【第1回】地域の○○さん

こんにちは!
サークル『ONE』代表の鷲谷です。

今回は記念すべき第1回ということで、
僕がサークルを立ち上げるきっかけにもなった

当別町に暮らす今村さんに伊東と2人でインタビューをしました!!

めちゃめちゃ面白い話が出来たのでみなさん是非最後まで読んでください!!

こちらはサークルONE『わしやと地域で梅ポカサロン』でお送りします〜。

【鷲谷】今村さん今日はインタビューします!!よろしいですか?

【今村さん】はい。自分で良ければなんでも聞いてください。大したこと言えませんけど、、

【鷲谷】いやいや!僕も今村さんからたくさん勉強させてもらってますから!!
本日はよろしくお願いします!!

【伊東】よろしくお願いします!

【今村さん】はい。こちらこそ。

【鷲谷】今村さんが生まれたのって何年ですか?

【今村さん】生まれた年は昭和21年です。戦争が終わったのが20年なんで翌年ですね。まあそれこそみんな貧しい時代に生まれましたね〜

【鷲谷】今村さんは大阪出身ですもんね?昔が貧しかったってことはやっぱり、今の僕たちは恵まれていますよね?

【今村さん】そうです。大阪に生まれました。昭和20年台はみんな貧しかったんと思います。だからあんまり、自分が貧しいと思わなかったですなぁ。あれが普通だったからねぇ。みんな貧しいから自分だけなんて思わなかったです。

【鷲谷】そうなんですね。

【今村さん】そうそう。あの時代はみんな"食べるために"働いて、女の人も食べるために結婚してたからねぇ。

【鷲谷】たしかに、、、。今と昔のお見合いとかって全然違いますもんね。今村さんってどんな中学高校時代を過ごしてたんですか?

【今村さん】そうやな〜、あんまり覚えてないけど、でも色々やりましたね〜。学生運動とかもあの時代はありましたから、あの警官持ってる警棒あるやろ?あれなんてごっつい痛かったなぁ。

【鷲谷】あの警棒で叩かれてたんですか、、、。すごい時代ですね、、、。

【伊東】爆笑

【今村さん】そやねぇ。みんな色々やっとったわ。しかも大阪やろ?あの時代の大阪はすごかったで〜。中学校は頭の良い順が1〜10番目だけは廊下側にきらい10席並べられてんねん。1クラス50人やからあとの40人は窓側にギュッと並べられんねん。あんなん身動きできんくらいつめつめでな。でも頭の良い廊下側の10人は授業中漫画読んでも、居眠りしてても、廊下でても、何しててもええねん。そうなりたいから勉強頑張った記憶はあるわな〜。

【伊東】たしかにそれなら勉強頑張るかも、、、。

【鷲谷】それ凄いですね、、、。今村さんは実際どのくらいだったんですか?

【今村さん】僕は8位とかやったね。それ以上はやっぱ無理やった。でもギリギリ10位以内にはなっとったね。まあ今の時代じゃ考えられんことやけど、でもそんなこと昔はぎょうさんあったでぇ。

【鷲谷】僕らからしたら学生運動とか、その中学の仕組みとかもやっぱり考えられないですね、、、。
今村さんはたしか高校卒業して公務員なったんですよね?

【今村さん】そうです。ずっと大阪で公務員やってました。今は時効やから言うけど、それと同時にサイドビジネスもやっててね。投資信託とかですわ。バブルの時代やったからねぇ、あの時はぎょうさん儲かったでぇ。今はお金ありませんけどねぇ、、、。

【鷲谷】バブルでしたもんねぇ。この家で何軒目でしたっけ?

【今村さん】この家で10軒目かな?妻も僕も子供時代貧乏やったからねぇ。やっぱり家を持つってのが夢でねぇ。
色んなところに住みましたよ。

【伊東】10軒目!!すげぇ、、、。

【鷲谷】なんで今村さんは大阪から北海道に来られたんですか?

【今村さん】引越しとか家買うときも、全部妻が決めててね。僕は"はいっ"てお金出すだけなんですよ。妻のお母さんが元々岩見沢で働いてたらしくて、その繋がりで北海道に来たらしいです。
あとは娘が北海道の大学に通うことになったから、それもあるかな。

【鷲谷】そうなんですね!最初から当別町にお住まいですか?

【今村さん】いや、最初は円山のほうに住んでてね。そんで少し経ってからここに越してきたんです。

【鷲谷】そうなんですね!当別町に来たのはいつなんですかね?

【今村さん】あれですわ。あの震災の日。

【鷲谷】3.11ですか?東日本大震災の?

【今村さん】あぁ、そうそう。ちょうどあの日引っ越してきたんです。だから忘れもしないです。

【伊東】何故当別町を選んだんですか?

