一年間

子の受験が終わった。
23年の春から子の希望校がハードル高すぎるので、私は仮に偏差値が上がって手が届きそうな公立、私立高校を探し、距離や高風も見て、見学に子どもと2人でで向き、考え話し合って私立は当初より学力と自由度も高い、距離も近い学校に合格をした。いよいよ公立。模試B判定以上で受験オッケーの約束も、子どもと父親の子どもの気持ち優先主義(学校と塾も同じ)に流されてしまった。私一人だけが絶対公立を希望して、受かる学校選びに少し心を開いてくれたが、タイミング悪く憧れの先輩(憧れ高校)からエール?をいただいたみたいで、また振り出し。絶対譲らないとなり私だけが納得いかないまま、公立は英検なし、内申低い、20点足りないままの、今で言う特攻受験となってしまった。
それでも決まってしまったからには、当日まで子どもには前向きな言葉をかけて、たくましくなったと当日に送り出したが、試験が終わりテストの英語の難易度が上がったと聞いて英検を持たずに受けた自分と子どもの考えの甘さに心底ウンザリした。なぜもっと真剣に志望校選びのアドバイスができなかったのか。
どれだけテストの点数が上がったとして、一年間頑張ってきたと言え、合格の可能性がなければその学校を受ける意味も選ぶ意味もない。
こんな無謀な15歳の暴走の背中を推した先生、塾、父親の無責任さは忘れない。

そして、1番近くで見てきた母親として何があろうと止めなかったこと。一年間、何を見てきたんだろう。何をしてたんだろう。
虚しい。無念しかない。

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