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都道府県大戦マルチ(第一次)

当会初の都道府県マルチでした。
プレイヤー入りは
・北海道
・群馬
・愛知
・京都
・大阪
・広島
の6か国6名。
勝利条件は単純。工業力が最も高い者が勝利。

<1939年>

 群馬による拡張が開始。栃木が群馬に併合され、グンマ―帝国が躍進を遂げる第一歩が踏まれた。日本が暗闇へと落ちる第一歩である。各県は恐怖に慄き、大阪・京都は関西広域連合を形成して東に対抗する構えを見せ、広島と北海道は拡張のための軍備増強を急ぐ。愛知は多発する交通事故に悩まされていた。

<1940年>

 グンマ―は引き続き拡大を続け、関西広域連合は奈良への侵攻をきっかけとして関西統一へと動き出した。そんな中、ぬくぬくと軍備増強をし、いざしまなみ海道を征服せんと軍隊を南に向けた広島に、突如島根・鳥取・山口連合軍が襲い掛かった。全軍隊を南に向けていた広島は奇襲を受ける形となり、広島プレイヤーはAI相手に罵詈雑言を浴びせながら必死に防衛線を構築する。しかし、やはり3国相手は厳しく、防衛線の維持すらままならない(当時の広島軍戦力は歩兵48師団、自動車化6個師団)。ついに広島市近郊まで山口軍が迫り、もはやここまでかと思われたその時、突如として謎の言語を喋る部族が山口軍の前に立ちはだかった。グンマ―人である。
 非文明的な腰布に竹やりを装備した彼らは猛然と山口軍へ向かっていき、難なくこれを撃破。広島軍自動車化部隊と連携して機動防御を展開し、広島の危機を救った。これに感涙した広島県知事は感謝の念を込めて伝統工芸品である「宮島細工」をグンマ―帝国に進呈したが、残念なことに用途が分からず、「使いにくい盾」として認識されてしまい、友好関係を結ぶには至らなかったようだ。
 その後、蛮族の力を借りて山口軍を抑えることに成功した広島軍は、北部の島根・鳥取連合軍の撃破に乗り出す。連合軍とは言っても、元々この2県も戦闘状態にありバトルロワイアル状態であった。広島軍はこれを利用し各県軍を包囲殲滅し、鳥取を降伏させた後、島根も征服に成功した。そうなってしまえば残りは山口だけであり、中国西部をほぼ統一した広島の敵ではなかった。自動車化による電撃戦も成功し、中国西部は名実ともに広島の統治下となったのだった。

<1941年>
 和歌山・滋賀・兵庫を征服した関西広域連合は自動車大国愛知を自陣営に引き込むことに成功。また、岡山を緩衝地帯とすることで広島とも不可侵条約を結び、更に東へと歩を進める。グンマ―帝国は東京率いる関東陣営を打ち破り、関東は完全にグンマ―帝国の支配下となった。その後、グンマ―帝国は北への進出を開始し、新潟・長野の征服を進める。また、北端では北海道が青森侵攻を開始するも、宮城率いる「北の誓い」陣営に阻まれ頓挫。四国征伐を開始した広島の助けを請うためにカープ公式ファンクラブへの入会を決心した。
 そして、愛知を含めて三重侵攻・岐阜侵攻が始まると遂に関西広域連合とグンマ―帝国の国境が接することとなり、決戦の時が近いことを各県は実感することとなった。

支配領域を拡大する各県

<1942年>
 グンマ―帝国率いる「関東中枢連邦」により新潟陣営が降伏。ついに関西と関東の境目が消滅した。これにより遂に、両陣営による決戦が始まった。

対立する二大陣営

愛知はトヨタの大量生産により機械化師団を大量に吐き出し、関西の先鋒を担ったが、関東陣営の防衛線を大突破することはかなわず、戦線は膠着した。他方で、関東陣営からの攻撃は京都人と大阪維新の会の支持者たちがその身体を以て受け止め、前線はやはり動くかなかった。
 この事態を広島・北海道は傍観し、退屈を紛らわすため広島は九州征伐を開始した。
 圧倒的な軍事力・工業力を保持する関東陣営の攻撃をなんとか受け止められていることに安堵する関西陣営であったが、そこにグンマ―帝国語で絶望の一言が告げられた。
「これ、グンマ―帝国軍出てないんすよね」
絶望した関西陣営は自らの敗北を確信し、戦争は一気に関東優位の流れへと変わった。事実、グンマ―帝国軍が静岡からの攻勢を開始したところ、大阪民兵と京都人は壊走し、トヨタ車は名古屋走りを活かして西へと爆走を開始した。必死に防衛線を整え、グンマ―帝国軍を受け止めようとする関西陣営であったが、文明人が原始的営みである”戦争”において非文明人にかなうはずもなく、岐阜の山脈部で関西軍が大規模包囲され、戦線は崩壊。戦争はグンマ―帝国軍の勝利に終わった。

非文明人に包囲される関西軍。降伏しようにも”降伏”という概念が通じず、皆殺しにされてしまった。


 これに伴い、九州で遊んでいた広島と北海道もグンマ―帝国に頭をたれ、日本はグンマ―帝国の下、非文明的平和を享受することとなった。

<結果>


グンマ―帝国の勝利。

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