健やかな人の正論

ホント。このとおりだと思うんだ。

だけど、つらいと言う人が既に健やかじゃないどころか寧ろ病に蝕まれていたら、相手の所為以外を考える余地がなさそうだ。今、そのことに困っている。

こっちも、そないに健やかなわけではないが、正論だとも思っていないが、こっちも困るしつらいから、何とかならないかと投げかけたことを受け入れてもらえず、つらいと言われてしまうとどうしようもない。しかし、お手上げで相手を放ってしまうと、その人が危険な深みにハマって行きそうで心配になる。

相手のつらさがどれほどのものか理解できないけれど、心配だから何か声をかけたいけれど、これ以上何を言えばいいのか、どう接すればいいのか。他人には見えない病んでる心は自らの行動で快方に持って行くしかない。たとえ原因が自分の外にあったとしても。

だからもう、快復することを願ってそっとしておくしかないのだな。

昨晩のドラマ『不適切にもほどがある』では、寛容に~♪と盛大に歌って終幕を迎えた。最高だった。

最近、相手から言われた言葉が強くきつく響いてツライと感じていたけど、言った本人はこっちが感じたほどの強い想いなんてないんじゃないかとわかってきた。というのも、ある人がものすごい怒りながら作業していて怖ぇと思っていたけど、ひと段落した後にその人はずっとテンパってたと言うのだ。テンパるなんてそんなかわいい形相ではなかったけれど…。

そんな矢先に別のところで、双方に塩対応がツライとか失礼な物言いが嫌だとか言う人たちが現れた。私とのコミュニケーションから察するに、双方の言い分に共感する部分もあるけど、印象の嫌悪で勿体ないことになっているなと感じた。思い出したのが、ある取材先で言われた言葉の圧が強すぎて嫌悪感しか残らなかったこと。あとから録音で聞き直してみると実際の時ほど言葉の圧を感じず、相手の発言に対する理解が変わった。

思っていることに反した発言をしてしまう病気があるのだから、そんなつもりで出たリアクションではないのにということは誰にでもありうる。嫌悪感を伴ったものほど、受け取ったら少しおいて冷静になった方がいいかもな。芸人やテレビに出てコメントする人間でもないし、素早い反応を返す必要ないのよね。昨晩の”寛容に~♪”の言葉は久しぶりすぎてはっとした。


この記事が参加している募集

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?