たこやきレインボーメンバー卒業に寄せて

「たこやきレインボーからメンバー全員が卒業」という発表、聞いた瞬間はとても驚いたし頭が真っ白になった。まだ好きになって日が浅いのに……とかこれから推そうというタイミングで……とかそんな気持ちがぐるぐるしていた。
メンバーの口から出た言葉をよくよく聞いてみると、「卒業」ではあるけれど充電期間を経て「また必ず5人で帰ってくる」ということだった。もちろんたこやきレインボーではなくなってしまう、既存の形ではなくなってしまうという寂しさはあるけれど、また5人で帰ってくるというメッセージは希望の光だ。
終わらせてしまったら本当に終わりになるのを知ってるから、終わらせないでいてくれることが嬉しかった。

「また必ず5人で帰ってくる」という言葉をメンバーがツイッターやインスタなどで発信していて、おそらく次に向けて動き出してることも窺えつつ、それでも必ずって言えるのすげえなと思った。

『グループ』という箱があって、そこに何人かの人が集められて、「あなたたちこれから○○っていうグループです」と告げられて、活動を始める。『グループ』という箱にはある種の強制力のようなものが伴う。たとえば箱の中で、「このグループで頑張っていきたい」と90%くらいの気持ちで思っている人がいれば、「いつかはグループを離れて個人で活動したい」と50%くらいの気持ちで思っている人がいて、そこにどんなに温度差があれど同じグループのメンバーとしての役割があるので50%の人も役割を全うせねば、と思う。
箱の中に入れられてしまえばその人の本心とは違う部分で(責任感とかしがらみとか大人の事情とか)続けざるを得なかったり、まあまあ不満を持ってても「でもこの箱の中にいるから全うしなければ」と自分を納得させないといけないかもしれない。
「その箱の中で全員が同じ方向を見て、足並みを揃えている」なんてそんなことあるはずがないじゃないですか、と思う気持ちが私にもある。

彼女たちはメンバー全員がグループを卒業する。卒業ってことはつまりグループとしての強制力がなくなるということであって、もう枠に縛られないで活動してもいいという意味だと思うのだが、彼女たちは「また必ず5人で帰ってきます」と言った。グループという箱がなくなっても5人でいることを選んだのだ。

それってすごくないですか。

全員が全員「この5人で活動する」という明確な意志を持ってなかったら必ずなんて言えない。覚悟がなかったら言えない。
彼女たちは「この5人で」ということに何よりもこだわったんだろう。
「5人で続けたい」という意志がグループである理由を超えたのかな、とかぼんやり思う。形が変わっても、5人なのは変わらないということなのかな。

次の展望がどんなものかは想像もつかないけど、個人的にはただ好きでいつづければいいんだと思っているし、まあ寂しいけど全然待てる。
「言ったからにはでかいことしてくれないと困るよ」という期待を込めて。

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