未来を信じ切った男の、四世紀半に及ぶ価値提供

四半世紀ではない、
その価値提供は四世紀半にも及ぶ。

「涼平がやり遂げました。」
そんなことは口が裂けても言えない。

今日はある戦国武将の話である。
「えっ!歴史の話すんの? ほなさいなら…」

少し待ってほしいー。
あらゆる視点から「生きる豊かさを発信する」のが、涼平流である。
(そう決めたのである。)


その戦国武将の名は、天才軍師として誉れ高き、
黒田官兵衛(1546年生、1604年没)である。
豊臣秀吉の天下統一を、その知性と戦略で支え貢献した。


1578年、彼が32歳の時の話である。
彼の上司の上司にあたる織田信長に対し、
荒木村重という武将が謀反を冒した。

彼は居城である有岡城(兵庫県伊丹市)に籠城、
再び味方になるように信長から度々使者が送られたが、
その強い決意は、全ての交渉を失敗に終わらせた。

最後に村重の使者として送り込まれたのが、
この黒田官兵衛である。

ところが彼をもってしても、交渉は成立しなかった。
村重は官兵衛を牢獄へ投じたのである。

有岡城の地下牢に閉じ込められた官兵衛。
その期間は、

なんと約一年にも及んだ。


1579年に信長が有岡城を落城させ、
やっとのことで救出されたのである。

牢獄生活は、凄惨なものであった。

地下牢で、ろくに食事も与えられず、
救出時には髪が抜け落ち、頭は皮膚病に冒された。
また、狭い牢獄は彼の左脚の関節に障害をもたらしたという。

2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」では、
このシーンを岡田准一さんが熱演している。


来る日も来る日も、暗闇の中、
地下牢の泥水を啜り、身悶える官兵衛。

地上から微かに差し込む光に照らされて、
一房の藤の花が咲いている。

日に照らされて可憐に咲く、
この藤の生命力に、自らの命を重ね合わせた。

司馬遼太郎氏は、著書で以下のように表している。

「いま、官兵衛の目の前にある藤の芽は、この天地の中で、自分とその芽だけが、ただ二つの命であるように思われた」。
「生きよ、と天の信号を送りつづけているようでもあった」。

司馬遼太郎 播磨灘物語より  

こうして官兵衛は一年もの間、
ついにこの筆舌に尽くし難い(それだけで到底言い表せないであろう)
苦難を耐え抜いたのである。

大河ドラマが放送されて既に10年、
私はこのシーンについて、岡田さん迫真の演技を今も鮮明に覚えている。

そして自らが苦境(官兵衛の苦難からして、取るに足らないもの…)に
遭遇した時、このシーンを思い返す。

生きるエネルギー、活力が与えられ、
「乗り越えられる!」という想いになるのだ。


司馬遼太郎氏の作品もドラマも、
この演出は、脚色されている部分はあるかもしれない。

だが、
囚われの身として、真っ暗闇のなかで出来ることは何もない。
この状況下では、彼が持つ知性や戦略は全く役に立たない。

彼自身、いつ救出されるか判らない不安は常につき纏ったであろう。

しかし彼は、

”生き抜く”という未来を、信じ切った。


ここでの”生きる”とは、我々の生活という趣旨での”生きる”とは、
まるで次元が違う。
正に「命を繋ぐ」ということである。


その後の活躍は言うまでもない。

秀吉、家康に仕え、天下泰平の世に貢献しただけではなく、
福岡博多という、豊かな街づくりの基礎を担った。

未来を信じ、この苦難を乗り越え生き抜いたことが、
400数年の時を経て、我々に価値提供を脈々ともたらしてくれているのだ。


涼平のnoteはまだ投稿19日目、
官兵衛の爪の垢のかけらにも至っていない。


今日も書けるという喜びに、感謝。



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