羅針盤としての報徳――「報徳社全国大会in御殿場大会」挨拶――(『報徳』2023年10月号巻頭言より)

第五十七回報徳全国大会がここ御殿場の地で六六五名の皆さんを迎えて開催できることを共に歓び合いたいと思います。
 東京方面、名古屋方面からはもとより、遠くは鹿児島の八幡正則さん、山口から松浦正人さん、兵庫から橋本和彦さん、新潟から石橋正利さんもいらっしゃっておられます。再会を歓びあいたいと思います。
 富士山麓のこの地は、二宮尊徳みずから足を運んだところです。その考え方が今日に生きて私たちに多くの指針を与えています。その生命力の源泉は、六百の村を興した、実践によって証明された思想であるということです。
 私たちは、試され済みのこの報徳の考え方を更に深く研究し、現代において捉え返し、日々の生活の中に指針として活用していくことが求められています。

徳を身につける

 「万象具徳」「以徳報徳」︱︱あらゆるものに徳が備わっている、その徳に対して徳で応える、これが報徳の根本です。この考え方に基づき、身を修め、家を整え、地域を興していくのが報徳です。
 では徳とは一体何でしょうか。頭脳明晰で有能であったとしても、それだけで徳があるとはいえません。徳は、人や物の良さ、取柄、長所といったものが基盤になりますが、それは必要条件であっても十分条件ではないでしょう。
 徳を身に着けるにはどうすればよいのか。学び、実践し、困難を克服することを通じて、心身から醸し出される人生のエキスのようなものが徳なのかと思ったりします。二宮尊徳は、新田の開発と同時に心田の開発、心の田圃の開発を強く説いています。
 昔、「修身」という科目がありました。身を修めると書きますが、大切な言葉だと思います。学びつつ、実践しつつ、心の田を耕し、身を修めていく、これが徳に近づいていく道なのだと思います。報徳は、私たちが日々努め、積んでいくべき永遠の課題を提起しています。

量の蓄積が新しい質を生む

 「万象具徳」「以徳報徳」と並んで、「積小為大」「一円融合」と尊徳はいいます。「積小為大」は、金次郎の少年時代の体験から、捨て苗を田の隅に植えたら一俵の米になった話などから生まれた考え方です。小さなことの積み重ねが大きなものを生んでいくということですが、これは単に量が増えるというのではなく、新しい質が生まれる、というところが最も大切だと思います。
 「積小為大」で思い出すのは、私のゼミにきた女子留学生の言葉です。日本語がとても上手で感心したのですが、日本に来て、日本語学校に通って、いくら勉強しても聞き取れないし話せない、なかなか上達しない、大変つらかったといいます。「でも私は、あるとき爆発しました」とその留学生は言いました。ある日、電車に乗っていたら急に聞き取れるようになった、下宿に帰ってテレビをつけたらよくわかる。それを「爆発しました」と表現したのですが、知識の積み上げていくと、ある時点から新しい質に発展する。一+二=三、二+二=四ではなく、それが十にも二十にもなる世界、これが「積小為大」です。量の積み重ねが、新しい質、新しい能力を生むのです。
 大谷翔平さんのアメリカでの活躍は眼を見張りますが、出身の花巻東高校は報徳を校是としております。「積小為大」を日々実践している姿がここにあると思って見ております。
 「積小為大」の報徳は、このように人間の力を無限に発展させる哲学であるといえるでしょう。

円の中に入れて考える

 「一円融合」は、桜町仕法がうまく行かず、成田山に参籠して不動明王と対座して得た考え方です。いろいろに解釈できますが、自分と考えの違った人、対立している事柄は、放っておいたり、無視してはいけない。必ず円の中に入れて考える。そうしますと、矛盾や問題が、すぐ解決する場合もあれば、何年もかかる場合もありますが、必ず共通点が生まれます。それは大きな力を発揮します。人智の限りを尽くした創造だからです。
 報徳思想は、日々の生活を考える上でも、日本や世界の問題を見る上でも、大切な観点を提示していると、最近とみに思います。
 ロシア・ウクライナ戦争は、侵略したロシアの非を誰しも思います。しかし「一円融合」の観点から見ると、様々な問題が見えてきます。
 今世紀初頭、アメリカとロシアは蜜月でした。しかし二〇〇八年、アメリカがウクライナとジョージアのNATO加盟を提案したことが決定的な転機になります。そこは地政学的に絶対に中立地帯にしておかなければならない所でした。国境を接するバルト三国のNATO加盟まで容認していたプーチンに、不信と怒りを呼び起こします。これが契機でジョージア支配、クリミア領有に至ります。NATOがロシアを追い込んだ結果でもあるのです。軍事同盟のもつ深刻な問題がここにあります。

