ロシアのウクライナ侵攻を考える(2022年『報徳』5月号巻頭言)

二月二四日、ロシアのプーチン大統領はウクライナへの全面侵攻に踏み切った。弾道ミサイルで軍事施設を破壊しつつ、北、南、東の三方面から電撃侵攻した。欧州最大のザポリージャ原子力発電所にも砲撃を加え、格納容器に直撃すれば大惨事を引き起こす、稼働中の原発への例のない攻撃となった。
この「特別軍事作戦」の理由をプーチンは、ウクライナ現政権をネオナチと見なし、その虐待からロシア系住民を保護救済するためとした。東部ドンバス地方の親ロシア地域をドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国として承認し、その「平和維持」と「住民保護」である。
一九九九年のチェチェン紛争の鎮圧、二〇一四年のクリミア占領という二つの成功体験を持つプーチンは、三度目の成功を確信して全面侵攻に出た。短期間で首都キーウを占領し、親ロシア政権を樹立し、プーチンの目指すウクライナの「中立化」と「脱軍事化」を図ろうとした。

ウクライナの徹底抗戦

ウクライナのゼレンスキー大統領は、戒厳令を発し、徹底抗戦で臨んだ。弱体と予想されたウクライナ軍の士気は高く、ロシア軍のキーウ攻略は一〇日で停滞し、短期決着のプーチンの目論見は崩れる。一カ月の激戦の末、首都近郊に迫ったロシア軍をイルピンで阻止し、補給の停滞、将官六人の戦死、指揮系統の乱れなどによってロシア軍は要衝の制圧が出来ず、ウクライナ軍は四月に入ると、キーウ周辺地域を奪還した。
二カ月の戦火で、ウクライナの人口の四分の一に当たる一千万人が避難民となり、ポーランド、ルーマニア、モルドバ、ハンガリーなどに避難した人たちは五百万人に達した。
第二次世界大戦の発端となった一九三九年のナチス・ドイツによるポーランド侵攻を思わせる進撃といい、崩れ落ちる市街地、避難民の群れ、占領地の虐殺など、これが二一世紀の光景かと、目を疑う惨状が繰り広げられた。
国連総会緊急特別会合は、一九三カ国の内の一四一カ国賛成、反対五、棄権三五でロシアの暴挙を非難する決議を採択した。ロシアの制裁の動きは国際的に大きく広がり、石油、天然ガスなどの禁輸措置、国際的な金融制裁措置など、強力な経済制裁が進んでいる。
激戦は東部、南部でも続き、マリウポリでは数百人が避難していた劇場が爆撃され、クラマトルスクでは四千人が集まっていた駅がミサイル攻撃されるなど、ロシア軍は、意図的に学校、病院など公共施設を狙い、犠牲者の拡大で恐怖心をあおり、抗戦意欲を削ぐ戦術をとっている。十二万の市民が残っているマリウポリは、ほぼ廃墟と化し、数万人が殺されたという。チェチェン紛争で都市をまるごと破壊したのと全く同じ、戦争犯罪、ジェノサイドになっている。
侵攻にはプーチンの政治的命運がかかっている。東部戦線に「シリアの虐殺者」と呼ばれる将軍を総司令官据えるなど、目標が達成されるまで戦争は終わらない様相を呈し、長期にわたることも予想されている。

