「ストレスで(血管)が詰まる!」

母の退院日が決まった。入院中から早く退院したいと願っていた母からしたら嬉しいだろうなと思う。安全だと思われる病院に長く入院すればするほど体力や自分で考える機能も低下するように見えた。なので危なっかしく見えても日々を自分で生活してると実感できる日常に戻って、徐々に身体と生活の質に折り合いつけながらと思っていた。
母はもう自分は完璧に元通りだと思っているのか、自宅から車で15分かかる病院にも歩いて行くと言い張る。重たいものは生協で、軽いものは線路の向こうにあるスーパー(私片道20分かかる)に15分で歩いて行くという。それは元気な時でしょと思わず病院の方を前に呆れて声を大きくした。部屋の手すりや家のプチリフォームも母からしたら大袈裟。兄に「ありがとう」の一言もなく大きすぎる靴箱の処理の話しに怒りで不満気だった。
私達が見守ろうとすればするほど、在宅を支える介護、生活補助なども必要ないと言い「ほっといて!もうあれこれ言われたく無いし、他人に家に入って欲しくない。血管が詰まる!」と言う。
新たな武器を手にした。完璧主義で負けづ嫌い。助けてと言うより自分で出来ると言う方がしっくりとくるんだろう。
更に頑なになってもらわない為に、適度な距離が必要なんだろう。もう適度とはならず距離しか取れないがどうしたらいいか。
他者から見て明らかに実力とバランスが取れていない「できる」は認知の歪みではないか。認知度のテストやコミュニケーションに問題は無いと病院から言われるが、出来るできないと、やりたいは違うはず。病院の先生の前では大人しくして隠しているから驚く。しっかりとボケているのか。老人の天然なのか。距離を持って観察できるようになりたい。(希望)


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