縁(えにし)から絆(きずな)へ(『報徳』2023年2月号より)

『縁 えにし 80』

 報徳全国大会で、アフラック(アメリカンファミリー生命保険)の日本社創業者で最高顧問の大竹善喜さんから、「えにし」という題で、記念講演をしていただいたことがある。
 広島県北部の豪雪地帯の庄原に生まれた大竹さんは、スポーツ好きの少年だったが、人生を如何にいきるべきか悩んで本にも没頭した。農民や貧民を救わんとした大原幽学、二宮尊徳、賀川豊彦から大きな感銘を受け、ものを考える骨格を与えられたという。
 経験をたくさん積んで小説家になりたい、ブラジルに移民して農園経営をやりたい、いやアフリカでキリスト教の伝道師だと、出逢った人たちによっていろいろな刺激と夢を触発され、人間としての幅の広さが培かわれたが、保険の仕事に出会い、社会的弱者が互いに助け合う理念に自分の人生観との一致を見出したという。
 とりわけガン患者の大変な苦しみ、看護や高額な治療費などの実態を知ったことで、無謀と言われたたガン保険にのめり込み、大蔵省、厚生省との血のにじむ交渉など、「けもの道を行く」反骨の精神で、保険業界に新しい道を切り開いていった。
 傘寿を記念した『縁 えにし 80』は、大竹さんの志の高さと人を惹きつけずにはおかない魅力が、出会った皆さんと切り結んだ珠玉のドキュメントである。福祉活動、医療活動、次世代教育、地域振興など各方面への先駆的な主張と実績で、田中角栄からは民間厚生省と評価され、大統領だったジミー・カーターからは模範的な日米会社連携の賛辞を受けた。縁(えにし)が新たな結びつきを生み、更に深まって絆(きずな)となる軌跡が鮮やかである。

縁(えにし)で人生を振り返る

 振り返れば、私たちも様々な出会いを通じて、ゆかりと感じ、えにしを結んでいる。自身を振り返ってみると、黒板を前にして勉強し黒板を背にして学生諸君を教えた淡々とした人生だったかと思うが、報徳社の仕事をするようになって、社会の中で奮闘されている皆さんと具体的に接するようになると、さまざまな交わりや繋がり、偶然と必然の妙など、人と人との縁(えにし)をひときわ強く意識するようになった。
 縁(えにし)で人生を振り返り、今まで自覚されなかった結び目を見出し、人生をあらためて新しく考えていくことは、大切な営みではないだろうか。
 昨年末に設立された新潟の報徳社は、まさに縁(えにし)やゆかりの力が深く作用していることに思い到る。

