日本経済思想史学会のシンポジウム「報徳と協同の思想――自治・実業・教育――」から(2021年『報徳』9月号 巻頭言)

学問の成果を共有財産に

日本経済思想史学会の第三十二回大会は、報徳運動を取りあげ、「報徳と協同の思想――自治・実業・教育――」を共通論題として発表討論が行われた。コロナ蔓延のなか、六月十二日(土)十三日(日)、リモートで開催されたが、本来なら、掛川の大日本報徳社の大講堂での開催が予定されていた。

報徳運動が学問的に取り上げられ、批評や評価を受けることは、私たちの運動を進めて行く上で、大きな宝である。どのような発表であったのか、追尋してみよう。

協同の思想と報徳

なぜ報徳なのか。報徳を取りあげた理由を愛媛大学の松野尾裕さんは、国連のユネスコによる協同組合評価との関連で語られた。

ユネスコは、協同組合を「利益と価値の共有を通じてコミュニティーづくりを行うことのできる組織」で「社会的諸課題への創意工夫あふれる解決策を編み出している」と高く評価している。二〇一六年、「協同組合の思想と実践」は、無形文化遺産に登録された。

協同組合といえば、イギリスのロッチデール協同組合(一八四四年)、ドイツのデーリッチの都市信用組合(一八五一年)、ライファイゼンの農民組合(一八六二年)などが知られている。実はそれより三十年も早く、小田原藩家老服部家に住み込んだ二宮金次郎は、困窮した奉公人を対象に「五常講」を始め、お金を仁・義・礼・知・信に基づいて運用し、相互扶助の実を上げているのだ。「経済と道徳の一致」の淵源でもある。

こうした流れを見据えつつ「協同の思想と実践」に焦点を当て、従来とは違った観点から政治の面、実業の面、教育の面から報徳運動に迫り、その総体を明らかにしたいと松野尾さんは主旨を語られた。

先行研究

研究に刺激を与えた先行研究として、テツオ・ナジタ著『相互扶助の経済――無尽講・報徳の民衆思想史』(みすず書房 二〇一五年)が挙げられている。ナジタはここで遠州報徳の岡田良一郎を論じ、岡田がベンサムの「最大多数の最大幸福」という近代功利主義を伝統的な相互扶助の原理と結び付け、報徳の実践を通じて、経済と道徳、相互扶助と自治の関係を発展させて、農村の近代化を図り、天皇制国家の内部に徳で以って徳に応える自治主体を形成していくところに民衆思想としての報徳の特質を見ている。

報徳に関する本格的研究としては、中村雄二郎・木村礎編『村落・報徳・地主制――日本近代の基底』(東洋経済新報社 一九七六年)、海野福寿・加藤隆編『殖産興業と報徳運動』(同 一九七八年)が挙げられている。

そして最近の研究では、見城悌治著『近代報徳思想と日本社会』(ペリカン社 二〇〇九年)、足立洋一郎著『報徳運動と近代地域社会』(御茶ノ水書房 二〇一四年)が挙っている。

私たちも座右に置いて、報徳をより深く耕していきたいと思う。

三つの研究報告

「報徳と共同の思想」の政治面からのアプローチは、立命館大学の伊故海貴則さんの「明治十年代の岡田良一郎と静岡県政――「近代社会」形成下における「一致」実現の模索」である。

民間の報徳運動が、明治維新、自由民権運動を経て、大日本帝国にどのように繰りこまれていったのか。松方デフレによる農村困窮が進むなか、勤労・節倹・貯蓄を奨励する農商務省と県の要請を契機に、民心の分裂と変容を克服するために岡田良一郎の行った合意形成、協同と一致の方策がダイナミックに析出される。