【今村さん】まあこれも妻が決めたんですけど、円山は車が結構通っててね。ちょっと排気ガスとか気になってね。
それやったら車通りが少なくて、平屋でゆっくりできるところがええと思ってね、、、。

【鷲谷】へぇ〜。そうだったんですね!実際当別町住んでみてどうですか?

【今村さん】でもごっつい気に入ってますよ。もうここから引越ししようとは思わないしね。でもあれかなぁ、やっぱり欲望がなくなったゆうか、昔は働いてお金貯めて家買って、もっといい家にって色々やったもんやけど、今はそんな欲がないもんねぇ。

【鷲谷】たしかにそうですよね。でも結構不便だったりしませんか?

【今村さん】ある程度は慣れたねぇ。でも、妻が2年前亡くなってからねぇ、それからやっぱり話し相手がおらんねぇ。そこが1番かなぁ。家の中で困ったこととかを相談できる人もいないし、毎日テレビだけ見ててもボケるだけかなって思うしねぇ。

【鷲谷】なら僕ら学生って話し相手になるだけだけでも力になれてますか?

【今村さん】そうやねぇ。僕はラッキーなもんで、君たちがたまに来てくれるから。やっぱり昔の話ばっかりしててもなぁ。新しいことを聞けるし、学生さんのおかげで助かってます。

【鷲谷】いやいや!こちらこそすごく勉強になります!!
僕らって医療職にこれから着くじゃないですか?その上で何かアドバイスあれば教えてください!!

【今村さん】でも僕もそうですし、みんなもそうやと思いますけど、病院で死にたい人なんて誰もおらんと思います。やっぱり自分の家で亡くなりたい。普段の生活の中で死にたいですよ。

【鷲谷】僕らリハビリの専門職って何ができますかね?

【今村さん】だから、やっぱり病気になるのを防いで欲しいね。あぁなったらもうやっぱりきついでぇ。だから病気とか怪我をする前に、アウトになる寸前まで元気でいられるようにして欲しいなぁ。

【鷲谷】そうですよねぇ。僕らは普段、怪我や病気になった人の勉強ばかりしてるのでそこに気づく機会がすごく少ないんです。

【今村さん】今って体悪くなったら施設に入れるみたいな感じでしょう。あんなん最悪やで。これからどんどん高齢者増えるんだから、溢れかえってしまうよ。

【伊東】たしかにそうですね、、、。

【今村さん】施設は卒業制にするのがええって。施設に入って死ぬんじゃなくて、施設でリハビリしてまた家に帰す。それがええよ、自分施設とか建てたいやろ?そっちでいかな、年寄りだけ溢れていくで?

【鷲谷】たしかに!!それすごくいいですね!そうすることで卒業する人とまた新しく入る人で循環も生まれますもんね!しかもそれを目的にやれば、これから施設でのリハビリ職の価値ってすごく上がると思います!

【伊東】絶対必要になるねPTとか。

【今村さん】そやろぉ。絶対そうやで。施設でも病院でも死にたい人なんて絶対おらんて〜。ほんま自分たち頼むで??

【鷲谷】はい!任せてください!!笑
じゃあ最後に学生が自宅に来るようなって今村さんの中で何か変わったことがあるか教えてください!

【今村さん】そうやな〜。やっぱりボケ防止にも頭使わなきゃねぇ。それと話さなきゃ。話さなきゃやっぱりボケてしまう。だからみなさん来てくれてほんまに嬉しいよ。ただ死ぬのを待つ老人になりたくないからねぇ。あと鷲谷くん商売やるんやったら人と違う経験たくさんせなあかんで?色んな経験して、君らは今なんでもできるんやから、色んな経験したらええよ。

【鷲谷】わかりました!また勉強させてください!
本日はありがとうございました!

【伊東】ありがとうございました!!

【今村さん】こちらこそ、ありがとう。


僕がサークルを立ち上げるきっかけをくれたのが今村さんです。今村さんがふとして言った『いつ死んでもええよ』って言葉がなんか刺さって、なんとかしたいと思って自宅に通い始めた去年の6月。ガーデニングイベントや、たこ焼きパーティーなど、多くの学生と関わってもらい、少しづつ元気になっていく姿が見られました。僕らなんの経験も知識もない学生でも、誰かの生きがいになれると思い、このサークルを立ち上げて3ヶ月。今では41人の学生が集まってくれました。今村さんをはじめとして、これから多くの地域高齢者の方、孤独を感じてる方、支援を必要としている方へ、学生が少しでも力になれたらなって思っています。これからも自宅に伺わせてもらいます。

リハビリ 理学療法学科2年 鷲谷 建

今村さんへのインタビューで、今1番困っていることは話し相手がいなく、認知機能が低下してしまうことだとおっしゃっていました。そして、私たちのような若い世代の人達と話すと良い刺激になるようです。少なくとも今村さんは私たち学生を必要とし、生きがいとしているため、このような人たちのために力になれればと強く感じました。

リハビリ 理学療法学科2年 伊東 澪