トニオ・クレーゲルの問題―自己実現の道を求めて―(『報徳』2023年7月号掲載)


ドイツの文学

 公民館の市民講座でドイツ文学について話して下さいませんか、というお誘いをいただいた。もっぱら報徳の話ばかりしているので、時には専門のドイツ文学について語りたいのでは、と担当の方が配慮されたのかもしれない。ドイツ文学はそれほど皆さんに馴染みではないからである。
 恋愛小説といえばゲーテの『若きヴェルテルの悩み』、少年の夢と挫折といえばヘッセの『車輪の下』などは比較的読まれているようだが、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』やハインリッヒ・マンの『アンリ四世の青春』など叙事的な作品はそれほど知られていない。ブレヒトの『三文オペラ』の社会風刺、現代の不気味さを描くカフカの『変身』や『城』など、ドイツ文学は独特の尖り方もしている。
 会誌『報徳』が届くと、まず最初に読むのが稲沢潤子さんの「日本と世界の名作」、それから勝田敏勝さんの「おくの細道」だという話をよく聞く。それにあやかるべく今回は文学の話をさせていただく。

教養小説の系譜

 「なぜドイツ文学を専攻したのですか」とよく聞かれる。大学に入った時、ドイツ文学科卒業になるなど夢にも思っていなかった。偶然が偶然を呼んだとしか言いようがない。
 教養課程が終わり、三年生になって専攻を決める時に、歴史、文学、哲学、教育学など、いろいろな可能性があった。どの分野にも関心も問題意識もあったのだが、結局ドイツ文学になったのは、単なる知的関心以上に、どう生きるかという切実な問題にドイツ文学が触れていたからではなかったろうか。
 ドイツ文学には教養小説というジャンルがある。内なる促しに従い、ある理念に向かって自己形成を遂げていく魂の遍歴物語である。ゲーテの『ヴィルヘルムマイスターの修業時代』、ケラーの『緑のハインリッヒ』、トーマス・マンの『魔の山』等々、人はどのようにして成って行くのかという問題意識に惹かれたのだと思う。
 依頼された市民講座は三回で、ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』、ヘッセの『車輪の下』、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を取り上げた。いずれも教養小説の系譜である。

現代に重なる課題

 前もって予習して参加する講座ではないので、講義の形になった。十分な議論ができなかったのは心残りだったが、感想として、『若きヴェルテルの悩み』の恋愛、『車輪の下』のハンス少年の挫折などいろいろ考えさせられたが、「市民的に生きることが心満たすものでなくなり、市民とは違った在り方を探る『トニオ・クレーゲル』は新鮮な視点を与えてくれた」という意見をいただいた。日頃感じている何かがここにあると思われたのだろう。今生きている私たちの在り方そのものを吟味したい欲求でもあろうかと思った。

市民性と芸術性

 『トニオ・クレーゲル』は芸術家小説といわれる。少年トニオは、「噴水、くるみの老木、彼方のバルト海」をこよなく愛し、ヴァイオリンを奏で、思いを詩にしてノートに書きつける少年だった。周りの少年たちと馴染めず、同級生や先生から詩を書く変り者と思われていた。そんなトニオは、自分と対照的な、秀才で、スポーツ万能で、人気者のハンス・ハンゼンに強い憧れを抱いていた。
 ハンスとの散歩の約束をし、トニオは楽しみに待っていた。ところが友人達と語らいながら校門を出て来たハンスは、トニオとの約束は忘れかけていた。思い出して付き合ってくれたが、いつもそんな具合だった。「最も多く愛する者は敗者で、苦しまねばならぬ」とトニオは思う。感激して読んだシラーの『ドン・カルロス』の話をするが、ハンスの興味とかみ合わない。別れ際に「読んでみるよ」といわれて、トニオの心は歓びで一杯になるのである。
 憧れつつもコンタクトがうまくいかないのは、ダンス会場で知り合った金髪のインゲに対してもそうであった。言葉が交わせず、片思いのままに終わっている。
 父が死ぬとクレーゲル家は没落し、トニオは故郷を離れ南国の都会で暮らす。自分の内なる促しに従って「精神と言語の力」に身をたくす。それは彼に本質を見る力を与えた。そこで見た市民社会は凡庸で低俗な世界であり、「快活で愚かな感覚をもった無害な連中」の中に見たのは、「滑稽と悲惨」であった。
 「彼の額に押された芸術家の刻印」は周囲から煙たがられる。市民たちから離れれば離れる程「彼の芸術家気質は、いよいよ鋭くなり、気難しくなり、砥ぎ澄まされ、精妙に繊細になり、凡庸なものに対して敏感になり、趣味やセンスの問題できわめて繊細になっていった」。遍歴の末にトニオは「ユーモアと苦悩と認識に満ちた」作家として世に迎えられるのである。

