大切な話をしよう、夏の日の午後は上野公園で。
もうあんまり覚えていないのですが、たしかあれは8月のことでした。
ミンミン、だかジージー、だか、蝉がたくさん鳴く東京のすこし緑が多めな公園。待ち合わせをきちんとしたのかどうか、それももう定かではないのですが。
ただ、4人で並んで、その「上野公園」の蝉と緑の中を歩いた記憶と、後ろ姿の絵だけは、なぜか自分もそこに入っていたはずなのに。鮮明な気がします。
歩いていたのは、まだ、26歳で起業していなかった鳥井弘文と、講談社に勤めていた私と、まだ大学生だった小松崎拓郎と立花実咲。
そうです、私たちはそれまで一緒に活動していた編集部を解散し、なんとなく宙ぶらりんの状態。けれど「何かを一緒につくりませんか」と、たしか私と鳥井弘文で、大学生のふたりを口説きにいったのでした。
「僕は会社をつくります(やっと)」と、彼は言って。
「私は、やるというならついていくだけ」みたいなことを、実咲は言って。
拓郎は、なにを言ったっけなぁ。「ぼくは何かをつくるなら、みんなと一緒にやりたい」みたいなことを?
私はたしか、うっすら講談社を辞めることと、長い旅に出る決心をしたことに、気づき始めている時期で。
そうそう、当然これは、2015年1月1日に『灯台もと暮らし』ができる少し前の、2014年8月の話です。
昔のロゴと、書いていたnote
そして私たちは、9月に登記された「Wasei」の名前を知って、10月に合宿をして、『灯台もと暮らし』をつくる準備をして、11月と12月を忙しく過ごして。
私は講談社を辞めて、ふたりは大学を卒業して、晴れて2015年4月にはWaseiは4名の会社になりました。
***
2014年の8月と、これからむかえる2018年の8月は、それぞれ思うことも感じることも違うでしょうね?
「夏の思い出」たくさんあるけれど、たまには、みんなで共有できそうな、思い出話を。
(伊佐でした)
※ちなみに4年前の8月当日、鳥井弘文は泥酔した翌日でグダグダでした
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?