しくて、悲しいのだろうし、生きてる心地がするから、君と離れて1人になったり、学校や家、外という社会に行きたくないなって感じ。

MVの映像だと2人とも学生という体だから、2人だけでいる時間も限られていて、夜は必ず家族のいる家に帰らなきゃいけないから、あと学校もあるし、放課後に2人で並んで歩いてる時『帰りたくないから』ってきっと、呟いてるんだろうなって想像する。
家に帰らなきゃならないのはわかってるけど、『君に飼い殺されてたい』っていうのは、やっぱり家や学校に帰ってまた社会的に殺されるより、放課後に君の感情に飼い殺されてる方が、それこそ二人だけの世界の方が絶対何倍もいいんだよって感じかな。

〈MV考察〉

性行為…?をした2人が、朝教室でまた出会うみたいなところから始まる。

昨日、驚いた顔で逃げ出した君が、真っ赤な口紅とスカートで教室に入ってきた。その様子を見たの子が、また改まった顔をして君を見つめる。

上着が白で、スカートが赤ということで、君の方が先にそれを迎え(いれ)たというか、血を流したのだということがわかる。生理を迎えたのか、性行為で何かを迎えたのか、大人になるために、いろんな過去も葛藤も、全て迎え入れて、覚悟したのか、それはもう当人にしかわからないけれど。

赤=大人を意図しているかはわからないが、今までずっと純白だった2人の世界に鮮やかな血のような真っ赤な色が入ってきたことに、とても学生みというか、子供らしさと大人らしさの境を感じる。

2人の間にぎこちない距離があるように見えるが、その間にはびっしりと絡まった糸があり、2人を繋いでいる。小指と小指が赤い糸で繋がってるわけでなく、手のひらと手のひらから何重にも糸が絡まっているのが、2人の関係性をよく表している。ただの恋人同士とかじゃなくて、この世界で君だけが分かり合える相手なんだみたいな。

場面は変わり、君はグラウンドでサッカーボールを投げつけられて、傷ついている。血も流れている。の子が『やめろよお!』と言って庇っている。
やはり君は、校内で何かを理由にいじめられたりだとか、誰かに傷つけられるような過去だったりを持っていたのだ。それか、傷つけられる理由が、2人の関係性(同性的なもの)にあるのかもしれない。

だとしても、の子は逃げずに必死に君を庇って2人でいようとした。
君のような人を救えるのも、君のようなものを持つの子だけであって、2人しかいない、2人だけの分かり合えるものがあることが、どれだけ綺麗で残酷なものかが伝わる。

転調部分

神は罰するか

私の白い部屋で鳴る このワルツ

新しい世界 魅惑な君がいた

マリア少々のお許しを

私の本性 美しすぎて

バイオロジカルを 超えてく君がいた

〈歌詞の考察〉

もーーー!ここの歌詞とメロディめっちゃ好き。この曲の中で一番、浮遊感を感じる。フワッフワする。この世のものではない感情や感覚。まさに神聖的なものを感じる。

『私の白い部屋で鳴る このワルツ』は、個人的にはやっぱり、その2人が初めて性行為をして赤を見る前の、白い部屋でこうはしゃぎあってた時のことかなって思う。普通にまだ赤に染まっていない白いの子の方の、心象風景なのかなとも考える。

『マリア少々のお許しを』で、聖母マリアはイエスキリストの母らしい。
マリアについて詳しく調べると、マリアは処女にして母らしい。慎ましく禁欲的な人生を送った彼女は女王になり、望まない妊娠で子供(キリスト)を産んだらしい。

これは“マリア少々のお許しを”の意味が深まるかもね。だって二人は暗に性行為をしてしまったし、それで血も流れたから、マリアのような処女ではない可能性が高い。ただ、同性愛を認めない神の許しをこうてるわけだはなくて、そのような二人だけの秘密でしてしまった今までのことを、許して欲しいと心の奥で思ってるのかな。めっちゃ、若々しさ、というか、2人の純粋さの世界を感じるな。

