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ドンブラザーズ ドン最終話 えんができたな の感想

最終回、最高でしたね…。

もうね、いっぱい泣いて頭がぼんやりしています。子供が泣き疲れて寝ちゃうの、こういう感じか、そりゃ寝ちゃうよな、こんなに頭がぼんやりしているのだから、というのを感覚で理解しました。

いや〜、最終回のドンブラメンバーとタロウのやりとり、めちゃくちゃ良かった。

まず、1年間ずっと視聴者と同じ目線で、何故なんだ、何なんだ、と狼狽えたり、時には悲惨な目に遭ったりもしてきた筈のはるかが、ドンブラザーズに入って、人間が好きになったって言うの、本当にいいですよね。

ドンブラザーズって、欲望を暴走させてしまった人間を救うためのシステムであって、必ずしもそれに携わる者が、その人を救いたい、人間に戻したいと思わなくても成立してしまうものじゃないですか。実際、雉野は自分の妻を誘拐した画家を脳人の手で消滅させた訳ですし。

そういう、全ての人を救う為のシステムとしてのヒーローというコンセプトがドンブラザーズの新規性だったと思うのですが、なぜこういうコンセプトが提示されたかというと、近年では「全ての人を救うこと」を説得力を持って描けなくなっていて、それは平成2期ライダーが守るものが「街」→「学園」と縮小していったり、マーベルヒーローのような「等身大の人間」としてのヒーローが人気となっている点に現れていると思うのですが、本作ではこれに対する反証を試みたという面もあると思うんですよね。

全ての人を救うヒーロー像を改めて提示する上で、ヒトツ鬼が出没したら召集されるというシステムは画期的ではあるのですが、それだけでヒーローと呼べるか、という点には疑問が残るところだと思うんです。そんな中で、はるかの「人間を好きになった」という言葉からは、人間に対する普遍的な愛という、全ての人を救うヒーローに相応しい精神性という面からもコンセプトが補強されるように感じて、そこも凄くいいな、と思いました。

いや、御託はいいんすよ、とにかくね、はるかが嫌々ドンブラザーズやってるんじゃなくて良かったねって、それをタロウに素直に伝えることができて良かったねって、そういうことですよね!!!!!みなさん!!!!!ね!!!!

それから、タロウの記憶を取り戻すのがはるかの漫画なのも、めちゃくちゃ熱くて感動的ですよね。あの漫画って、タロウとソノイの2人のやりとりとか、はるかがいないシーンも記されていて、そのシーンを描くために各々のタロウとの思い出を取材してまわったりしたのかな、と思うとなんか泣けてきちゃうんですよね。

はるかとタロウの縁で物語が始まって、盗作疑惑で全てを失ったはるかが自分の物語を漫画にして、そして最後ははるかとタロウの縁で物語の幕を閉じるのも、美しすぎて泣けてしまう。

これからも編集長と二人三脚で、美しい物語を紡いでいって欲しいですね…。

そして猿原は、タロウを雲に喩えて、自分はタロウには及ばない俗物だという自覚を持てた、それ自体がドンブラザーズに入った意義だと語るんですが、ここもね、いいんですよね。

猿原の普段の俳句はどこか気取ったところがあったけど、この言葉にはそれが無くて、プライドが高くて負けず嫌いな猿原が、自分の劣等感を包み隠さずに表現していて、そこに猿原の内面の成長とタロウへの信頼を感じて、グッときましたね。

逆に言うと、猿原はそれ以外に成長らしい成長の描写が無いのも凄いですよね。風流人気取りの無職がそのまま結末までゴールしちゃうんだ…。まあ平成ライダーの主人公でも無職みたいなやつ結構いるから…そう思えばそこまで不思議でもないのかな…。

そして犬塚は、前回示唆されたように夏美と別れることになりましたね。それは、彼が求めていたのは夏美ではなく愛そのものだったが故に、夏美の心が離れ、愛を手にすることができなかった、という切ない結末ではあったのですが、そんな彼だからこそ、誰かの愛を守るために戦いたいという犬塚らしい言葉でドンブラザーズであることを肯定してくれたのは、すごく腑に落ちるし、なんか嬉しかったですね。

そんな彼とソノニが逃避行を続けるのも、側から見ればあまり幸福には見えないラストではあるんだけど、まあ、愛を求めてきた2人なのでお似合いといえばお似合いだし、本人たちがそれを選んだなら、それで良いんじゃないの、2人でいっぱい走れるといいね…。と思える終わり方ですごく良かったですね。