メルケル首相と一円融合

 この中で、一円融合を実践した人がいます。ドイツのメルケル首相です。メルケル首相はロシアとの友好関係に一貫して意を尽くしました。石油のパイプラインもありますが、ロシアに対しては第二次世界大戦でドイツはロシアを侵略して二千万人の人たちを殺したという悲惨な歴史があります。それだけにロシアとの関係には意を尽くしました。意見が違っても円の中に入れて、お互いに共通点を見出す努力を続けました。
 メルケル首相の退陣と共に戦争が始まりました。メルケルのプーチンへの甘さがいわれますが、それは違うでしょう。今の現状を見ればわかるように、戦争は憎しみの連鎖しか生みません。ロシアとウクライナの友好はこれから二百年ないでしょう。戦争の終わりも見えません。
 メルケル政権が続いて指導性を発揮していたならば、そして戦争にならなければ、十万を超える戦死者は今みんな生きています。一千万近い他国への亡命者はないでしょう。
 どんな場合も円に入れて考える。決して敵をつくらない。「最大の安全保障は敵を作らないこと」だといわれますが、「一円融合」の尊徳の教えは、まさに現代においてこそ実践さるべき生きた思想であることがわかります。
共同体の理念
 ドイツとフランスは、二十世紀に二度、第一次世界大戦と第二次世界大戦を引き起こしました。その教訓から戦後、ヨーロッパ共同体が生まれました。ドイツとフランスがこれから戦争をすると考える人は誰もいないでしょう。
 私たちの目指すべきは、東アジア共同体でしょう。中国との間に尖閣列島問題がありますが、これは田中周恩来会談で棚上げになっていたのを日本が一方的に国有化宣言したから生じた問題です。尖閣列島にしても、そして竹島や北方四島の問題にしても、領有をめぐって争う意味があるのでしょうか。日本の農村に昔から入会地という共同で薪などを取る共有地がありました。それと同じように、問題の島々は国際入会地にして資源配分を協議すればすむことです。そのためにはEUのように国境の壁を少しずつ低くしていかなければなりません。
 ハリネズミ国家になっている北朝鮮も、もとはといえば「イラク、リビア、北朝鮮を潰す」と宣言したアメリカにも責任があります。ICBM開発でアメリカと対等になったからトランプと交渉したわけで、北朝鮮の念頭に日本はないのですが、戦争になれば、米軍基地がある沖縄、佐世保、岩国、横田、横須賀、三沢にミサイルが発射されるでしょう。
 台湾問題が浮上していますが、中国の国内問題であるという基本は忘れてはいけないと思います、台湾有事となれば、台湾に米軍基地がない以上、沖縄が中国との戦争の最前線基地になります。日米安全保障条約は、日本国民にとってたちまち安全破壊条約に暗転します。
 一円融合の観点から物事を見ると、このような問題がさまざまに浮かび上ってきます。問題の因果関係も鮮明に見えてきます。

柳澤伯夫さんからの暑中見舞い

 先日、柳澤伯夫さんから暑中見舞いをいただきました。報徳社の会員でもありますので、皆さんの中にもお葉書を頂いた方がおられるかもしれません。
 金融担当大臣をされて日本発の金融恐慌阻止という大変大きな仕事をされた方ですが、次のような内容でした。

 「戦前の再来」の言葉を聞くにつけ、昨今の世情に得も言われぬ不吉さを感じます。僅か八十年前の過ちを繰り返さぬ知恵がないとは情けない限りです。昔日の屈辱を雪ぎたい中ロの心情と、かけがえのない現実世界の平和のバランスを得る方策を、何としても見出すべきと思います。

