生活の中の美について

この素敵なタイルを見せられた時、きっとこの美しさは毎日掃除をする人のためにあるんじゃないかと思ったらキュンとした。

たぶん、客としてこのお風呂にいても他の楽しむ要素が多すぎて、この美しさは堪能しきれない。毎日掃除する人が幸せで羨ましいと思うし、労働者が愛でるものを作った職人は最高だなと思った。

金さえ払えば美に溺れる非日常の世界を存分に味わえる昨今。けれど、日常のふとした瞬間に愛でる美しさがあるって豊かではないか。時間に余裕が無ければ味わえない贅沢だろうか?時間の有無じゃないよな、気づける感性有無の問題。感性があると豊かな瞬間を持てる。この感性すらも養う時間が必要か?養うものなのか?自分の内面の機微に気づけば感性はあるはず。

たぶん、このタイルが影響した。

黒いジャケット。裏地の鮮やかなオレンジのプリントコットンに心を鷲掴みされてしまい迎え入れた。でも内心は少し躊躇った。こんな素敵なテキスタイルを誰かと共感しあいたい気持ちも少々。毎日着る自分だけがこれ見て気分上げるだけじゃ物足りない。しかし、袖が捲れる位長めのデザインになっていた。チラ見せで共感を呼べそうなのが決め手になった。

美に対する感受性は人それぞれなので、このジャケットの裏地に共感する人はいないかもしれない。自己満の虚栄心にすぎないか?でも、自分だけの生活の中の美にはしたくないのだ。とりあえず他人の目に触れることろに置いておくだけで、十分にその私が思う美しさを使い切りたい私のケチケチ精神が落ち着くのだ。

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