価値観との付き合い方

高校生のときの宿題の意見文で書いたやつがスマホのメモに残ってたので引っ張り出してきましたww
昔の自分の文章ってすごい気になる点が多すぎるね。「いいえ、それは違います」のところがツボでした。
原文そのままです。
以下本文

皆さんは親しい人にプレゼントを贈るとき、どのような物を選んでいますか?相手が欲しいと言っていた物、自分が貰ったら嬉しい物、相手にオススメしたい物など、人によって様々です。
プレゼントを選ぶときの基準には、贈り手側のプレゼントに対する一種の思想のようなものが大きく関係していると思います。かく言う私は「相手が1番喜ぶ物」をあげることがプレゼントを贈る上で最も大事であると思ってきました。
しかし、その思想はプレゼント選びの基準だったはずが「貰い手が喜ぶものほど贈り手の想いがこもっている」という価値観に変貌していきました。
この価値観の問題点は、他の基準で選ばれたプレゼントの価値と贈り手の相手を想う気持ちを自然と軽んじてしまう点にあります。どのような基準で選んでも贈り手の相手を想う気持ちは同じはずです。この例から言えることは、他者が出力した結果を自分の価値観で読みとって他者の思考を推測すると、本来のそれとズレが生じてくるということです。

また、価値観が自分自身を苦しめることもあります。例えば、禁煙やダイエットをする場合です。頭ではやめたいと思っているが、ニコチンや甘いお菓子を摂取してしまうという話はよくききます。そうしてやめられずにいるうちにだんだんと「自分は心の奥底ではやめる気がないんじゃないか」と自分の気持ちでさえ疑ってしまう。これは「やめたい人はやめることができる」という価値観、思い込みに支配されているから起こってしまうことです。
しかし実際は、やめられた人はやめるための環境やシステムが整っていたからやめることが出来ています。人間は体という乗り物を操縦しているだけで、その操縦がうまくいかないからといって、目的地に辿り着こうという気がないわけでは決してありません。

では、価値観は悪なのでしょうか。いいえ、それは違います。価値観こそが、その人がその人たる所以だからです。価値観は争いの元です。しかし同時に素晴らしいものです。もし全ての人が同じ価値観を共有していたら争いは起きないでしょう。その状態はもはや1つの生命体だからです。
私が考えるに、価値観の形成には3つの要素あります。

1つ目がその個体の能力。人間の世界は3原色ですが、鳥は4原色ということを知っていますか?見えている世界がまるっきり違って、同じものを同じように見えないということです。鳥が人間に対して「4原色で世界が見えないなんてよほどやる気がないのだろう」と、思っていたらどう感じますか?おかしな話だとすぐわかりますよね。能力と感情や想いは別物です。しかし、これがひとたび人間間の僅かな能力の差だと、その差を認識できなかったり理解できず感情的になってしまったりすることがあります。その最たる事例の1つに「男性が女性の変化に気づけずに怒られる」ことが挙げられるでしょう。これは女性の相手の変化に気付く能力が男性より高いためです。小さな変化に気付く能力は子育てにおいて、言葉を扱えない乳児の心情や異変を察知する必要があったため発達したそうです。

価値観形成の要素の2つ目は環境です。周囲の人間の価値観に影響を受ける場合などがこれに当たります。日本では上下関係を重んじますが、海外では上下関係を日本ほど意識しない場合が多いとききます。外国人が日本のお年寄りにフランクに話しかけた場合、お年寄りは不快に思うかもしれませんが、外国人は決してお年寄りを軽んじていないことは明らかです。

価値観形成の要素の3つ目は経験です。経験に基づいた傾向感覚で人や物事を判断する場合がこれに当たります。傾向というのは確実に存在しますが、その人の個性や環境によって傾向感覚を養う土台が変わるため、人1人の傾向感覚は一概に正しいとは言えません。もちろん人生で多くの人や物事に出会えば出会うほどその精度は上がっていくと思います。

価値観形成の要素3つを読み解くと、価値観がいかにあやふやで相対的で一つ一つが唯一無二かわかったと思います。ですから、価値観という存在を厄介なものとして否定するのではなく、様々な価値観の存在を認め、認識する努力をしていくべきではないでしょうか。価値観は感情と密接に関わっているので、すぐに変えられるものではないですが、意識していけば必ず、無駄な争いやすれ違いがない生活に繋がっていくと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?