【就活】ガクチカのエピソードをバイトにするかYouTubeにするか迷いまくってたら、思わぬ方向に進んでいた話

前回に引き続き、就活時代の話を書いていきます。

これまでのあらすじ

筆者は大学3年の6月から就活を始めました。
学生時代はYouTubeくらいしか注力したことがなかったためこれをガクチカにしていましたが、チーム取り組んだ経験ではなかったため、これで良いのか?という気持ちもありました。
ただ「15の動画で10000回以上再生された」という実績はあったため「結果でねじ伏せればいけるっしょ!」というロックな思想で特攻します。
運よくYahoo!でESが通過し、その考えが強固なものに。
しかし夏インターンはほとんどの企業でES落ち。
秋以降、ESの通過率は上がったものの面接では落ちてしまいます。
チームで動いた経験がバイトくらいしかなかった(しかもガクチカに書けるほど大したことない)私は「やはりチームでの経験でなければ就職も厳しいのか…」と絶望。
そんな中、冬インターン選考でYouTubeのエピソードを使ったところ、初めて通過することができたのです(しかも2社!)。
これでも良いんだと思えた一方、私がメインで志望していたIT業界はチームで動くことが多いため、個人のガクチカではだめなのではないかと悩んでいました。

3年2月

早期選考期間で、本選考がちらほら始まってくるのがこの時期。
ここで大きな苦難が私に襲いかかります。
企業の動画選考で「チームで取り組んだ経験」というテーマで質問があったのです。
しかも制限時間が3分間(3分間の動画が提出課題)。
当時の僕にはそれほど強いチーム経験がありませんでした。
また時間を計ってみれば分かりますが、3分間というのは想像以上に長いです。
1分であればごまかせる内容も3分になるとどうしようもなくなります。
最終手段としてバイトの経験を少し誇張して話すことにします。
ちなみにその動画選考は通過できていました。

3年3月

就活情報の解禁がこの時期です。
就活の流れを全く理解できていなかった私は「インターン経由の早期選考が主流になっている今、情報解禁日なんて形だけのものでしょ」と思っていました。
しかし3月末をESの締め切りとしている企業が多く、ここから忙しさがグッと増してきます。
変化が進んでいるとは言え、日本の旧態依然とした制度って意外と変わらないものなんですね。
1日に2-3枚書く日もありました(それまでは月に数枚しか書いていませんでした)。
ESのガクチカの項目ではバイト経験を書くことに。
インターン経由で早期選考になった企業(前回の記事で書いた会社の一つ)の二次相当の面接でもバイト経験をガクチカにしました。
ESもほとんどが通り(ESは足切りなのでそれほど期待してはいけないw)面接も通っていたため、これでいいのだと自信を持ち始めるようになります。

4年4月~その1

学年が変わりましたがゼミ以外の授業がなかったため、実感は全くありませんでした()
就活の方は3月に出したESの面接ラッシュが始まります。
1次面接は基本的にオンラインなので、1日に3社分の面接が入っていた日もありました。
そしてここで転機が訪れます。
うまく行ったと思った面接で落ちてしまったのです。
しかも1次面接で。
それまでも10社以上の面接を受けていましたが、落ちたときは質問に詰まってしまう、会話がかみ合わないなどから「これは落ちたな」という確信をもっての不合格でした。
しかし今回は受け答えもスムーズにできましたし、自分がしゃべりすぎてしまうということもありませんでした。
そのため先月出したESがほぼ全て通った私の勢いも、ここでくじかれてしまいました。
また同じ日、別の会社の方とのリクルーター(同じ大学OBの若手社員の方)面談がありました。
そこでガクチカの相談(バイトにするかYouTubeにするか)をしたところ「YouTubeの方が色々考えていて、個性が出ている」と言われましたが、私としては完全に個人の経験でコミュニケーション能力がないと思われる不安は捨てきれませんでした。
そのことを話すと「コミュニケーション能力の方は面接とかこういう会話で結構できてるなって感じるから大丈夫だよ」と言われましたが、自分が想像していた回答は返ってこなかったため、不安でした。
別の会社の面接ではバイトの経験をガクチカとしてガッツリ話しYouTubeの経験をチラッと話したところ、面接官の方に「YouTubeの話をもっと聞きたかった」と言われます。
この2度の面談・面接から、やはり自分が本当に頑張ってきたYouTubeのことを話した方が良いのかもしれないと思うようになりました。

