日々の泡 #1

1日が過ぎた
昨日も今日も眠っていた
お風呂に入っていなくて、つかれていたから外に出なかった
やった方がいいことはいくつかあったけど、気乗りしなかったからしなかった
部屋の掃除をして、ごはんを作った
ネットサーフィンしたりアニメを観たり、眠ったり
ほしいもの、必要なものを買おうといろいろ調べた

うつ病になると1日に1ターンしか行動できなくなるというツイートを見かけたけど、それで言うなら私は10代後半から1日1ターンしか行動できていない
というか、この1日1ターンという表現はずっと前にニートについてとしてなんJのまとめサイトで見かけた
まあ、無職の方はうつの気質を持つことが多いと思いますけどね、某ネット掲示板での発言の構文をSNSで見かけるのは、出自を知っているが故になんだかどきどきする
小学生が「草」「乙」を乱用していて驚いて、「今の子は乙とか言うのか…」と声に出てしまった
やっぱり40代くらいのエンジニアが「まれによくある」とか言っているのを見るのがしっくりくるんですよね

普通の人というラベリングは好きじゃない
私は普通だったことなんて一度もない!!!!!(ヒステリー)
みんな少しずつ壊れていて、気持ちのやわらかいところを大切にしながら生きていると思いますよ
誰かを「普通の人」と言いながら、心のどこかで無個性、何者でもないと見下しているような人物が大嫌いですよ(曲解)

最近は冬で厚着をしていることもあって、腕の傷をあまり思い出さずに生活している
あたたかくなったらどんな服を着よう、すずしくて、かっこいい服を買おう
やせたい

最近アファーメーションというものをやっていまして
親の虫の居所が悪いと、夜から朝にかけて5~7時間ほど罵られ続けて一睡もできないまま学校へ登校することがよくある家庭で育った。精神的虐待として人格否定をされまくっていた私にとって、自己肯定感を高めるには同じように暗示をかけることが有効なのではと思ったからだ。
早速効果があったように思う。元よりの傍若無人が顕著になってきている気がする。それも良いと思っている。もっと自由に、わがままになりたい

連休に仕事が発生する我が部署で、「ここにきてから連休が大嫌いになりました」と言った先輩がいて、連休を嫌いになるなんて自由だなあと思った。
今過ごしているこの連休は仮初の姿で、私はどこかに名前の通り連続の休暇として存在している連休を強く信じていて、たとえ今きびしい姿をしていたとしても、いつかやすらかでかわいらしい、愛でたくなるようなそれが現れると思っていて、
これは固定概念というものなのかなと思った。
今は嫌いになってもいいのかもしれない、でも私は嫌いにまではならないと思う

そして現在午後10時半、私は分岐に立っている

お風呂に入りますか?
→はい
 いいえ


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