20210822

フジロックの配信を見た。ライブはとても素晴らしかった。画面越しでもわかるくらいすごかった。でもライブの素晴らしさと同時に、否応なしに目に入ってくる観客の数、密集具合が見て取れて、なんとも言えない気持ちになってしまった。演者が素晴らしいパフォーマンスをするのは、仕事として当然で、素晴らしければ素晴らしいほどいいはずなのに、そこに「素晴らしい」とか「楽しい」以外の考えなくてはならないことがたくさん横たわっていて、「楽しい」だけの気持ちにはさせてくれない。フジロック開催前にも来場する観客に事前検査が呼びかけられたり、出演する意思を表明するミュージシャンがいたりまたは辞退を表明するミュージシャンもいた。その選択肢のどちらが正しくてどちらが間違っているとは言い切れない(出る側も観る側も)からこそ、自分たちは難しい選択を迫られているんだなと思った。明確な意思と覚悟がなければ来てはいけないという場所に、それでも来る人たちのことを私は責められない。その人たちの気持ちがよくわかるから。
自分が今まで価値があると信じていたものが、ウイルスの出現や時代の流れによって無価値なものにされそうになっていて、自分でもわからなくなってしまう。しかも自分が信じているものと天秤にかけられるのは、まわりの人たちや自分、または知らない誰かの命なのだ。正直命を前にしたら他のもの全部無価値になってしまうと思う。それぐらい抗えないものだ。全ての娯楽は命があってこそ成り立つものだし。
でも自分が生きていくための生命維持装置みたいなものがこの世からなくなってしまったら自分はなんのために生きているかわからない。それまで信じてきた常識も、あって当たり前の娯楽も、脆くも崩れ去るような時代に、縋り付けるものが何もなかったら生きていけない。それが誰かにとっては推しのライブだったり舞台だったりする。どうすればいいんだろう。本当にわからない。命と天秤にかけられて敵うものなんてないだろ。でも大事だろ。それがなきゃ生きていけないくらいに。どうすればいいんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?