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ドンブラザーズ ドン49話 さいごのおもいで の感想

おわるんですねえ…。

ここ半年ほど、「終わりに向かっている…!」という感覚と共に歩んできて、そろそろ覚悟ができたかと思いきや、今度は逆に、「来週で、終わり…?ハテ…」という気持ちになっている。

でもね、雉野と夏美、犬塚とソノニの関係性、ラストはこの方向でケリつけまっせ、的な布石も読み取れたので、あ〜、終わらせようとしてるじゃん、収まりの良いところに収まろうとしてるんですね、というのはひしひしと感じています。

それにしても、雉野と夏美がくっつくのって、予想できなくはないけど、マジでやるんだ、って思いません?犬塚から見たら略奪じゃないですか。

戦隊モノとかの子供がメインターゲットのコンテンツって、恋人とか夫婦の関係性って不変のものとして描かれているイメージがあったんだけど、その関係性を解体して他の人のとこに収まった方が幸福になることもある、なんて価値観を提示してもいいのか?本当にやんの?という疑念があります。まあ、最終回を見るまでどうなるかわかりませんが…。

雉野といえば、仕事を辞めようとして部長に引き止めてもらえたの、良かったですよね。いや、もし自分が仕事を辞める時に「行かないで〜」なんて言われたら、ハァ、そう言われましても…と思うかもしれませんが、雉野に限っていえば、みほちゃんを失った中で孤独に打ちひしがれていたところに、部長からの承認を得られて、やはり他者との繋がり、縁が雉野を救うんですね、この番組らしくていいじゃんね、と思います。

ドンブラザーズのメンバー、猿原とはるかと雉野と犬塚は、ドンブラザーズになることで何かを失ったはずだけど、その対価とか自己同一性をドンブラザーズの活動に求めていないのは、最後まで徹底していましたね。ヒーローとしての自己幻想に埋没せず、ただやるべきことがそこにあるから戦う、というスタンスが一貫していて、いいですよね。

一方で、ヒーローになろう、ドンブラザーズになろうとしたのは、ジロウとか脳人三人衆という人外達、という対比は、意図したものかは分かりませんが面白いですよね。人間は人間としての生活、他者との縁の中で生きられる。一方でヒーローは人間という境界線の外側にいる存在であって、ヒーローとしての自己像が担保されなくてはヒーローたりえない。

じゃあ、誰よりも最強のヒーローだった桃井タロウは?段々と人間らしさを獲得して、今回は戦いへの執着すらも消え失せたような描写もありましたが、同時に記憶(自己同一性)すらも失いかけていることが示唆されて、最終的にはどうなってしまうんでしょうね。

これまで人間とヒーローの境界を行き来するように描かれてきたタロウですが、今回は人間寄り…と見せかけてやっぱり最強なんかい!みたいな展開でしたね。

でも最後はさ、みんなに誕生日を祝ってもらってさ、枕と箸をもらってさ、良い睡眠と良い食事…人間の生活…みんなの願い…めちゃくちゃいいですよね…。

タロウが人間らしく幸福を感じているという事実が、「嘘を吐くと死ぬ」という人間離れした性質によって証明されるのも面白いですよね。

ここで最悪の予想をしてもいいですか?タロウは誕生パーティーで嘘を吐こうとして死んでしまって、人間らしくなったが故に超越性を失い、そのまま本当に死んでしまう、というところから最終回が始まったらどうします?すいませんね、パーティーの余韻ぶち壊しの予想しちゃって。

いや、もうすぐ最終回だってのになんか不穏じゃないですか、『さいごのおもいで』とか、嘘ついて前倒しで誕生日パーティーしたりとか、記憶を失いそうとか。こんなん見せられたらね、最悪の予想もしておきたくなるじゃないですか。そうじゃないですか?違いますか?違うんですか、そうですか…すみません…。

なんでこんな悲劇みたいな匂わせをするんですか?普通にハッピーエンドにしてくれや!!!!!という気持ちもあるし、ドンブラザーズに最後まで情緒を揺さぶられたい、という気持ちもある。どっちもやってくれ〜っ!めちゃくちゃにハチャメチャなハッピーエンドにしてくれ〜っ!!!!!

最終回、気を確かに保って頑張ります!!!よろしくお願いします!!!!!

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