それから、雉野はみほちゃん(からの絶対的な承認)という彼にとっての全てとも言えるものを失ってここまできた訳ですが、最終回ではドンブラザーズとしての活動を誇りとして生きる、自己肯定感を獲得するためにドンブラザーズとして活動することをタロウに宣言していましたね。

これね、ぼく、前回の感想で、「ドンブラザーズのメンバーはドンブラザーズであることを自己同一性としようとしてなくて良いですね」というようなことを書いたんですが、最終回で雉野が思いっきりそっちに舵を切ってしまいました…。

いや、だって、正義のヒーローという“何者か”になろうと執着する人の弱さとか、人間がヒーローになることの不可能性とか、そういうものに向き合ってきたのが白倉Pと井上敏樹だった訳じゃないですか。『アギト』ではアギトであることに無頓着で、毎日美味しい物を食べて人間らしく生きる津上翔一を描いて、『ファイズ』ではヒーローではなく怪人のドラマを描いてきた訳で…。そんな人たちから、自分を肯定するためにヒーローであろうとする人間を肯定的に描く日がくるなんて思ってもいなかったんですよ。

でも、考えてみたら『ドンブラザーズ』という番組自体が、全ての縁を肯定する、弱い人でも、ヒトツ鬼になるようなヤバい奴でも、全ての人を肯定する、そういう物語だもんね…。

人間は“最強のヒーロー”にはなれないけど、人を救う仕組みと、人を救いたいと願う善性があれば、人はヒーローとして活動することができる。というテーマ自体が、白倉Pが改めてヒーローと人間性の可能性と向き合った結果だと思うし、その結果として、自己肯定を外部に求める弱い人でもヒーローになれる、という懐の広いヒーロー像に到達したことが嬉しいですね。

そして、人間と“最強のヒーロー”との両立、その不可能性を表すように、桃井タロウはドンブラザーズとしての記憶を失って普通の人間として生きることになってしまうのですが、もう、切なすぎませんか?

もの凄い速さで記憶を失いながらも、ソノイの助けを借りながらおでん屋台に集まった仲間たちに語りかけるシーン、あんなの泣かないわけないでしょ、そうこうしてる間にソノイのことも忘れちゃうし…。そのタロウに対して、ソノイが初対面のフリをして語りかける“美しい嘘”、ここで序盤からのタロウとソノイの関係性を回収してこられたらもうね、嗚咽がね、込み上げちゃってさ、ほんとにね。

それから、最終回になるまで長い間出番らしい出番が無かったムラサメですが、最後の最後に活躍してくれて良かったですね。

経緯は全く描かれていないものの、かつて自由意志を願ったムラサメが、自分の意思でソノヤを拒絶し、それを受け入れるマザーのやりとりを見ただけで、ああ、視聴者の見てないところで、彼らも葛藤しながら信頼を築いてきたんだな、と思わされてしまう。

なんなら、最終回でムラサメのドラマに進展があるなんて全く期待していなかったというのもあって、こんな形で急に成長を見せられると凄く感動してしまいますね。でも、他の作品だったら描写が少な過ぎて乗れないところだと思うんですが…なぜ最終回のあれだけの描写でここまで感動させられてしまうのか…不思議すぎる…。

あとは、ソノシゴロクが消滅しちゃったの、普通に悲しいですね…。ソノナ、ソノヤも、タロウが復活しないと突破できない障壁として登場して、役割を真っ当して消えてしまったところが少し残念ではある。彼らにも愛すべき部分があったのかもしれない。でもまあ、あの最終回をやるにはあの描かれ方しかないような気もするし…。彼らが戦いの果てにどうなったのかは敢えてぼかされていると思うので、もしかしたら今後、スピンオフとかで登場するのかもしれませんね…。

TVシリーズ本編は終わってしまったけど、まだファイナルライブツアーもあるし、ドンブラザーズvsゼンカイジャーもあるし、楽しみはまだまだ続くみたいなので、みんなでドンブラロスから目を逸らしましょうね…。

毎週ドンブラザーズの感想を書いてきたけど、それももう終わりですね…。今まで読んでくれたみなさん、縁ができたな!!!!!ということでね。

それでは、次はドンブラザーズvsゼンカイジャーの感想でお会いしましょう。それまで、美味しいおでんを食べたり、よく寝ていい夢をみたり、しましょうね…。では、お元気で…。

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