実業面では、「鈴木藤三郎と岡田良一郎」について青山学院大学の落合功さんが発表された。

砂糖王と呼ばれ、台湾製糖社長を務め、尊徳資料収集整理に貢献した鈴木藤三郎は、報徳を「自分丈の卑見」「簡単に実用的な解釈」を旨として、岡田良一郎とは見解を異にしており、岡田も「財本徳末論」を唱えて富田高慶から「狂せるかな良一郎」と批判されるなど、報徳思想の受容は両者個性的である。とりわけ「推譲」をめぐって、貯蓄、殖産興業、社会貢献の位置づけに違いがあり、二人のそれぞれのオリジナリティーが解明される。

東洋大学の須田将司さんは、教育の面から、「昭和前期の報徳教育――長所美点をめぐる「対話」の教育史――」として、戦前の報徳教育のもつ二面性の内実に迫る。

一方では国家主義的な錬成教育であるが、他方で日常生活の指導や地域連携の人間性教育となっており。練成教育が体制に迎合して忖度する、ひらめ人間を多くつくったのに対して、後者の在り方は、「芋こじ」という報徳独特の熟議方式によって、個性、長所、美点を伸ばし、真の協同へと通ずる教育的意味を持っており、国家主義的とのみ見なされていた報徳教育の民主主義的側面を明らかにされた。

議論を紹介する余裕はないが、こうして皆さんの報徳研究から「一致」「推譲」「芋こじ」の軸が生まれ、報徳と協同を考える新たな指標が浮かび上がった。

「一円融合」と『矛盾論』

記念講演を私は求められ、「大日本報徳社の歴史と現代」と題して、遠州報徳が全国運動への展開していき、明治末期の「地方改良運動」、昭和初期の「農山漁村更生運動」を通じて富国安民に大きく貢献したが、戦争末期には富国強兵に使われ、戦後は「民主報徳」としての出発していく歴史をたどった。

榛村前社長はよく「御真影と教育勅語と金次郎像が〈欲しがりません、勝つまでは〉の戦争遂行に使われた」と言われ、見城悌治さんも著書で、戦争末期、報徳社は「大東亜共栄圏」を「一円融合」の現れとして国策に全面協力し、朝鮮、満州へ出て行ったことを指摘されている。この指摘はやはり気になるので、一円融合の活用をめぐる問題として、一言、言及した。

「大東亜共栄圏」は一円融合の実現とされた。しかし侵略の惨禍だけを残し、歴史によって断罪される。同じ時期、毛沢東は『矛盾論』を著わし、中国革命を成功に導いた。

一円融合は、対立物の統一の思想で、毛沢東の矛盾論も、対立する矛盾の生成と統一を論じ、考え方は同じである。しかし一方は破綻し、一方は成功した。

この違いはどこから来るのだろうか。それは客観的矛盾をどうとらえ、どれだけ現実の基盤の上に科学的分析をしたかによっているだろう。一円融合は、理念や主観の枠にとどまらないで、客観の深さに立つ度合いが深くなればなるほど、より確実に成立する。そうでないと、観念の落とし穴に陥ちこむ。大東亜共栄圏と結合した一円融合は、最悪の落とし穴に堕ちた例といえよう。

存在と意識の在り方に深く関わる一円融合の思想は、より深く、より全面的に、現実の基盤に立つことが常に要請されている思想なのである。

歴史を研究するとは

歴史研究を通して、私たちは歴史の真実をより深く知る喜びを味わう。同時にイタリアの思想家クローチェが言うように「全ての歴史は現代の歴史である」とするならば、研究は今日的な問題意識とも重なってくる。

伊故海さんの研究は、コロナ後の社会形成の問題に、落合さんの提起は、実体経済をどう豊かにしていくのかの問題に、そして須田さんの研究は、分断の進む中で子どもたち一人一人の自己実現の在り方とコモンなものへのセンス形成にも繋がっていこう。そしてその根底には協同への探りがある。

今回の発表は、歴史を解明する面白さと、今日的問題への触発とが絶妙に絡み合った、大変興味深いシンポジウムだった。そこに流れる実践への呼びかけが強く心に残る。

この成果が本となって私たちの座右に置かれ、日々の思考と実践に刺激と励ましを与えてくれることを強く望んでいる。

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