自分の問題解決を相手に委ねるのと、問題解決する為に人の手を借りるのはどう違うんだろう。

お願い事されるの慣れてきたけど、お願いの作法ってあることに気づいてきた。
「〇〇して欲しい」に「面倒やけど」と一言つけたり、やった後に「ありがとう」の一言があったり。それだけで違う。でもそんなこと求めることは未熟な証拠やなと思ったり。
母は「〇〇やねん」とだけいい、受ける人(私)に「じゃあ〇〇〇〇するね」と解決策を委ねるやり方が多い。対応できる場合はそれでスムーズに問題は解決したようにみえる。
私に余裕がない時に「〇〇やねん」と言われたらだから何?と思う。問題事を私に知らせて焦らせ、動かしたいんだろうか?と思う。向かうは無意識だと思うけど。無意識に動かされてる感にズドーンと疲れる。ただ単に私が優しくないからか、やりたくないだけやけど。その動かしたいけどはっきりお願いしないコミュニケーションはどんどんやる気を無くさせる。自分の問題解決を相手に委ねるのと、問題解決する為に人の手を借りるのはどう違うんだろう。

「〇〇やけどあんたの都合教えて」とか最初から「無理ない日はいつ?」とか、その方がこちらも積極的に関われるんかな。スケジュール無しの行き当たりばったりに付き合わされるのはかなん。私もこんな風に人を振り回してないか注意しよ。。そしてあんまり言う通りに動かないのも自分を守ることになるし、相手の学びにもなるかなと思ったり。けど相手に成長は望まない。自分でどう対応するかだけ。

例えば「寒いねん」で「じゃあ暖房器具買うね」と先走りせず、「寒いねん」からどうしたいか?をどうやって引き出すか?か。でイラチやからは?何がいいたい?って強くでがち。「寒いねん。どうしたらいい?敷物とカーテンしよか。暖房はどうしよ?」とか本当は思ってるかも。言えないコミュニケーションをこちらがとってないか気にしよ。

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