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早稲田卒ニート31日目〜吸い殻という「遺体」〜

今日も天気がいい。煙草が旨い。

銅マグにコーヒー。
タバコとコーヒーはセットである。

しかし飲食店での煙草の規制が強まってからというもの、喫茶店への足は遠のくし、飲み屋でも煙草が吸えるところにしか行かなくなった。煙草の吸えない喫茶店なんか行ったってどうしようもない。煙草を吸いながら読書やら何やらをアレコレするために喫茶店に行くのに。

とにかく煙草は遠ざけられる。「喫煙者、人に非ず」かの如く嫌厭してくる人もいる。しかし、煙草とは文化である。

『タバコの文化史』


喫茶店といえば神保町にも数々の愛すべき名店があるが、渋谷には「名曲喫茶ライオン」がある。

看板。

1926年生まれということは、戦争を経験しているということである。事実、初代店主は空襲で焼け野原になった渋谷でライオンを復興させ、今がある。

外観。

店内は撮影禁止だが、ネット上には写真がある。

店内。2階建て。3D立体装置。

店内は妙な緊張の糸がピンと張られているのになぜか安らげる、不思議な空間であった。建物全体が音楽に包まれるこの空間で煙草、コーヒー、読書。これが至福の時であった。禁煙になってからというもの、すっかり行かなくなってしまった。

庭のタヌキと缶ピース。ツーショット。

学生には、「非行に走れ」と言っていた。折角学ランを着ているなら、ビーバップハイスクールの様に、髪型はリーゼントで、ドカンとかボンタンとか履いている様な学生がいてほしかった。そんな奴がいたら学校の教師は服装指導をうるさくするだろうが、私ならもうとことん可愛がって仕方なかったと思う。しかし今や、そんな格好が似合う気骨ある若者は滅多にいない。みんなどこか女々しくてふにゃふにゃしていて情けなくて、それなのに下手にカッコつけている。彼らには、人生の背骨が無いのである。恐らくその自覚も無い。

いずれにせよ、勉強なんか退屈そうにやっているくらいなら、こっそり煙草の1本でも吸えばいいし、酒でも飲めばいい。

学生時代、高円寺の「路上飲酒禁止」と書かれた路上に堂々と座り込んで煙草を吸いながらコンビニのツマミとスト缶を呷っていたら、通りすがりのジジイに怒鳴られたことがあった。「ここに書いてあるの読めねえのか?」とか言われたが、彼はきっとこちらに混ざりたくて嫉妬していたのだろう。それなら素直にそう言えばいいのに。尤も、言われても混ぜてなんかやらなかったとは思う。



タバコとは、着火したその瞬間から不可逆的に消滅へと進み続ける「無常」である。この点、人間の一生と何も変わるところはない。私たちだって、生まれたその場から直ちに死という消滅へ向かって不可逆的に進行しているのである。その意味で、火の消えた煙草の吸い殻とはある種の「遺体」の様な存在である。街で煙草の吸い殻が落ちているのを見かけると気分が悪くなるのは、そこに「遺体」が転がっているのと同じ状況だからであろう。吸い殻と遺体のアナロジー。そして灰皿とは、「遺体」の墓場である。墓場は、人目につくところからは遠ざけて建てられる。タバコを吸っている時に灰皿の掃除をしてくれるおじさん、おばさんが来ることがある。私がその時ちょっとバツの悪い感じがするのは、私の遺棄した「遺体処理」をしてもらうという構図がそこにあり、それに対するうしろめたさが根底にあるからだ。

タバコの火を絶やすな。煙草を吸うことは、私の人生という無常に、煙草という無常が重なり合うことである。タバコを吸い続けること、それはタバコに新たな生命を付与することであり、その生命を奪おうとする時代に抵抗し火をつけ続けることだけが、タバコという文化の継承である。ただし、ダサい煙草では駄目だ。メビウスの1ミリとか、よくそんなものを吸って恥ずかしくないものだ。大学生は平気でそんなダサい煙草を吸う。カプセルなんか入っていようもんならもう目も当てられない。

三島由紀夫VS東大全共闘

1分50秒頃、東大の芥正彦が三島の煙草に火を着けてやるシーンが有名である。この時、思想の食い違いなどは問題ではない。それを繋ぎ合わせる「異の共存」として煙草はあるのである。ところが現代では「タバコミュニケーション」(もはや死語か)だとか言って、「喫煙所で煙草を吸っている時に会社の有益な情報を話したりするのは、非喫煙者に不利だ」などと、人間関係を損得でしか考えられないからつまらなくなるのである。

あの日、三島由紀夫を揶揄する宣伝広告。

私の浅学な日本文学史知識の中ではあるが、私が誰よりも格好良いと思い、最も尊敬しているのは三島由紀夫である。三島由紀夫は、ライオンと1年違いの1925年生まれである。つまり、三島由紀夫という人間の人格形成にも戦争体験が深く根ざしている。そんな三島が愛煙していたショートピースを私も愛煙している。私の味覚では、煙草はPeaceに限る。Peaceより上等な煙草は他にない。が、私は写真を撮る時には何があってもピースはしない。というのは、ちょっと気恥ずかしくて出来ないのです…。

(※そういえばあれ以来、牛タン屋から詳細の連絡が来ない。連絡が来るはずの日から2日間も音沙汰無し。果たして無事に勤務まで辿り着けるのだろうか。)

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