見出し画像

早稲田卒ニート93日目〜三浦先生の蓄音機会・夜の部〜

凄い時間を過ごした。浪人時代にこれほど偉大な人と出会ったとは、改めて人生の激変を突き付けられる。三浦先生の隣でメシを食い酒を飲ましてもらう。私にとっては歴史的一大事である。

話題は様々あれ、競馬の話を長く聞けたのも嬉しかった。「日常を壊す」という重要な意味があることを知った。



世界の本質は偶然性だが、偶然には耐えられないがゆえに必然性を求める。しかし、必然性だけでは人生は退屈する。そこで、偶然性という世界の実相へ回帰しようとする。この偶然と必然の往還によって、人は生きていられる。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明は書いた。無常である。無常は、「儚いね」ではない。「おごれる人も久しからず」で要約されてしまってならない。この世は、予定された必然的進行が繰り返されるのではなく、その時たった一回の、その場限りの偶然がポツンと起きては消えてを繰り返している。何も定まってはいないのだとすると、私はまさに次の瞬間死ぬかも知れない。それはまことに不安なことである。その不安から、科学は誕生した。合理的法則性に乗っかって世界を理解すればいいとなると、これは安心できる。

癒しはいらない。なくてはならないのは救済である。救済とは、この世の本質的偶然性に由来する人間の必然的不安から立ち上がる、切実な要求である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?