『新しい世界 魅惑な君がいた』は、もうあの出会いの時の顔からわかるよね。目と目が合った瞬間、今ままでの世界にはあり得なかったような君だけの世界がそこに広がったみたいな。他の何者にも変え難い、君にしかない魅力があったんだと思う。

『私の本性美しすぎて バイオロジカルを超えてく君がいた』
ん〜!歌詞が良い。バイオロジカル(Biological)は直訳で「生物学上の」という意味だと思うのだけど、生物学的に言う互いの「性別」を超えるものがあったのは確かだということがここに表せる。

社会的に、見た目的に、性器的に、ではなく、根本的に精子が卵子が、そのニンゲン的存在がそこにあるかないかみたいな話が、バイオロジカルだと思う。

性別とかそういう概念すら、体すらも超えてくナニカ。“私の本性”としての魅力がそこにあったんだろうなと想像できる。

〈MV考察〉

このシーンは赤色に染まった君と白色の私が概念的に表されてる。
赤色が何で、白色が何かなんて、言い表せないけど、真っ赤に染まってしまった君の方が前より傷ついたような呆然とした顔をしてて、白い私が冷静に覚悟を決めたような顔をしてるように見える。

学校のピアノ下の床で2人が覆い被さるところは、前までの無邪気さとは違って、いじめとか、周囲に何を言われても、何があっても一緒にいるんだという生きる真剣さを感じる。そのあと一瞬、2人がピアノ上に座ってる場面が映る。2人の全身には白い糸が絡んでる。そしてだんだんと見つめ合うカットが入る。これがめっちゃ美しいと思った。

今までたくさん、赤い君と白い私が糸で絡んだあと、最終的に色のついた制服を着ずに、裸(バイオロジカル)でピンクに染まってくっていうのが良い。
赤でも、白でも、ないんだよな。

赤や白の何かをぶつけられて、染められて、そのままの白い制服で生きていた2人がそこで交わることで、最後に鮮やかなピンクになっていくっていうのが、いい。



花火大会を通り越し

君んちに行ったんだ 

ベランダ2人腰かけて

なぜか寂しくなる

ずっと一緒にいられる?

キスしたらズッこけていったんだ

あやとりする君と 絡まる鏡の中で


〈歌詞の考察〉

花火大会の季節も通り越し、また2人の世界で生きていると、多分このまま自分たちが大人になっても同じようなことができるのだろうかとか不安になったり、感傷に浸る時間もあると思う。

特に中高生でこういう二者関係になると、逃げ出した世界の先でもまた何かがあったり、何か2人だけでいる時にこそ感じる社会の虚無感、排他的な感じもある。望んで自由になった時にも、少し臆病さや将来に対する不安はある。

そこで『ずっと一緒にいられる?』と相手に聞きたくなるんだろうけど、この2人の場合は、繰り返されるサビの歌詞の中で『キスしたらズッこけていったんだ』というふうになってるから、時が経ってもやっぱり純粋なまま、無邪気なままの2人でいれるよってずっこけながら笑顔で言ってそう。子供らしさが滲み出てて、純粋な世界だ。


3.ラスサビ

春の日の午後

雨はちらつき

まるで私は 季節外れだ

初恋はまだ 黙るだけです

今日の続きを 信じるだけです

信じるだけです 

愛がどーとか いらん茶々です

信じるだけです

今日の続きを 信じるだけで

そう 信じるだけで

今日の続きを 信じるだけで

〈歌詞の考察〉

ここで改めて『初恋はまだ黙るだけです』という歌詞を見ると、いろんな解釈が思い浮かぶ。私が思ったのは、この2人は大人になっても、この季節中で生まれた2人の『初恋』を誰にもいう気はありませんみたいな意味なのかな。映像だと2人がちょうど卒業するようなシーンだから、初恋は『まだ』黙るだけですの意味がしっくりくるなって、この初恋は学校という括りを出たら、いつか何かに変わっていくけど、今は黙るだけで、ただ互いに2人で信じ合うだけでいいのですって意味に感じる。

