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社会的エリートだが、ADHD薬物療法はアリですか?

本日は「社会的エリートだがADHD、薬物療法はアリですか?」というテーマでお話しします。

社会的に成功している人、成功と言わなくても普通に会社員で働いている、一流大学の大学院生、研究者の人の中で、ADHDの人というのは結構います。

1割弱ぐらいがADHDなんじゃないか、グレーゾーンも含めたら疑いがあるということですから、子どもの時にそういう調査ありますよね?

子どもの時、学校の先生がクラスの子どもを見たときに、こういう疑いを感じている人は1割弱ぐらいいるみたいなデータがあって、なるほどなと思ったりしますけど、実際います。

いる中で、彼らは薬物療法を受けるべきか、受けちゃダメなのかということをお話しします。

結構悩んでいる人が多いんです。

実際、会社でポカミスがあったり遅刻が多かったりして怒られる、怒られるけれども他の能力でカバーしていたり、ボーナスが減るだけでクビにはなってない、そういうケースが一杯あって、実際勇気を振り絞って病院へ行っても診断してくれない先生もいて、どうしたらいいんだろうと言ったりします。

何で診断されないのか、自分は甘えているのか、そういうことを考えるんですけど、ここら辺の議論がグシャっとしてたりするので、一度動画に撮ってみようかなと思ったので、今回動画を撮るということです。


◼︎メリット

まず社会的にはなんとか成立してるけど、より幸福になるために薬物療法受けてもいいのかということです。

メリットとしては、個人の幸福と自己実現ということの観点からいいのかなと思います。

幸福度が上がる、自分ができなかったことができるようになるのだったらいいんじゃないかということです。

GLP-1などのやせ薬の問題とけっこう似てると言えば似てるんですけど。

小太りだとか、そんなに太ってないにもかかわらず、美容目的でそういう薬を使うときにどうなんだろうということと似てます。

美容的な観点でも人の幸福度を上げることは事実なので、我慢しろというわけではないです。

自己実現のためだよと。

あと健康管理の問題です。

ADHDがあったりすると依存症のリスクは高まったりもしますし、衝動的に食べて生活習慣病の問題が起きることもあるので。

ストレスも多かったりするので、健康管理という意味でも利用するというのはいいのかなと思います。

ミスが減ることによって、個人の幸福だけじゃなくて社会適応が良くなり、社会的な貢献を果たすことができるので、そういうメリットもあるでしょうということです。

そもそもなぜメリットがあるのにやらせてくれないのかというと、定型の人など他のより重症な発達障害の人達から差別や嫉妬みたいな気持ちがあってやらせてくれないというのもあります。

定型の人達の中で同じようなライバル関係であるとき、この人がもし発達障害の治療してしまったらライバルに勝ってしまう場合、ライバルの人たちはやはりミスが減って欲しくないわけです。

この人が今年収4,000万、5,000万稼いでいる場合、1,000万稼いでいる場合、1,000万が出世の機会があって1,500万になるとき、すごく嫉妬心があって、医師側もさせたくないというのもあるのかもしれないなと思います。

◼︎デメリット

デメリットとしては、まずその個人の幸福に対して、あるがままの否定だったりするということです。

我々は自然に生まれてきたわけで、自然な状態で生きるべきだという、あるがままの自分を否定することになるわけです、薬でエンパワーメントするということは。

生まれ持った姿を否定することになるので、それは巡り巡ってその人の幸福度を下げるんじゃないかという発想もあったりします。

健康にいいのかというと、それはストレスが減るから、そういうメンタルヘルス的な部分、メンタルヘルスから生まれてくる二次障害的な問題で健康管理は良くなるかもしれないけれども、一方で長期使用のリスクというのもあって、高血圧のリスクは上がるんです、心血管系の。

だいたいオッズ比1.3倍ということなので、例えば健康な人、6割ぐらいの人が高血圧だったりするんですけど、男性の。

最大1.3倍くらいも上がると言ったら、簡単に言えば78%ぐらいの人、発達障害の男性の中で78%ぐらいの人が高血圧になってしまうということなので、大きいと言えば大きいなという気もするし、逆に高血圧も一杯いるから今更という感じもしてしまうことはあるのかもしれないです。

あと、いやいや自分で本当に選んでるんですか、社会的なプレッシャーで選ばされてるんじゃないですか、ということです。

できないことを社会によって押し付けられているという発想もあるわけです。

社会適応しろよ、劣ったままじゃダメだよ、薬を飲んで生産性が上がるんだったら、会社のために薬を飲めよ、家族のために薬を飲めよということだと、本人が望んでいるものではなかったりもするし、プラス無意識にそういう圧で自分の選択を歪められているパターンもあるわけです、社会的なプレッシャーで。

こういうのがデメリットだったりするなと思います。

あとは医療資源の分配の問題です。

つまり、より重症の人たちを診る中で、医師不足とも言われたりしてる中、彼らの治療にあたっていいのか、彼らに医療資源を分配していいのかという問題もあるのかなと思います。

百歩譲って、それなら医療保険ではなくて自費にしなさいよ、自費にしても工場という限界性があるわけだから、ヒルドイドのときと同じで美容目的の人にたくさん買い占められてしまって、本当に届くべき人のところに届かなかったこともあったわけで、そういう医療資源の分配、限りある資源を適性分配できなくなるのではないか、というのもひとつの問題だろうなと思います。

ということです。

どっちもあるなと思います、こうやって見ていくと。

僕としてはただの一介の臨床家なので、こういう全体的な医療資源の分配まで言われると、よくわからないというか、それを決める立場にはないと思ってるんです。

今の法律や今のルールの中では、ある部分、情報弱者の人には不利というか、情報をいち早くキャッチして、早く通院した人の方が得だったりもするし、他国のように民間保険で医療費を賄うのではなくて国民皆保険なので、どうしても国民皆保険ということを逆手に取って、エンパワーメント的な医療に繋がってしまうということもあります。

もちろんビタミン剤を何でもかんでも出していいということではなかったり、エンパワーメントな医療なんじゃないと保険で切られるということもなくはないないし。

むやみやたらに湿布を出す、漢方を出すというのもダメだよということになってますけど。

医療費の圧迫の問題とかもありますからアレですけど。

個人としては、多くの人に精神科のことを知ってもらい、精神医学的な知識を知ってもらい、結局心は脳なので、人間というのは動物なので、動物や人間の身体のことを理解した上で合理的な行動をとってもらった方がいいんじゃないかなと思うので、個人としては診断をしていき、治療していくことがいいんだろうなとは思ってます。

ただ賛否わかれるところではあるなと思います。

人類というものが、色々なことがわかってきた。

科学の進歩によって人類がわかってきたことが増えた。

人類としてわかってきたこと、できることが増えてきた時に、どうしても倫理的なジレンマ、新しい問題には遭遇します。

それは安楽死の問題も然り、延命治療の問題もそうですし、遺伝子操作の問題も然り、出生前診断のことも然りです。

そういう中で何が正しいのかということは考え続ける必要があるし、臨床しながら市民活動の中で考え続ける、そして専門家からの発信、色々な人の意見の中で倫理的な正しさは何かということを追求していく、人類が未だまだ解決してない、結論付けてない問題について だろうなと思います。

ということで今回は、社会的エリートだからADHD、薬物療法はアリ?というテーマでお話ししました。

◼︎本日の宿題

宿題は診断してくれない医師問題です。
診断してくれなくて困りました、自分はこういう思いで治療を受けてます、こういう思いで治療を受けることを止めました等々を書いてもらえるといい学びかなと思います。

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