4年4月~その2

20社以上受けてきた中で最終面接まで行けたのが2社(そのうち1社からは後に内々定をいただきますが当時は内定ゼロ)で、それ以外は全て1次面接落ち。
もう就職は無理なんじゃないか?
ここでふと、私の中に大学院進学(修士)という選択肢がよぎります。
そもそも私は情報系の学科に所属しており、研究室も修士に進むことが普通でした。
ちなみに同期は、私を除いた8人中6人が修士の推薦に申し込んでいました(一人は就職、一人は失踪)。
それでも私が就活をしていた理由は二つありました。
一つ目は学部卒で就職して汎用的なスキルを身につけたかったからです。
当時私には明確なやりたいことがありませんでした(今もですが)。
大学院でより深い研究をすると「研究をしていたのだから」という理由で仕事の選択肢が狭まってしまうのではないか、それなら逆に学部卒で就職した方が幅広い仕事に対応できるようになるのではないかと考えていたのです。
二つ目は現在の研究がめちゃめちゃ楽しいというわけではなかったからです。
卒論すら書いたことのない(当時学部4年になったばかり)自分が修論なんて書けないのではないかとすら思っていました。
3年の頃には研究室の先生に「自分は院には行かず就職します」と宣言していたくらいです。
しかしこの時の自分は「学生」という身分を2年間も延長できる修士を魅力的に感じていました。
コロナ禍(2020年)とともに大学入学だったこともあり、人との関わりが少ない大学生活でした。
様々な種類のアルバイトを経験したりベンチャー企業で長期インターンをすることは学生でしかできません。
加えて私はガクチカにしていたYouTubeや趣味のピアノ、もともと好きだった「何かを作る」こと(作編曲、創作、動画編集など)など、やりたいことがたくさんありました。

自分が苦手なこと(研究)と向き合うことも含め、汎用的なスキルを身につけるのは、就職してからではなく学生という身分である「今」なのではないか?

そう感じていました。
研究室の先生に自分の考えが変わったことを報告すると「ぜひ来ましょう!」という返信をいただきました。
就活の面接で落とされまくってどの企業からも拒絶されているように感じていた(これは就活あるあるw)私を温かく受け入れてくれたのは、修士だけだったのです(メンヘラ?)。

5月

修士の推薦入試(内部進学的な)にエントリーはしましたが、就活は何となく続けていました。
そして一社から内々定をもらってしまったのです。
推薦入試は受かったら行くことが絶対なので、とても複雑な気持ちでした。
というのも、その会社には思い入れが強かったからです。
3年の夏に選考なしのインターンを受け、冬は選考ありのインターンで個人的には初めて面接を通過できた会社でした。
2月、冬インターンのときは院進なんて考えてすらいなかったので、座談会では何人もの社員さんに必死になって他社比較やキャリアプランなどを質問していました。
夏冬のインターンをコンプリートし面接で対面でも会ってもいたため、人事の方とも顔見知りになっていました。
院試の面接は茶番でした。
研究室の先生と同期との集団面接で、特に何も質問されることなく面接が終わりました(面接とは?)。
私は成績がそこまで良い方ではありませんでしたが、何とか修士には合格することができました。
そしてここにきてヤケクソだった就活が急展開を迎えます。
なぜか富士通の選考が最終面接まで進んだ(進んでしまった?)のです。
ここでせっかく大手に内定しても断らなければいけないのはもったいなすぎる。
受かってほしい気持ち気持ちが半分、落ちてほしい気持ちが半分でしたが、結果は不合格でした笑
ということで私の進路は修士に進むことで決定しました。
内定をいただいた企業には、心苦しい思いをしながらお断りの電話を入れました。

内定をもらえた企業がご縁のあった企業

このような言葉は就活だけでなく受験でもよく耳にします。
私の場合、大学院がご縁のあった場所なのかな?と思っています。
最初は毛頭ありませんでしたが、ふとしたことから院進を考えるようになり、気づいたらにゅるっと合格していました。
内定をいただいていた企業にもご縁は感じていたので、今でも「就職じゃなくて良かったのだろうか?」と悩むことがときどきあります。
しかしその会社は口コミで「年収が少し低いと思う」と書かれていたので、今のうちに頑張って、もっと年収の高い企業で内定をもらいたいです!笑

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