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生きるって怖いし、人生に休みとかないし。

ある日、立てないくらいの目眩を発症した。もう治ったけれど。回復までは2週間かかったし、当時は一生治らないではとも思った。

仕事もできず、深く考えることもできず、「ままならないって、こういうことか」と言葉の意味を身をもって知る日々。それでもお腹は空くので、「でも食欲だけはあるの!」と笑い飛ばせるのが救いだった。

それが少し治ってきた頃、クリープハイプのライブに行った。大阪城ホールの2days開催で、ずいぶん前から両日のチケットを取っていた。1日目は念のため座って、2日目はすっかり元気になって立って観た。

ライブの後半に差し掛かったころ「栞」が演奏された。

昔からよく聴いている曲だった。FM802が大好きで、職場にいる10時間くらいはずっとラジオを聴いている生活を5年くらいしていた。毎年、春に複数のアーティストが合同で歌う「Access!キャンペーンソング」の作詞作曲が、クリープハイプの尾崎世界観になったときは職場の人たちもお祝いしてくれた。「栞」は、そのときの曲だ。

あのときは毎日ラジオから何回も流れていたし、思い出の曲ではあった。

しかし2023年のライブで聴いた栞の、今までは「クリープハイプらしい表現だな」と感心していただけの一節に、涙が出た。あまりにも自分を言い表していて。

空気を読むことに忙しくて 今まで忘れてたよ
クリープハイプ「栞」

「この曲、私のことだ!」という気付きではなく、「私の抱えていたものはこれだったのか」という、ひとつの解をやっと見つけられた安堵で涙が出た。

忙しい毎日の、終わりのない仕事の、いつまでも不慣れな人生の空気にいつの間にか馴染みすぎていて、しまい込んでいた気持ちが、私にもあった。

わたしは怖かった。

この目眩が治るのか、どころか、目眩が起こる前からずっと仕事が怖かった。口頭で発表するのが怖い、原稿を提出するのが怖い、体調が悪くならないか怖い、早く起きれるか、早く起きたとして有効な使い方ができるのか、怖い。

「でも私、書くのが好きだし、仕事は終わらせるべきだし。」自分自身の納得すら待たずに、この言語化できない気持ちが「怖さ」ということも知らずに、押し込めてしまっていた。

ワクワクの裏に、自信の陰に、モチベーションの底に、怖さは簡単に隠せてしまうから。

感じたことを、なかったことにしてはいけない。マイナスな感情を人に伝えないようにしている人も多いと思う。誰にも見せない感情だからこそ、自分まで見て見ぬ振りをしたら、誰も知らない間にこんがらがってしまう。

ていうか、仕事だけじゃなくて、人生って怖いことばっかりだよなあ。人付き合いが上手くやれてるか怖いし、これからの生活うまくできるか怖いし、健康でいれる保証はないし、ほんと怖いことばっかりだよ。

自分が怖がってると知れたことと、怖いことばかりだという事実が、なんだか無性に泣けた。軽快なサビのメロディーが、するすると感情をほどいていくような時間だった。

ライブが終わり、目眩も治り、これからも私の生活は変わらない。何か大きな決断をするわけじゃない。怖いものがある日愉快なものになるわけでもない。

普通に怖がって、普通に対処して、「あ、普通です」みたいな顔して過ごしていく。

だけど、こんな剥き出しの感情を思い出させてくれる栞みたいなバンドが人生のどこかにいてくれるのなら、たぶん大丈夫だと思う。

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