あなたのことが嫌いです

こんなツイートをしようとして、やめた。

あのお店の味玉つきの家系ラーメンが今すぐたべたいし、マックのフライドポテトがたべたい すべて叶わない

今の私の欲望が最短で妥協なく叶うことはない。仕方ないよ。だって朝の7時なんだもん。うまく眠れなかった。寝不足による気分の落ち込みで、ただそこにあるだけの現実がどうしても手放すことができないその無常さ、残酷さを、過剰な悲劇または私への悪意として捉えている。冷静ではない自覚はある。でも、これは私の考え方の癖で、どうしようもない時がある。例えばこんな寝不足の日とか。

「考えすぎだよ」って あなたは笑った
これはクセだから 治らないんだ

遊体離脱 / Syrup16g

これはクセだから治らないと手放す自由が本当に羨ましい。のびやかさと、諦めに近いほがらかさに、本当に強く憧れる。でもそのいびつな考え方のせいで、私の人生は余計に険しいものになっていることは強く明らかだ。

「こんなぼろぼろの私に(相手は知らない)、
これ以上にがんばれというなんて(がんばれとは言われてない)、
この人は私に死ねと言っているんだ(死ねなんて言われてない)」

そんな極端な思考が、真実として私に積み重なっている。なんて厄介なんだろう。遠くにいる幼い私は元気で明るくて、いつも笑いながら走り回っている。本当に元気だった。こんな風に誰がしたんだよ。なあ、なあ。
あの頃の私も、それからの私も、当たり前のこの状況が悲惨なものであることをわからないまま、まっとうであるならば私の死を悼むべき親しいひとたちに長く痛めつけられていた。

だれがコック・ロビンを殺したの?

お前だ 殺したのはお前だ
お前も、お前も、お前もそうだ
そしてお前もそうだろう

呪い殺すには十分そうな個人情報を知っている人物も、町ですれ違う、顔がないような気味の悪い人物もいる。具体的に全員の人数をひと通り数えてみたことはないけど、かなりの数だと思う。この「かなりの数」という認識の不確かさこそ、私が不特定多数の他人を強く嫌悪する原因だと思う。
具体的にしていくのは、骨が折れるだろう。でもいつかやろうと思っている。紙に書いて、燃やす。

一方で、本当は全員殺せたらいいのにねとも思う。でもそれは私の歪んだ認識を通しているからで、感情の勢いが過剰なのかな。

Dearly beloved, avenge not yourselves, but rather give place unto wrath: for it is written, Vengeance is mine; I will repay, saith the Lord.

愛する人たちよ。自ら復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いる、と主は言われる。」

Romans 12:19

本当ですか? あいつらはこれからも幸せそうにのうのうと暮らしていくんじゃないの? それに、そんな気長に待っていられないかもしれない。あいつらに殺されて死んでしまった私を弔うことができるのは、恐らく私だけなのに。
誰にも知られないままなんて、弔う私は今も傷ついたままなのに。

大好きな漫画にこんなモノローグがあった。

古白は いちこちゃんの胸に花を植えている

いっしょにねようよ / 高尾滋

いつか、たくさんある私のお墓に誰かお花を供えてくれたら、そんな嬉しいことはないなあと思う。こんな風に願うことはおこがましくて、期待として過剰なのかもしれないけど。

いつかぜんぶ手放せるようになりたい
   vs いつまでもこの感情が色褪せずにいてほしい
      vs ダークライ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?