 この葉書に触発されて、様々な歴史上の事柄が浮かんでまいります。ドイツがロシアにしたと同じように、日本はかつて満州に百万、中国本土に百万の軍隊を展開した歴史があります。中国の各地でウクライナの惨劇以上のことが繰り広げられたことは疑いないでしょう。南京虐殺はなかった、侵略でない、強いられた進出だった、敵基地攻撃だ、などと言っていると、どのような政治的・経済的な反撃を蒙るかわかりません。そうした浅薄な歴史の見方、政治の貧困を柳澤さんは深く懸念されています。
 ウクライナ・ロシア戦争でアメリカの好況が言われます。六十年前、私の学生時代、アイゼンハウアー大統領がケネディー大統領に変わるときその退任演説で、アメリカに軍産学融合体が出来つつあると警告した有名な演説を思い出します。
 この融合体が一度出来ると、国家は武器を買い上げざるを得なくなり、武器は消費されることを欲し、どこかで戦争が起こっていないと国が回らなくなる構造を懸念しての演説でした。軍人として著名なアイクが、このように語るアメリカ民主主義の凄さに感銘した記憶が鮮明です。
 この懸念は当たったと言うべきでしょう。ベトナム、イラク、アフガン、そしてウクライナと、アメリカは十五年ごとに戦争を仕かけている構図が浮かび上がります。
 歴史の事実を直視すること、歴史的経緯を全体性の中でたどること、そして因果の関係を解きほぐしつつ、歴史の発展方向を見据える、確かな眼差しが求められます。

問題の所在

 今、大河ドラマは『どうする家康』です。徳川家康を盛り立てた四天王は、「酒井・榊原・井伊・本多」で、中学生の頃に読んだ戦国名将伝で馴染みの人たちですから興味深く見ているのですが、見ながら思ったことは、人類を危機に追いやる四天王があるということでした。人間ではなく事柄です。
 四天王ですから四つです。第一は米・中・ロなどの大国の覇権主義、二つ目がNATOなどの軍事同盟、三つ目が各国にできつつある軍産学融合体、四つ目が大きな格差を生む資本の論理、この四つです。これらの持つ深刻な問題性に私たちは目を凝らしていく必要があると思います。
 『報徳訓』の中に「田畑山林は人民の勤耕にあり」という
文言があります。「田畑山林」が、現在、「大国の覇権主義、軍事同盟、軍産学融合体、資本の跋扈」によって荒らされている。これを「人民の勤耕」によっていかに是正していくか。そういう構図に今なっているのではないでしょうか。
 柳澤さんは「不吉」という言葉を使われましたが、私がショックを受けたことがあります。アメリカがアフガニスタンから撤退した際、『報徳』の「巻頭言」にアフガン復興に奮闘された中村哲さん、伊藤和也さんの事績を書こうと調べていましたら、何とドイツの兵士が五九名亡くなっていることを知りました。
 二十年間続いたアメリカの始めた戦争は、結局、国を荒廃させただけで終わりました。全く無意味な戦争でした。そこでドイツの兵士が戦死している。NATOは集団的自衛権を行使してアフガニスタン戦争に参加していたのです。一体何のために死んだのでしょうか。愕然とし、暗然としました。
 ここ御殿場の地は、自衛隊の皆さんがおられます。大きな懸念が広がります。やはり私たちの合言葉は、専守防衛だと思います。個別的自衛権に徹して、集団的自衛権はやめる、そして各国に対して説得力豊かな自主自立の通商と外交を展開する。トルコのように。これが「人民の勤耕」による私たちの取るべき道だと思います。

真理への至誠

 人類を救ういろいろな教えがあります。キリスト教は「愛」をいいます。仏教は「慈悲」でしょう。そして儒教は
「仁」です。報徳は何なのでしょうか。「至誠」です。
 お互いの間で誠を尽くすということでもありますが、尊徳は、天・地・人の経文を読み解くことの大切さをよく言います。自然・社会・人間の真理と真実に、いかに誠の心で迫っていくか。この客観精神が尊徳の「至誠」の本質だと思います。
 「音もなく香もなく常に天つちは 書かざる経を繰り返しつつ」「天津日の恵み積みおく無尽蔵 鍬で掘り出せ、鎌で刈り取れ」。天・地・人の客観的な真理を誠の心によってしっかり映し出し、読み取り、我がものにする。その道に従うところに、私たちの豊かさと発展があるのです。人間の欲望によって人道が歪められ、歪んだ人道が天道まで歪めている。それが現在の深刻な気候変動です。
 政治・経済・文化・環境・国際関係のあらゆる面において、根本から考え直する時代に入っています。荒廃した農村を豊かな村に変えた報徳は、まさに「死中に活」の思想です。
 「万象具徳」「以徳報徳」「積小為大」「一円融合」、そして「人民の勤耕」による「至誠・勤労・分度・推譲」の実現︱︱日常生活の実践から始まる報徳は、大いなる変革の哲学であるということを申し上げて、挨拶と致します。

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