『愛がどーとか いらん茶々です』はまじでわかる。愛がどうとか、恋がどうとかじゃなくて、多分2人の中には深く繋がってるものがあって。だから、ただ『信じるだけで』いいんだよって、互いに思えるんだろうな。

未来を信じるだけでなく、今日の続きを信じるだけでいいっていう感じが刺さった。学生の時そういう関係性にある人たちは、未来を急に悲観したり楽観したりという葛藤の瞬間があるんだろうけど、単純に純粋に今日の続きを信じるだけでいいんだなって。誰とも分かり合えないような環境で2人の関係として生きることで、苦しくなっても、何を言われても、明日を信じるだけでいいんだって思い合えるってことかな。

〈MV考察〉

ついにラストのシーン!
冒頭にも出てきた白い糸が廊下を通っている映像がある。その後に走って来たのが、君である。

そこで私は、その白い糸って君との子を繋ぐ運命の糸のようなものでもあったのかなって思った。恋仲同士を結ぶのはよく赤い糸で表現されがちだけど、白い糸で繋がっていたり絡まっていたり、結ばれていたりするのも美しいなと思った。2人の純真無垢さというか、人間としての内面の美しさが出ているような色なんだろうなって。

そして2人の制服はもちろん、とても鮮やかなピンクである。手に卒業証書の筒を持っている。

これを見た時、本当に「ああ、自由だ」と、もう2人は隠れ場所を探してみようとしたり、教室を抜け出したり、白い目を向けられたり、ボール(批判や嫌悪)を投げつけられたり、涙が出たと勘違いしたり、隠れてキスをする必要も、今まで辛さも喜びも全部、この先なくなってくんだろうなっていう大きな嬉しさと悲しさがこみ上げてくる。
卒業証書を抱えてまた真剣な顔になってるの子が、君に気づいた瞬間、心からの笑みが溢れてるような画を見て、本当に良かったと思う。

それから、2人とも今までにない笑顔で抱き合って、はしゃぎ合って、走り回って、ほんっとうにこっちまで嬉しくなるような開放感と幸せな世界がやっと来たなって。

この物語的には多分、2人は学校を卒業したことで、これから本当の意味で幸せな日常を生きれるんだなって喜びが感じられる。
教室なんて、学校なんて、親なんて、家なんて、放課後に駆け抜けたあの街なんて、性別なんて、クラスメイトなんて、この社会なんて、ほんっとうにちっぽけなものなんだ。

そんな感情が。2人が卒業した時に、ぶわああっとピンクの桜と舞い上がるような開放感と浮遊感に溢れ出て。

最後に橋の上を2人で飛び跳ねていく時、「ああ本当に良かったな」って思う。

映像と音楽を聴いてて、最後のサビでそれをとっても実感する。
単に「性別関係ないよね」とかじゃなくて、
この曲には思春期の無邪気さの中にある性とか、この世の中に囚われている人間が、ここではないどこかへ抜け出してもいいんだ、周囲の環境や未来に悲観しないで、明日を信じるだけでいいんだみたいな切実さ、ただ純粋な2人がこの世界を生きていくんだ、信じるだけでいい、みたいなものが感じられて、ハマった。

最後にチラッとの子がギターを弾いてる手元が映って、手首とギターに白い糸がぐるぐる交わってるのを見ると、あ、ここにも白い糸があったんだって思う。MVの他の部分にも結構白い糸あったっぽい。

おわりに

初めて歌詞とかMVの考察したけど、案外面白い。なんとなくで聴いてると、勝手に自分の都合の良いように解釈しがちだけど、冷静に文字で見返すといろんなことが想定できて、なんだか頭が鍛えられる。脳トレになりそうだ。

まだまだ理解が少ない部分というか、読みきれない部分も多い。いろんな解釈ができる曲だとか、映像も最近多いけど、そこで自分なりの解釈を持つっていうのも難しいな。気が向いたら、好きな曲や本、映像の感想を書き溜めて置きたいところである。