「佐渡が島山 たそがれて 彩雲なびく空の色…」

 一九七〇年に新潟大学に赴任した。ドイツ語の主任教授の野本祥治先生が旧制新潟高校の寮歌『佐渡が島山』を朗々と詠って迎えて下さった。青春の想いを歌い上げた素晴らしい抒情歌である。
 丁度同じ時代、今度新潟報徳社の社長を務めてくださる佐藤袁也さんは、配管工事などの「千代田設備」を一人で立ち上げ、大車輪の奮闘中だった。当時は存じ上げていなかったが、同じ時代、同じ土地で過ごした体験は、大きな縁(えにし)である。
 記念講演をした深澤助雄さんとは同時赴任で、私は教養部のドイツ語講師、深澤さんは人文学部のドイツ語助手として採用された。深澤さんは元々哲学を専攻していたので、ドイツ語の力を証明するものが何か欲しいと野本教授に言われ、鴨長明の『方丈記』をさらさらっとドイツ語に訳して提出し、野本さんを驚嘆させたというエピソードがある。
 『ル―ネン』という同人誌に拠って、お互いの研究を披瀝し合ったものである。深澤さんは「人倫に於ける悲劇」というヘーゲル論を書いて私たちを魅了した。「政治的国家と市民社会の分裂」という視角から現在の国家と社会を見る見方は、五十年前に深澤さんのこの論考から学んだものである。
 半世紀以上前のこうした縁(えにし)が、新しい絆(きづな)を生みつつある。設立総会には化学の増田芳男先生も来て下さったし、ドイツ語の眞壁伍郎先生、五十嵐吉信先生からは励ましの言葉を頂いた。眞壁先生は、「信濃川大河津分水を作った青山士(あきら)は、新潟にとっては大恩人なので、以前、静岡で講演した時に話題にしたが、誰も知らなかった」と嘆いておられた。青山は磐田の出身で、パナマ運河の建設にも七年間従事している。報徳研究家の地福進一さんが、現在、青山関係の資料を集めて編集をされている。縁(えにし)は、こうして新しい情報との結びつきも生む。学芸大の教え子の澤田茜さんも来て下さった。
 松本克幸さん、萩野徳之さん、石橋正利さん、岩名圭太さん、村山政文さん、横山弘美さんたちが中心的に結集して下さり、松本さんと萩野さんには副社長として奮闘していただくこととなった。この縁(えにし)は、どのように発展していくのだろうか。
 「結びも堅き友垣に 今宵幾夜の旅寝の夢ぞ、昔ながらの月の色、思いは同じ一百が、青春の歌、合わすなり」と寮歌は締められる。まさに私たちの心そのものの歌である。

柳生家の家訓

 今刊行が準備されている『今様報徳の探求』は、倉真報徳社創設一七〇年記念誌だが、そこに宮地正人さんが「明治維新と岡田良一郎の遠州報徳社運動」という論考を寄せている。歴史民俗博物館の館長を務められたが、学生時代、一年の時に同じクラスだった。ある時、彼は岩波新書の奈良本辰也『二宮尊徳』を読んでいて、参考文献に『安居院義道』を見つけ、「著者名が鷲山となっているが関係あるのか」と聞かれた。見ると祖父の本ではないか。これには驚いた。それから六年後、宮地さんは我家に調査に来て、祖父の集めた資料も使いながら「日露戦後の地方改良運動」関係の修士論文を纏められた。そして今回の寄稿である。あれから六〇年が経っている。深い縁(えにし)である。
 『今様報徳の探求』のパネルディスカッションでは、杉浦清司さんが田植えから始めた酒造りの「花の香楽会」の活動報告をしているが、そこで柳生家の家訓を紹介している。
 「小才は、縁に出逢って縁に気付かず、中才は、縁に気付いて縁を生かせず、大才は、袖すれ合う縁をも生かす」
 地域の活性化は、人と人との縁づくりである。「縁を生かし、縁をつくり、縁を活性化すること」と活動の極意が語られている。

個の主張から連帯の絆へ。

 地域を活性化し、日本を元気にするには、人々の結びつきを豊かに発展させ、結び合う力を全面的に発揚することに尽きるのではなかろうか。
 昨年は、明治維新から敗戦まで七七年、戦後も七七年を数え、今年は新しい七七年に向けての出発の年である。これまでの戦後民主主義の七七年は、個の尊重、個性の開花の季節だった。しかし個人主義が利己的になり、人々をバラバラにする力が強力に働くようになった。次の七七年の課題は、人と人との新しい結びつきを如何に多彩に発展させるかだろう。
 個性の開花を前提とした親子、兄弟、家族の繋がり、地域との連帯をいかに構築していくか。真の個性は、共同の中でこそ、初めてよりよく形成される。そのためには自覚的な学びと人格の陶冶が求められよう。
 東京報徳社の榊原昭さんは、大竹さんが日本アフラックを創業された一九七四年当時、大学生で参画していた。縁(えにし)が絆(きずな)になるには、やはり学ぶこと、身を修めることが不可欠だとおっしゃる。企画担当として榊原さんは、今年は『二宮翁夜話』の研究講座を始められると伺った。縁(えにし)の力である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?