ロシアの立場

戦争は一旦起これば、転げ落ちる大岩の如く、止めるのは至難となる。戦争にならなかった道もあったのではないか。捨て去られた方向、見えなかった道を探ることも教訓として重要である。
振り返れば、米ロ蜜月の時代もあったのである。二〇〇〇年に大統領に就任したプーチンは、二〇〇一年九・一一の「同時多発テロ」に対してアメリカに協力、アフガン戦争にも加わっている。ロシアはNATOに入ってもいいと述べ、二〇〇二年には「NATOロシア理事会」も出来て、準メンバーになっている。
NATOには一九九九年にポーランド、ハンガリー、チェコが入った。二〇〇四年にはロシアと国境を接しているバルト三国など七カ国の加盟も、プーチンは容認している。
ところが二〇〇八年のブカレストのNATO首脳会議で、ブッシュ大統領は、ウクライナとジョージアの加盟を主張した。「中立ウクライナ」は地政学上の常識で、踏み込んでは行けないレッドラインである。ドイツとフランスが強く反対し、「将来の加盟」で落ち着いた。しかしこれを聞いてプーチンは激怒したという。
それから一四年経っているが、今年に入って、一月二六日、NATO不拡大を求めるロシアの要求を米国が書面で拒否。加盟は各国の選択と突き放した。レッドラインと十分知っていての拒否だろう。アメリカに深い意図があってのことだろうか。
一九八九年、ベルリンの壁の崩壊で東西冷戦が終わった。アメリカのベーカー国務長官とゴルバチョフの間で一九九〇年にNATOは「東方へ一センチたりとも拡大しない」と確認され、コールとゴルバチョフの間でも「NATOの活動範囲を広げるべきではない」という了解がされた。それを受け、米ソはそれぞれヨーロッパ駐留軍を二〇%削減し、ワルシャワ条約機構は解体された。
しかしNATOは存続し、ユーゴ紛争、アフガニスタン戦争にも参画し、対ロ同盟の色彩を残しつつ一六カ国から三〇カ国に増えて行った。
ロシアにとっては、「約束が違う」ということになろう。欧米にすれば、「そんな約束はどこにも書いてない、新規加盟国を受け容れないと言ったことはない」とニベもない対応になる。「NATOは我々を騙した」という思いがロシアに巣ぐい、蓄積されて怒りとなって爆発したことは想像に難くない。

円の中に入れて考える

東西冷戦が終わりアメリカは唯一の超大国となり、その優位におぼれた傲慢さが、アフガニスタン戦争、イラク戦争になり、今回の事態にも影を落としているのではないか。ここ三十年を振り返れれば、資本主義の新自由主義的拡大が一%と九九%の格差社会を生み、地球環境の破壊をもたらした。そしてNATOの東方拡大がウクライナの惨劇を呼び起こした、という指摘も可能ではなかろうか。
対立する矛盾を常に円の中に入れて考える。必ず共通の糸が見つかり、すぐ太くなるものもあれば、年月を要するものもある。半円が全円になって行く創造性の探求が二宮尊徳の一円融合の考え方である。対立物の統一の思想であり、中庸を求め、それを基点として発展を探る思想である。世界史の転換期にある今、日々の生活から国際政治に至るまで、摂取、展開されるべき思想ではないだろうか。
欧米諸国は、資本主義と民主主義の価値観を押し出し押し付けても、円の中にロシアを入れる発想に乏しかった。その疎外感がロシアをここまで追いやったのである。
バランス・オブ・パワーによる核抑止力は、機能しないことが明らかになった。武力行使は、新たな憎しみを生み、報復の連鎖を作る。紛争解決には「外交に代わる選択肢はない」とグテーレス国連事務総長は言う。

戦争廃絶の流れを

かつて戦争は、物事を解決する手段として合法であった。
しかし、第一次世界大戦の惨禍の深刻な反省から、一九二八年、「パリ不戦条約」が結ばれ、戦争は国際的に不法なものとされた。
にもかかわらず日本、ドイツ、イタリアは第二次世界大戦を引き起こした。これに対して、戦争指導者に対する国際裁判が行われ、「人道に対する罪」「平和に対する罪」が定式化された。
戦後は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの民族解放運動の前進によって、多くの植民地が帝国主義の頸木から独立し、新興の新しい国が形成された。しかし今日依然として、帝国主義的支配、大国主義的倨傲、覇権主義的暴挙が存在している。一部の大国の「力の論理」をいかに制約し、軍事同盟を解消していくが課題として残されている。
軍事侵攻によって破壊された平和は、それを取り戻すに軍事力しかないという冷酷な現実の中にウクライナはいる。これへのリアルな眼差しと共に、同時にリアルに目指されるべきは、それぞれの国の自主独立を前提とした諸国民の共和である。EU的なもの、ASEAN的なものの拡大強化と言い換えても良い。
原爆の惨禍が日本に「非核三原則」をもたらし、世界各国の長年の努力が「核兵器禁止条約」として結実し、昨年発効した。「非核三原則」の世界的な展開であり、小国の結集が大国の横暴を押さえる力を持ち始めた端緒である。
ウクライナ侵攻によって私たちは、世界史の転換点に立たされている。進むべき大道がどこにあるのか。どのような思考が必要なのか。根本的で活発な議論が求められている。のか。根本的で活発な議論が求められている。

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