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『さくらんぼ太郎』

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。

おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
おばあさんがせんたくをしていると、川上から大きなさくらんぼが一房、どんぶらこどんぶらこと流れてきました。おばあさんはさくらんぼを持って帰ろうと、よいしょと一粒かかえあげました。すると二粒のさくらんぼをつないでいた茎がさけ、もう一粒は川下へ流されてしまいました。おばあさんは残念に思いましたが、あきらめて一粒だけ家にもって帰りました。

山から帰ってきたおじいさんは、さくらんぼを見てびっくり。こんなに大きくつやつやとしたさくらんぼを見るのは初めてだったからです。おじいさんとおばあさんは「いただきます」と、早速さくらんぼにかじりつきました。みずみずしく甘いさくらんぼを堪能した後には、大きな種が一粒のこりました。種を畑にうめてみようかと二人で話していると、なんと種が二つに割れて、中からかわいい男の子が「おぎゃー」と出てきました。
おじいさんとおばあさんは腰を抜かさんばかりに驚きましたが、男の子に「さくらんぼ太郎」と名付けて大切に大切に育てました。

さくらんぼ太郎はすくすくと大きくなりました。そしてある日、さくらんぼ太郎はおじいさんとおばあさんに言いました。
「おじいさん、おばあさん、今まで大切に育ててくれてありがとうございました。ぼくは村のみんなを困らせる鬼を退治しに、鬼ヶ島へ行こうと思います。」
おじいさんとおばあさんはたいそう悲しみましたが、さくらんぼ太郎の決意はかたく、さくらもちを作って送り出すことにしました。
さくらんぼ太郎は旅の途中でさくらもちをチラつかせ、まんまと犬、猿、雉を仲間にしました。
鬼ヶ島へ渡る船を探している時、猿が危うく泥船を掴まされそうになりましたが、そのような困難も旅の醍醐味です。艱難辛苦を経て、さくらんぼ太郎一行は何とか鬼ヶ島へたどり着くことができました。
「村のみんなに狼藉をはたらく鬼ども、このさくらんぼ太郎が成敗してくれよう!」
名乗りを上げたさくらんぼ太郎に、金棒を持った鬼たちが一斉に襲いかかります。
しかしおばあさんが作ってくれたさくらもちのおかげで百人力のさくらんぼ太郎たちは、ばったばったと鬼たちを倒していきます。あっと言う間に鬼たちをやっつけました。

鬼たちが奪った宝物を取り返しに行こうとした時です。鬼たちの屍を超えて、一人の青年が現れました。
腰まで伸びた髪、射抜くような眼光、筋骨隆々とした体躯、虎皮の腰巻――。一見すると鬼のようですが、青年の頭部には鬼であることを表す角が見当たりません。

青年のただならぬ雰囲気に、さくらんぼ太郎達に緊張が走る。
無言で近づいてくる青年を前に、さくらんぼ太郎は刀を構える手に力を込めた。
向かい合った二人の間に一陣の風が吹き抜ける。

「お前は……何者だ!」
先に口を開いたのはさくらんぼ太郎だった。青年は少し考える素振りを見せ、静かに答えた。
「俺の名は、さくらんぼ次郎。滑稽な名前だろう。俺はここに流れ着いた大きなさくらんぼから産まれたらしい。」
「なん…だと……。」
さくらんぼ太郎は持っていた刀を落としそうになり、両の手にぐっと力を込め直した。

在りし日の事が頭をよぎる。おじいさんが寝入った後、おばあさんは煎餅布団を抜け出し、しょっちゅう酒を飲んでは「さくらんぼ太郎よ、本当はお前には兄弟がいたんだ。私に力がなかったばっかりに、救うことはできなかったけれど……」とさめざめと泣いていた。
そう、あの日おばあさんが救えなかったさくらんぼは、鬼ヶ島へ流れ着いていたのだ。

立ち尽くすさくらんぼ太郎に、さくらんぼ次郎が問いかける。
「ニンゲンを見るのは初めてだ。お前の名を聞かせろ。聞いたところでどうせ殺してしまうが。」
「…我が名は……さくらんぼ…太郎。」
さくらんぼ次郎は一瞬目を見開いたが、「フン、なるほどな。だが関係ない。」と金棒を構えた。
「待て!同じ水分と養分を分け合って育った兄弟なのに、何故殺し合わなければならぬのだ!」
「俺の仲間、…そして家族を殺した奴に容赦はせん。」
「しかし…!」
「茎の裂け目が運命の分かれ目だった。栓無き事よ。」
いつの間にか噛みしめていたさくらんぼ太郎の下唇からは、まるでさくらんぼの実のように真っ赤な血が一筋流れていた。
覚悟を決めたさくらんぼ太郎は刀を構え直した。
「いざ…参らん…!」
「手加減はせんぞ。全力で来い。」

たった一人の弟を簡単に斬れるはずがなく、さくらんぼ太郎の太刀筋には迷いが見られた。さくらんぼ次郎はそんなさくらんぼ太郎に容赦なく金棒を叩きつける。倒れこんださくらんぼ太郎を見下ろし、「これで終いだ」と金棒を振り上げた。
その時、雉のけたたましい鳴き声が響き渡り、さくらんぼ次郎に一瞬の隙ができた。犬がさくらんぼ次郎の脚に噛みつき、猿が背中に飛びついて、よろめいたところにさくらんぼ太郎の刀が――振り下ろされた。

剥き出しの岩肌に鮮血が散った。
力なく倒れこんださくらんぼ次郎は、息も絶え絶えに言う。
「なあ、なぜ俺がさくらんぼ次郎と名付けられたか、アンタは分かるか?」
力なく投げ出されたさくらんぼ次郎の手を取り、さくらんぼ太郎は「もういい、喋るな」と震える声で言った。
「俺が入ったさくらんぼを拾った鬼が『茎がちぎれた跡があったから、お前にゃきっと兄がいるんだろう。だからお前はさくらんぼ"次郎"だ』ってよ。いつか生き別れた兄ちゃんに会えるといいな、なんて言われてたが…まさかほんとに会えるとはな……。あんたとはもっと違う形で会いたかったよ、兄さん。」
握っていた手から力が失われていくのを感じ、さくらんぼ太郎は声にならない声を上げた。

「私に力があれば…」と嘆くおばあさんを見て育ったさくらんぼ太郎は、いつか誰かを救えるよう鍛錬を積んできた。そしてさくらんぼ太郎は今、村のみんなの為に鬼ヶ島に立っている。たった一人の弟の亡骸を前に。
「こんなことの為に僕は力をつけたんじゃない」、さくらんぼ太郎の心の叫びは誰にも届かなかった。

こうしてさくらんぼ太郎は、鬼がうばった村の人の宝物を村に持ち帰りました。無事に帰ってきたさくらんぼ太郎の姿に、おじいさんおばあさんをはじめ、村のみんなも大喜びです。

さくらんぼ次郎の亡骸は、村と鬼ヶ島を臨む小高い丘の上に埋められました。
そこにはいつからか大きな桜の木が育ち、春はきれいな桜を咲かせ、爽やかな風の吹く初夏には赤々としたさくらんぼの実をたくさんつけます。
甘くておいしいと評判のさくらんぼは、いつも村人を笑顔にしてくれます。
さくらんぼ太郎は、ふたつの粒が仲良く寄り添っているようなさくらんぼの実が生る度に、愛おしそうに撫でているそうです。

おしまい。






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