市民をめぐって

 「あたたかい誠実な感情は、陳腐で使い物にならない」「健全でつよい感情は、没趣味なもの」「退廃した職人的な神経組織の興奮と冷ややかな恍惚だけが、芸術に役立つ」というトニオは、しかし、友人の画家リザベーダに「認識の嘔吐」に苦しみ、「文学は呪いだ」とも語るのである。
 リザウェーダとの対話が契機になって、トニオ思い立って北ドイツの故郷の町を訪ねる。十三年ぶりの帰郷だった。そこからデンマークの町に足を延ばす。何とそこのホテルでハンスとインゲのカップルを見かけるのである。
 密かに二人を眺めながら、トニオは底に眠っていた市民的なものへの愛を告白する。
 「きみのようになれたら、もう一度始めからやりなおし、君のように成長し、実直で、快活で、素朴で、規則正しく秩序に従い、神とも世間とも折り合って、無邪気で幸福な人たちから愛され、インゲよ、君のような妻を娶りもそしてハンスよ、君のような息子をもうける。認識の呪いや創造の苦しみから解放されて、幸福な平凡のうちに生き、愛し、人生を讃えるのだ」。
 そして芸術家になったのも、市民への愛からだったと悟るのである。

社会の空ろな沈黙――超個人的な絶対的な意味如何

 小説は調和的な憧憬に終わっているが、市民としての生き方が問題的と感じられるようになった時代背景は何なのだろうか。
 『トニオ・クレーゲル』は一九〇二年の作品である。ブルジョア市民社会が歴史の推進力を失い、各国が植民地獲得争いに乗り出していく時代である。市民として生きる義務や労働が「厭わしい奴隷労働」と感じられ、「これまでと同じように生きて行くことは不可能」という予感が広がって行く。
 一九一二年に書かれ始めた『魔の山』でトーマス・マンは、私たちは日々個人的な目標、希望、見込みなどを思い浮かべて努力しているが、「周囲の非個人的なもの、つまり時代が外見上活気に富んでいても、その実、内面的には希望も見込みも全く欠いている」「一切の努力や活動の超個人的機で絶対的な意味とは何かという問いに対して空ろな沈黙を守る」事態になっており、普通の若者にも深く影響を与え始めていることを語っている。ハンス・ハンゼンは「単純な若い青年」ハンス・カストルプとなって「魔の山」の遍歴に赴く。

世に流通している考え方と 自分のオリジナルな生き方と

 当時の若者たちに広がった世界終末の予感は、第一次世界大戦勃発となって的中する。その中から「東方からの光」といわれたロシア革命がもたらされる。二十世紀はこのようにして始まった。
 二十一世紀の私たちはどうであろうか。ウクライナ戦争、気候変動、格差拡大の中で私たちの市民社会も大きく揺らいでいる。学校で感じたトニオの違和感は、誰しも経験することだろう。それは世に流通している考え方と 自分のオリジナルな生き方のぶつかり合いの予兆である。
 情報が行き交うこの流通観念の只中にあって、私たちは如何に真実を見出し、歴史の発展につなげていけるのか。それが新しい生の在り方を作っていく契機だろう。
 「淳ちゃんがね。『トニオ・クレーゲル』を読め、読めっていうの。難しくってね。でも判って来て、読めば読むほど素晴らしいの」。肢体不自由児の施設「ねむの木学園」を創り、音楽や美術を通じて秘められた能力を開花させ、自立の道を探った宮城まり子の言葉である。「淳ちゃん」は吉行淳之介。芸術家として感じた社会への違和感を宮城さんは事業家となって、まさに芸術性と市民性の「一円融合」として実践した。
 歴史発展の大道はあるはずである。歴史を進める原動力とは一体何なのだろうか。やはり私たちは従来の市民的な生から一歩踏み出して、心を満たす真の道の探求に赴かなければならないだろう。
 歴史的に眺める、構造的に分析する、自分のオリジナルな生き方と結びつける。自分の物語を大きな物語の中にどう位置けていくか。新しい社会的な生の在り方の探求が始まっている。

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