大人になれない僕らの
『金色のガッシュ‼︎2』、読んでますか?
まだ『金色のガッシュ‼︎2』の最新話を読んでいない人もいるかもしれないので、詳細に関する記載は避けますが、とにかく「熱(あつ)!!!」の一言に尽きる!
あの頃思い描いた、ガッシュと清麿が生きてきた世界のその先が、僕たちの目の前に描かれていること自体が、嬉しいですよね。
『ガッシュ』という作品の魅力としては、キャラクターだったり、熱い演出だったり、畳み掛けるギャグだったりという点が挙げられると思うのですが、その点については『ガッシュ2』でも当時と変わらないクオリティを見せてくれるんじゃないかと思っています。
今日は、そういったドラマ面ではなく、『ガッシュ』におけるバトル漫画としての新規性についてぼんやり考えていたことを書いてみようかな。
『ガッシュ』以前の、というと大袈裟な物言いになってしまうけど、90年代までのバトル漫画って、トーナメント形式のパワー型バトル漫画がほとんどだったと思うんですよね。そういう漫画って、強い敵が出て、主人公もその敵に勝てるようにパワーアップして、みたいなパワーのインフレという問題が付き纏っていた訳で。
そんな中、『ジョジョの奇妙な冒険』で、パワーの強弱ではなく、能力の相性や使い方で勝ち負けが決まる、「カードゲーム型」のバトル漫画が登場して、『ガッシュ』も部分的にはこの系譜にあると思う。
でも、『ガッシュ』のバトルにパワーインフレ要素が無いか?といったら、そんなことは無くて、パワーで圧倒的に勝る魔物はたくさん登場する。でも、これを打ち破るのに、必ずしもパワーで対抗しなくとも勝利しうる戦いのルールを導入したことが、『ガッシュ』という作品の新規性だと思っています。
じゃあその戦いのルールって何かというと、それは、「どんなに強い魔物であっても、魔本を燃やされたら、その魔物は必ず魔界に還る」という、『ガッシュ』における戦闘の基本ルールが、従来のバトル漫画と大きな違いを産んでいると思うんですよね。
『ガッシュ』では人間と魔物がパートナーとなっているけど、強靭な肉体を持った魔物ではなく、脆弱な人間が魔本を持たなければならない。このルールがあることで、相手を力で圧倒しなくても、何らかの手段で人間が持っている魔本を燃やせば相手を倒せる。これこそが、従来のパワー型バトル漫画からの脱却の一端を担っている、ということです。
他にも『ガッシュ』という作品の新規性を挙げるとすれば、「ご都合主義的なパワーアップに如何に説得力を持たせるか?」という問題に立ち向かった点にあると思う。
修行で新しい技を身につけたり、何かのアイテムでパワーアップしたり、「強い気持ちが有ればどんな相手でも勝てる」みたいな精神論で切り抜けたり、そういう表現に慣れてしまって、そんなんでパワーアップできるなら、もう何でもありじゃん!と辟易していた人って、相当数いたと思うし、『ガッシュ』の作者、雷句誠もその1人だと思う。
そんな中で、『ガッシュ』が示した回答は、「キャラクターの精神的に成長すると、新しい呪文を獲得して戦力的にも成長できる」システムを、はっきりと戦いのルールに組み込んでしまうことだったんですよね。
「元々そういうルールなんだから、このパワーアップはご都合主義とは言えないですよね?」という説得力、すごいですよね。感情の昂りを表現する雷句誠の演出力とも極めて相性が良いし。
しかも、この「新しい呪文」も、その魔物が本来持ち得る力の一つを解放したものに過ぎないという設定がある。つまり、魔物達はパワーアップしてるけど、それは元々上限が決まってる範囲内でのパワーアップだから、際限無くインフレしていく訳じゃないですよ、という言い訳も立つ。
そういう、インフレ型パワーバトルを脱却するためのいろんな発明が、『ガッシュ』における戦闘ルールにシステマティックに組み込まれている、これが『ガッシュ』という作品の凄さの一端だと思っています。
じゃあ『ガッシュ‼︎2』にそういうシステムを導入できるか?というと、今のところは難しそうではある。「魔界の王を決める戦い」のルールを決めていたような、上位の存在が介入する余地が今のところ見えないですからね。
そうなると、『ガッシュ‼︎2』のバトルはパワー型バトル漫画へと後退してしまうのか?という懸念はありますが、まあ、これに関しては今後に期待というところでしょう。まだ開示されていない設定が山ほどありそうだし。
何にしても、これからも『ガッシュ‼︎2』を応援していくしか無いでしょうね!正直、続編でコケてガッカリしたくない怖さはまだあるけど、こればっかりは信じて読んでいくしかないもんね!
みんな!歯ァ食いしばってさあ!応援がんばろねっ!!!
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