その「強み」を私は受け入れているのか?

ストリングスファインダーで、私の1位は「慎重さ」。

「慎重さ」がプラスに活きることを考えると
・行動する前にちゃんと考えるので大失敗を回避しやすい
・計画を立てて1つ1つ確実に物事を進めていく
というところだろうか。

この点は自分でも自覚していて、
今の仕事で慎重さがプラスに活かせる場面もあるし、趣味の風景写真を撮りに出かける時は念入りにリサーチをするので、結果満足できる写真を撮れることに繋がることも多い。

なので、「慎重さ」が「強み」として活かせる良さがあることは理解している。


ただ、「慎重さを持つ自分」が好きか、誇れるかと言われると、クエスチョンマークが出てくる。
なんなら嫌いだと思う。

まず自分が慎重さを持つようになったきっかけは、正直覚えていない。
気がついたら慎重な性格になっていた。(少なくともポジティブなきっかけではないと思う。)
「慎重さ」と言えば聞こえは悪くないが、自分の中では長年「ビビり」「行動が遅い」などなど、自分にとってはコンプレックス寄りの捉え方をしてきた。要するにあまり良い方向に捉えられていない。
なんなら文章を書いている現在でも、「これも書こうか、いや長くなるな。この伝え方だとわかりにくいか…?」などどんどん「慎重さ」が溢れ出してきており、すでに嫌気が差してきている。「正解はないのだから早よ書けよ」と。


そしてPOOLOの課題を考えるにあたって、自分の大切にしたい価値観は「心理的にも生活的(お金とか)にも安心・安全な状態を保つこと」ではないかと一度は思った。しかし、ここで出てくる「安心・安全」は「慎重さ」をもつ自分が大事にしたいことだと思う。
それは本当に自分が大切にしたいことなのか?そもそも安心・安全を求める慎重な自分を受け入れられているのか?と。


要するに「慎重さを持つ自分」が好きではない!という話です。
寝ます!(深夜テンションで書き上げた)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?